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第三章6『素晴らしきあなたの世界』

「わたしを逃げ道にしないで」


「来望……」


 僕は来望の心を裏切った。

 彼女を好きだと言ったのは、本心からのことだと思っていた。

 だけど真眼をもつ彼女には痛いほどにわかってしまっていたんだ。

 僕が来望を愛していないこと。どれだけ絶望しただろう。


「始くん……ねえ知ってる? 人が本当に死ぬときは、人に忘れられた時なんだって」


 学校の屋上。僕らは星空の下にいた。

 来望はそう言って、綺麗に笑った。

 なぜ笑うのか、僕にはわからない。悲しいはずなのに。


「だけどわたし、それでも人間にはまだ救いがあると思うんだ。誰に忘れられなくても、自分の心は終わらせられる。死ねばおしまい。生きていれば悲しくて、後悔ばかりが積み重なって……それでも終われるから」


「だけど死んでしまったら……幸せだって感じられない」


「本当に幸せなんてあるのかな? ……幸せなんて、ないんじゃないのかな。ただ、悲しみを感じられないだけ。いつか世界が後悔の海に沈んで、全てが消えてしまう日が来るとしたら、わたしは――その前に、終わってしまおうって。そう想ったんだ。だからね」


「来望……やめっ……!」


「始くん、私のこと……忘れないで」


 彼女は星空の中に身を投げだした。

 手を伸ばす。僕は手を伸ばす。

 だけど――その手はとどかない。

 これまでも。

 これからも。


 ずっと――



      第三章6『素晴らしきあなたの世界』



 暗闇の中に僕は漂っていた。

 何度も、何度も。あの時のことを思い出す。

 忘れようとした。それでも思い出した。

 来望は死んだ。

 認めたくなかった。だけど認めるしかない。

 なのに忘れられない。

 来望は言った。

 人が本当に死ぬのは、忘れられた時だと。

 彼女はまだ、僕の中で生きているのだろうか。

 僕の思い出の中にしかいられない。

 そんなの、生きているといえるのか?

 そんなの……。


「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」


 誰だ、僕を呼ぶのは。いや、こんな呼び方は。この声は。一人しかいない。

 妹だ。


「優希……?」


「お兄ちゃん、目が醒めたんだ……!」


 目を開けると、そこは白い天井と、そして妹、優希の泣き顔。


「僕は……ここは、どこだ」


「お兄ちゃん、何週間も行方不明だったんだよ、覚えてる?」


「僕が……行方不明?」


「そうだよ、行方不明になったと思ったら昨日部屋の中で倒れてて……一体なにがあったの?」


「わからない……頭がいたい」


「そっか、無理しちゃダメだよ。お兄ちゃん、ずっと閉じこもってて……外に出たくなったんだよきっと。ちゃんとここで休んで良くなってね」


「ここ……病院か。昨日からここで寝てたのか……」


 何があったんだろう。思い出せない。

 頭が割れるように痛い。思い出すのを拒んでいるみたいだ。


「お母さんも心配してたよ、お兄ちゃん。あたしだって……」


「父さんは?」


「電話でだけ。また仕事、忙しそうだった」


「そっか……」


「お兄ちゃん……ごめんね。家族みんなバラバラで、誰もお兄ちゃんがここまで追い詰められるまで気づかないまま、自分のことばっかり……」


「いいんだよ。もういいんだ。悪い夢を見てたみたいだ。ずっと……だけど目が醒めたよ。僕はここにいる」


 思い出すことを無理に試みなければ、頭の痛みはおさまる。

 それでいい。なんだか気が晴れたみたいだ。


「ねえ、お兄ちゃん……」


「ん、どうしたの、優希」


「もうどこにも行かないよね……」


「うん、僕はどこにもいかない」


「絶対だよ、絶対だからね……」


 優希と僕は一年越しの会話を交わして、抱きしめ合った。

 家族らしいことができるなんて、本当に久しぶりだった。

 なんで僕は今まで立ち止まって、閉じこもっていたんだろう。

 僕の居場所、なくなってなんていなかったじゃないか。


 ――本当に、そう?


「来望……?」


「お兄ちゃん?」


「あっ……ああ、ああああああああああああああああああああああ!!!!!」


「どうしたの、お兄ちゃん!」


「来望は……来望はっ……!」


「お兄ちゃん、あの人は……あの人はもう……!」


「僕がっ、僕が殺した……!」


「違うっ、事故だった! お兄ちゃんのせいじゃない! あれはお兄ちゃんのせいなんかじゃないよ!」


「手を掴まなかった! もう少しで、もう少しだったのに……手が届かなかった……! 僕が弱いから……力がなかったから……来望は……!」


「お兄ちゃん、もうやめて、自分を嫌いにならないで! あたしはお兄ちゃんのことが好き、お兄ちゃんに……自分を好きになって欲しいの!」


「僕は……来望……君を……そうか……そういうことか……」


 何やってんだ、僕は。


「全部――思い出した」


 手を伸ばさなきゃならない人がいるのに。自分だけの幸せに浸ろうとしていた。

 でもこれは幸せなんかじゃない。悲しみを忘れただけだ。


「行かなくちゃ」


 立ち上がる。大丈夫、外傷はない。

 世界を転移したショックで記憶障害が起こっていただけだ。

 僕は戦える。


「お兄ちゃん、どこにいくの!?」


「優希……大丈夫。僕は戻ってくる、絶対に」


「お兄ちゃん、待って!」


 引き止める優希を残して僕は病室から飛び出した。

 病衣のままだけど気にしない。一刻を争う事態だ。


 走り始めると血が回って頭が冴えてくる。

 アマルガムの行き先を推測できる。

 アマルガムがまず狙ったのは時計塔だ。その目的は勇者候補である僕が勇者になることを阻止することではなかった。

 勇者召喚のために扉を開き、接近させた二つの世界の扉を閉じ、元の安定した遠い世界同士にもどすための儀式の最後の術式。それを書き換え、世界を破壊すること。

 だけど世界の扉を開く術式が片側だけでは成立しなかったように、その書き換えも片側だけでは不十分なんだ。

 マリィと僕、二人が儀式を終わらせて勇者召喚が成功したように。アマルガムは二つの世界両側から術式を書き換えようとしている。

 そうすることで連鎖反応を起こし、ポータルにつながっている平行世界全てを崩壊へ導こうとしている。それが奴の目的だ。


 なぜそんなことをしようとしているのか……。

 おじいさんはアマルガムが常に魔導銀と吸血鬼の能力との拒絶反応に苛まれ、発狂してしまうほどの激痛を感じ続けていると言った。

 激痛は死ぬまで消えない。だけどアマルガムはその強すぎる生命力によって、死を奪われている。自分で死ぬことはできない。

 だったら世界ごと滅ぼして完全に消滅する。大方そんなところだろう。

 浅はかなやつだ。

 そんな奴の気持ちなんてわからないし、わかってやる必要もない。

 僕が奴に引導をわたす。


 奴の行き先は――僕の部屋、だ。


「ビンゴだ。久し振りだね、アマルガム」


 玄関を通り、二階へ素早く駆け上がり、その扉をあける。

 そこには道化師の仮面で顔を覆った狂人が立っていた。


「まさか……ここまで追いかけてくるとは。計算外でしたよ、勇者様。いえ、今はニセ勇者様とでも言ったほうが正しいでしょうか」


「お前がディスクを回収するのは読めたよ、なんたって残響器だからね。こちら側の世界で術式を書き換えるには、その器となる『終焉へのスタートライン』のディスクが必須なんだ。こんなにタイミングが良いとは思ってなかったけど……ちょうどいい」


「良いのですか? この世界ではあなたはただの人です。あちらの世界では環境の違いにより超人的な力を発揮できるのがあなたの強さを支えていたというのに」


「そういう考えが甘いんだよ、アマルガム。お前は二流だ、再生能力も真眼も……たいした能力は持ってるけど、所詮それだけだ」


「ククッ……では見せてみなさい。口だけではないところを」


 アマルガムはナイフを取り出し、僕ににじりよる。

 確かにアマルガムの言うとおりだ。こちらの世界には魔素がなく、僕の肉体強化もない。

 あちらの世界で身体に蓄えた魔素が多少残ってはいるが、回復不可で所詮使い捨てのようなもの。

 ここでの僕は一般人レベルの体力と思って間違いない。だけど――


「――それだけが強さじゃないんだよ」


 アマルガムの一撃を僕はかわした。

 真眼、僕にはこれがある。アマルガムも真眼持ちで、互いに打ち消し合っていると言っても、抜け道はある。

 アンジェと戦った時に使った僕の「奥の手」。

 相手にニセの行動パターンを刷り込むことで、自分の望む対応行動を引き出し、戦いをコントロールする。

 これは「真眼」を持った相手にも……いや、真眼をもつほどに敵の行動パターンを正確に把握できる相手にだからこそ有効な戦術だ。

 そして相手に自在に暗示をかける技術も必要となる――僕の本当の「特技ユニークスキル」。まだ未完成だったけど……ここで使うしかない。


 アマルガムの攻撃をかわしながら、僕は机の上の文房具入れからペンをひっつかんでアマルガムの喉に付き入れた。

 怯んだアマルガム。この隙にディスクを奪う……!


「始、帰ってるの……?」


「母さん――っ!?」


「ほう……」


 アマルガムは素早く僕の脇を通り過ぎ、階段を上がって様子を見に来た母さんを取り押さえた。


「やめろアマルガム、その人は、お前の……」


「はて、忘れてしまいましたよ。全て……終わらせる」


 母さんの首を締めるアマルガム。


「やめろ、母さんを……!」


 感じる。僕の人間性が消えていくのを。

 あの時と同じだ。天魔王ザハクを倒した時。アンジェと戦った時。

 覚醒する。僕の中の怪物が。


「母さんを――はなせ」


 コイツを壊せと囁いている。


「それには及ばないわ!」


 その刹那、アマルガムの両腕が切断された。

 自由になった母さんの身体を僕はだきとめる。

 アマルガムの身体を切断し、今も攻撃し続けているのは……深紅の刃。

 血晶爪サンギス・アンギス――これは……!


「ファニュ卿!?」


「くっ、邪魔が入りましたか。しかしディスクはこちらのものです、退散させていただきましょう」


「逃すわけがないでしょう!」


 突如現れたファニュ卿はそのままアマルガムに爪先を向ける。


「だめだ、深追いするな!」


 僕はファニュ卿を制止した。

 どうして彼女が現れたのかはわからないけど、ここでやりあってもいい結果にはならない。

 ディスクは奪われたけど、母さんは助けられた。今はそれで十分だ。

 成果を急いではいけない。


「母さん、大丈夫?」


「始、今のは……?」


「心配ないよ、母さん。僕の声をよく聞いて」


 僕は母さんの肩に手を触れる。


「母さんは夢を見ていたんだ。悪い夢を。僕は無事に戻ってきたし、母さんの不安の種はもう全部積まれて、いまはもうまっさらな場所にいる。僕が三つ数えたら母さんは眠って、起きたら清々しい気分だ。いくよ、三、二、一」


 母さんは簡単に眠ってしまった。

 薬物などで精神の疲弊した人にこそ、こうした催眠療法が有効だ。

 引きこもってる間、真眼と平行して手に入れたこの技術が役に立った。

 無駄じゃなかった。


「さて、ファニュ卿。事情を聞かせてもらおうか」


「その前に、その仰々しい呼び方やめてくれないかしら? あたくしの名前はエリザベート。親しい人はリザと読んでいるわ、あなたにも特別にそう呼ぶことを許可します」


「わかったよ、リザ。で、なんで君がこの世界に?」


「そんなの決まっているでしょう、あたくしたちもあの後ポータルを通って追いかけてきたのよ。時計職人の力を使ってね」


「たち……?」


「ハジメさま!」


 その表現を疑問に思う前に、答えがやってきた。


「リデル……君も来たのか」


「当然です、わたくしは、ハジメさまの付き人ですから」


「ここはもうセラエティアじゃないんだ、そんな義理はないだろ」


「それでも……それでもわたくしはハジメさまについていきます! 約束したじゃないですか……わたくしも一緒にこの世界に帰るって……」


「リデル……なんでだよ、なんでそんな……君たちは……」


「べ、べつにあなたに助けられた恩なんて感じてないんだからねっ! あたくしたち吸血鬼に大切なのは誇り、義理を通さなければ全ての眷属に顔向けできないわ!」


「エリザベートさまもわたくしも、ハジメさまに助けられました。でもわたくしも同じ気持です、恩があるからとか、返さなければならないからここにいるのではありません。わたくしは、わたくし自身の意思でここにいます」


「二人とも……お人好しすぎるよ」


「優しいのはハジメさまのほうです。わたくしたちを危険から遠ざけるために一人で行こうとするなんて……」


「僕を買いかぶりすぎだよ、僕は――」


「――あなたはハジメさまです。わたくしにとっては、それでだけが真実ですから」


 リデルはそう言って微笑んだ。

 なんで、こんな表情ができるのだろうか。

 僕はリデルに、僕への好意を消すような暗示をかけた。だけど失敗したらしい。

 確かにあの時は気が動転していたから、不十分だったかもしれないけど……。


 催眠術は、本人の本質を損なうような行動に人を導くことはできない。

 だとしたら……リデルは本当に……。

 いや、それよりも。


「だけどアマルガムが残響機を使ってこっちでも術式を書き換えるとして、どこかに『工房アトリエ』に相当する拠点があるはずだ……。人数が増えたのは心強いけど」


「それならば大丈夫です、ピスケスさまも一緒ですから!」


「そうなの? 見当たらないけど」


「先程まで一緒にいたのですが……」


 僕らは母さんをベッドに寝かせると、一階に降りる。

 ピスケスの姿はすぐに見つかった。

 冷蔵庫を漁って「さかな……、さかな……」と呟いている。

 まるで妖怪だ。


「ちょっとピスケス、冷凍庫の生魚は食べちゃだめだよ?」


「ゆーしゃか……、なんだか力が出ない。身体が重いぞ……」


「こっちの世界では魔素がないし、環境も汚染されてるから君たちの力も相当制限されると思うよ。リデルとリザも、魔力を一度消費したら回復しないと思うから気をつけてね」


「さかなぁ……」


 よだれをたらしてうなだれるピスケス。

 こっちについてからも魔力を大幅に消費する残響器「アルレシア」を携えているから他の人より消耗が激しいのだろう。

 だけど――ということは。


「ピスケス、君はアマルガムの位置が追えるんだよね」


「うん、だからここにきた」


「……ありがたい、希望が見えてきたよ」


 ピスケス、リザ、リデル。この三人が揃ったのは僥倖だった。

 アマルガムの圧倒的な再生能力は確かに一見無敵だけど……作戦次第では打ち破れるかもしれない。


「アマルガムが入っていた魔導銀の補給が王宮に搬入されたのが安息日の夕方で……術式の書き換えが完了したのが次の日の夜か……。儀式のタイミングを測ってたから安易には決めつけられないけど、どれだけ長くとも18時間程度の猶予しかないってわけか。ピスケス、アマルガムの術式について何か知ってる?」


「古代魔法に類するものだ、時間がかかるのはゆーしゃの予想と同じ。おそらく最短でも六時間程度はかかる」


「だったらそれほど準備してる暇はないってことか」


「それよりもさかな……」


「わかった、サバ缶開けるからちょっと待ってて。みんなも、一旦腹ごしらえだ。作戦会議の後、一時間以内に出発しよう」


「食事ならわたくしが」


 そう申し出たリデルに台所はまかせて、僕は自分の部屋に一度もどった。

 病院の患者用の服のままだったから、何か動きやすい服装に着替えたい。

 別に中学ジャージでもいいんだけど……。

 埃をかぶってたり破れてたりで、使い物になりそうなものが少なかった。


「……これしかないか」


 最もマシな服を発見したけど、これは……。

 高校の制服だ。進学した時にはすぐ引きこもったから、ほとんど使ったことはないけど。

 いい思い出なんて一つもない。それ故に新品同様品みたいなものだ。

 まあ学校にいくわけでもないからなんでもいいか。


「待ってろよアマルガム……。お前を絶対に、終わらせてやる」

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