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第一章1『隻眼の時計職人』


 終わって欲しい物語ほど、簡単には終わらない。

 僕らの世界には、つらい現実ばかりがあふれかえっている。


「ねえ母さん、僕の父さんはどこへ行ったの?」


「何言ってるのよ始。あなたのお父さんは――」


「あの人は僕の本当の父さんじゃない」


「何言ってるの、始……?」


「知ってるんだ。母さんが再婚したこと。僕が連れ子だったってことも……」


「やめなさい!」


 母さんは僕をぶった。

 初めてだった。

 手は震えて、力はあまりにも弱くて。僕は微動だにしない。

 母さんは悲しいほどに弱い人だった。身体も、心も。


「忘れなさい、あの男のことは。忘れてしまえば、なかったことと同じになるから」


 なるわけがない。なかったことになんて。

 だけど僕は言わない。きっと母さんにはわからない。

 信じているんだ。過去をなかったことにできるなんて、馬鹿げた妄想を。


「わからないの……なにも。どうしてあの人がいなくなったのか、わたしを嫌いになったのか……考えるだけで引き裂かれそうになる。だから忘れたい、もう思い出したくないの……」


 母さんは泣いていた。後悔ばかりが積み重なって海になるように。

 僕らは辛い思い出だけを引きずって生きていく。忘れることなんてできない。

 終わらせなきゃならない。全部。そうしなければ後悔は終わらないままなんだ。

 だから、終わらせなきゃならない――



      第一章1『隻眼の時計職人』




 風が頬を撫でる。

 強い光が僕のまぶたを刺激した。


「うっ……ここは」


 眼を開ける。

 広がる青色。白色。一目瞭然だった。

 ここは、空だ。


「え、えええあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!?」


 落ちていた。どうみても落ちていた。何度瞬きしても落ちていた。

 僕は今、上空から落下していた。

 下方を見るとずっと遠くに荒野のような黄土色の地面が見える。

 高度は……たぶん千メートルくらいか。

 それなら――。


「まあ……着地できるか?」


「それはどうかなぁ?」


 僕のひとりごとに何者かの声が答えた。


「ひぇ!」


 思わず変な声が漏れた。

 高速で落下する僕の隣には、いつのまにか奇妙な人影が平行して落下していた。


「残念だけど、ここはゲームの中じゃないんだよねー」


 それは女の子だった。奇妙な風貌をした小柄な少女だ。

 時計の針や歯車がついたような奇妙な眼帯で左目を隠している。

 白い肌を包む黒のドレスには大量のフリルやポケットが荒っぽく縫い付けられ、風に揺れている。

 彼女は人懐っこい笑みを浮かべて片方の眼で僕を見ていた。宝石のように輝くエメラルドグリーンの瞳。人形のように美しく、どこか気品のある少女だった。

 そんな奇妙な女の子が、僕にとびきり奇妙なことを言っているのだ。

 「ここはゲームの中じゃない」とかなんとか。


「じょ、冗談だよね?」


「冗談じゃないけど?」


 少女はニッコリと笑って完全否定した。

 「エヴァ○ゲリオンはウル○ラマンのパクリだけど?」的な、さも当然のような口ぶりで。


「もう一度はっきり言うね。ここはキミがいままでやっていたゲームの中の世界じゃないんだぁ。正真正銘、本物の世界。キミの望んだ現実なんだよ」


「現実だって? わけがわからない!」


「だけどそろそろ地面だよ? 頼むから頑張って助けてね――勇者さまっ?」


「勇者さま? 助ける? 誰を?」


「もちろんキミがボクをだよ。だって落ちたら死んじゃうじゃん?」


 少女は無邪気な笑みを浮かべて首をかしげた。そんなご無体な。


「なんなんだっ、一体……!」


 ゲームにログインしたと思ったら空から落ちていて。しかもゲームじゃないだって?

 言われてみれば確かに、「身体感覚」が違う気がする。

 現代のVRゲームは神経接続で極限までリアルな感覚を再現できるようになった。だけど今でも「現実」と「仮想」の違いは区別できる。

 風を感じる肌の感覚、耳をくすぐる音。そして自分の鼓動。仮想的に再現されようとも、「こえだ」という決定的な感覚には届かない。

 虚構の感覚には「質」というものが抜け落ちていた。

 だけど今、ここにはそれがある。確かな実在感が――『感覚質クオリア』が存在する。

 だったら結論は簡単だ。僕だってこう言うしか無い――


「僕だって落ちたら死ぬに決まってるじゃないかー!!!」


 地面との衝突まであと数秒。

 僕はとっさに隣の少女の体を抱きしめる。無駄だ。この加速度では二人共潰れて死ぬ。

 死ぬのか。僕は死ぬのか。人間の人生には終りがある。それは幸福だ。恐れなんて無い。

 そう思っていた。だけど死が近づくに連れ、僕にはある考えが沸き上がっていた。


 死にたくない。

 こんなところじゃ終われない――


「――っ!!」


 ごうっ、という文字通りの轟音とともに大地がえぐれ、地表の岩石が割れて飛散した。


「……っつぅー……」


 荒野に出来たクレーターの中心に、僕は二本の足で立っていた。

 折れてもいなければ潰れてもいない。五体満足だ。


「ちゃ、着地……できた……ははっ、脅かさないでよ。こんなことが出来るのはゲームの中だけだ」


「もう、まだ言ってるんだ」


 僕の腕の中にすっぽりと収まっている小柄な女の子はぷっくりと頬を膨らませる。

 子供っぽく愛らしい仕草だった。


「ここはゲームじゃない、れっきとした現実だよ。証明してみせようか?」


「証明?」


「うん、証明!」


 僕に抱き上げられたままの状態で、女の子は僕の耳に薄紅色の唇をそっと近づける。

 そして小鳥のような声で囁いた。


「ボクの声――覚えてる?」


「声?」


 そう言われれば聞き覚えがあった。あの時――僕がゲームをクリアた後のエンドロール。

 呪文を唱えるあの声だ。僕をここに送り込んだあの『転移』の術式を。


「君だったのか、僕をここに呼んだのは」


「うん」


 少女は僕の身体にぎゅっと身を寄せる。

 胸と胸が密着する。


「聴こえるでしょ、ボクの鼓動。感じるでしょ、体温。これってキミたちの言葉で『感覚質クオリア』って言うんだよね。確かに違うはずだよ、今までの、虚構の世界と」


「君は……何者なんだ?」


「それは話せば長い話だからねー。おいおいやってくとして――」


 少女は僕らが落下したことでぱっくりと抉れたクレーターの上側に視線を向ける。

 僕もその視線を追う。するとクレーターの周囲を巨大な獣が数体取り囲み、唸り声を上げていた。


「――魔獣だね」


「っ……戦わないと。君はそこでじっとしてて、動かないで」


 僕は少女を地面に降ろして周囲を見渡す。

 クレーターの上から五体の魔獣が僕らを取り囲み、涎を垂らして見ている。

 僕らを今夜のごちそうにするつもりだ。

 だけど――大したことじゃない。

 冷静になって考えると、やっぱりここはゲームの世界だ。あの魔獣たちは『終焉へのスタートライン』の序盤に登場する、いわばスライム程度の存在だ。

 まあ、ザコ敵とはいえ『相対的な』が付くのが難点だけど。

 現実のトラより遥かに大きく殺傷性も高く、普通のプレイヤーならここで惨殺されてしまい心が折れる。初心者にとっての巨大な壁になっているのがこのモンスターだ。

 もちろん全クリした僕にとっては問題ない相手にすぎない。


 さてと、今の携行武器は――


「コンソール起動。アイテムリスト」


 システムコマンドを呟く。

 反応なし。


「アイテムコンソール」


 ……反応、なし。

 携行武器、なし。アシストの反応、なし。ショートカットの反応、なし。アイテムなし、なし、なにもなし。

 ヤバい。

 いやいやいや、恐れるな僕。これは演出だ。難易度の高い新ステージなんだ。システムアシストの制限くらいつくこともあるだろう。

 きっとあの女の子の存在も言動も演出の一部なのだろう、ゲームにより没入感を持たせるための。

 今の現実感のある身体感覚だって新しい技術で作り上げられたものに違いない。本物と言われても違和感ないほどに作りこまれているだけだ。

 感覚に質があると言っても、それを感じられるか否かを分けるのは情報量の違いだ。情報量さえ増えれば虚構への没入度は飛躍的に上昇する。だからこれはゲームだ。

 恐れることはない。ゲームの中では僕は勇者ライン。天魔王ザハクを倒した男だ。

 武器なんてなくてもこの程度のザコモンスター、素手で倒してみせるさ。


「いくぞ――!」


 地面を踏みしめる。一気に加速――

 できない。普通に地面を足が蹴っただけで、身体が高速移動するスキルは発動しない。

 いつもなら風のように身体が動いて魔獣を殴り殺していたのに。


「ガアアアアアアアアアアア!!!」


 殺意を向けられたことを察知した魔獣たちは一斉に飛びかかってきた。僕は地面におろした少女を再び抱え上げ、降りてくる魔獣たちと入れ替わりに必死でクレーターを登った。


「なんでこんなことに!」


「ゲームとおなじ感覚じゃ魔術アシストのスキルは使えないよ? 発動のプロセスがちょっと違うからねー」


「ゲームじゃないって言われても、どうみてもあれはゲームのザコ敵じゃないか!」


「見た目が同じなのはしょうがないんだよ。あいつらをモデルに作った敵だからさぁ」


「そんな……」


 もはや何が何だかわからないが、とにかく今は逃げるのが最優先だ。

 いち早くクレーターから這い出した僕は、少女を抱えたまま走った。

 だけどここは荒野だ。大きな岩も木もない。砂に覆われた平地。隠れる場所はない。

 どこに逃げれればいい。


「そうだ――ここは神星セラエティア皇国の領内だよね?」


「うん……そうだけど?」


「ってことはやっぱり……見覚えがあると思った。ここはプロヴィデンスの近くなんだ」


 ゲーム『終焉へのスタートライン』は「神星セラエティア皇国」という国の首都「皇都プロヴィデンス」から始まる。

 皇帝によって勇者が任命され、天魔王を倒すための旅に出る。王道展開というやつだ。

 序盤のザコ敵であるあのトラ型魔獣が出てくるのはその郊外の荒野だった。記憶にあるゲームの配置や地形と同じだから気づけた。


「今は夕方、太陽はあっちに沈みかけてるから西があっちで……プロヴィデンスは――」


 序盤だからおぼろげだけど、地図のこともだいたい覚えている。

 東方に目を凝らしてみると、確かに小さく城壁のような影がぽつりと見えた。

 だけど――


「くっ――遠すぎる!」


 僕は女の子を抱えて東に走るが、このままではあの魔獣たちに追いつかれてしまう。

 その先は言うまでもなく死が待っている。

 ゲームじゃないとすれば、やり直しは聞かない。死ねば終わり。終わりなんだ。


「どうする……」


「あのさ」


「なに、いま忙しいんだよ!」


「確かにゲームじゃないとは言ったけど、キミがあの魔獣に勝てないとは言ってないよ?」


「へっ……?」


「覚えてないの? さっきキミはあんなに高い空から着地できたんだよ?」


 そういえばそうだ。

 身体感覚は、ひきこもりだった僕の現実世界と全く同じだ。だから身体能力も現実と同じ――そう思った。そう思い込んでしたし、実際さっきはゲームの中みたいに速く動けなかった。

 今もそうだ。ゲームの中で勇者をやっていたころと比べると動きがあまりにも遅い。

 だけど――現実の僕はそもそも、女の子を抱えて魔獣から逃げられるほど力が強かったか?

 僕は自慢じゃないが熟練の引きこもりだ。筋肉は萎縮してるし、そんな芸当できるわけない。

 それでも今はできている。

 ということは――


「身体能力はゲームのままだよ。感覚とまだ完全に繋がってないだけ。まだ、ね」


「だったらどうすればいい。教えてくれ」


「簡単なことだよ。さっきボクはキミにゲームじゃないって教えた。その時キミは死に物狂いになったよね。それが大事なんだ。能力自体は下がってない、ただシステムアシストがないから発揮の仕方が違うだけ」


「つまり――命を賭ければ使えるってこと?」


「そんなとこっ!」


 少女はざっくりとした説明を笑顔で叩きつけてくる。

 悪意がないぶん質が悪い。だけどそういうシンプルな言い方――


「――嫌いじゃないな」


 僕は少女を再び地面に立たせ、背中に隠した。


「今度こそ、僕に任せてじっとしててよ。失望はさせないからさ」


「あいさー」


 少女はひらひらと手をふった。


「がんばってね、勇者さま」


 ちょっとときめいた僕を誰が責められるだろうか。

 こういうの、男の夢だと思う。

 今はそんなことは置いておくとして――


「いくよ、『加速魔術スタンピーダー』発動」


 深呼吸。

 小型の術式方陣が両足に展開される。

 地面を強く蹴る。一度じゃない、身体が地面を離れるまでに五回、十回。瞬発力を上乗せしてゆく。

 今なら出来る。


「グガアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 向かってくる魔獣たちと超高速で交錯した刹那、僕は加速した状態でさらに高速の手刀を繰り出す。

 本能的な反応だったのだろう、僕が加速した瞬間とっさに飛び退き、手刀には当たらない。

 ――けど、手遅れだ。

 この手刀を当てる必要なんて無い。


「グッ――!」


 死に際の咆哮を上げる暇もなく、五体の魔獣がバラバラに引き裂かれて飛び散った。

 そう、攻撃を当てる必要なんてないんだ。

 僕の超高速の動きが生み出した真空が奴らの身体を切り裂き、衝撃波が粉々に吹き飛ばした。


「やるぅ!」


 僕が巻き起こした土埃をちゃっかりと黒い傘でガードしていた少女がぱちぱちと手を鳴らす。


「さっすが天魔王ザハクを倒した唯一の人間だねぇ」


「これでも一割くらいの力だけどね」


 魔獣は倒した。だけどまだ本調子じゃない。こんなザコは本来指一本で倒せないとダメだ。

 天魔王どころか上級魔族にも後れを取ってしまうだろう。今のこの力では。


「そのくらいでもじゅーぶんすごいよ!」


「そう言ってくれるとありがたいよ」


「ううん、お礼を言うのはボクのほう。はいっ」


 少女は白手袋で覆われた小さな手のひらを差し出した。

 握手ということだろうか。僕もそれを握り返す。


「ボクは『時計職人ウォッチメイカー』のマリアンヌ・ドロッセルマイヤーだよっ。ドロッセルマイヤーっていう名前はおじいちゃんのほうが有名だから、ボクのことは気軽にマリィって呼んでねっ」


 マリィ、少女はそう名乗った。

 あまり女の子の名前を呼び捨てにすることに気が進まないけれど、本人の希望なら仕方ない。


「よろしく、マリィ。僕はその……勇者ライン」


「えー、それってゲームの中の役割でしょ? ここは現実だって言ってるじゃん。キミの本当の名前を教えてほしいな?」


「わかったよ……あんまり自分の名前、好きじゃないんだけど……変だし」


 ここしばらく勇者ラインとして過ごしてたからそっちのほうが好きなんだけど……。

 上目遣いで頼まれると断れないんだな。男の子ってやつはさ。悲しい生き物なんだ。


「だけどキミの本当の名前なんだよね。だから聞きたいな」


「そう、だね」


 それにここはあの世界じゃない。マリィは「現実」だって言うけど、どう見えても僕にとっての「現実」とは全く違う。

 現代日本から遠く離れた異世界。『終焉へのスタートライン』の世界そのものだ。

 そこではかつて僕は勇者ラインだった。だけど今は違うらしい。ゲームは終わった。

 ここに送られてきたのは僕の意識だけではなく、身体もそうだ。ここにいるのは僕自身の実体なんだ。

 だったら僕は――


「僕の名前は――始。尾張始おわり はじめ。変な名前だろ?」


「ううん、いい名前。ハジメって、いい名前だね!」


「そうかな?」


「そうだよ、ハジメ、ハジメ、ハジメ。うん、ボクは好きっ!」


 マリィは僕の名前を何度も呼びながら、僕の首筋にぴょんぴょんと飛びついてきた。


「な、なにっ?」


「ずっとキミを見てたんだよ。ボクの作ったゲームを本気でプレイしてくれるキミのこと。だけどキミは勇者になりきって、本当のキミが見えなかった。ずっと知りたかった……」


「ずっと見てた……マリィが? それに、作ったって?」


「『時計職人ウォッチメイカー』だからね。嬉しんだよ。キミとこうして出会えたから。キミがゲームをクリアしてくれたから。だから嬉しいのっ!」


 始まりはいつも些細なことで、つまらない勘違いとかすれ違いにまみれていて。

 だけど出会いは本物だ。

 忘れても、思い出したくなくても。僕らは出会う。

 どれだけ後悔しても、始まりは止められない。

 始まったら、終わらなければならないのに。僕たちは出会ってしまう。後悔を抱えたまま……。

 こうして僕とマリィは出会った。


 夕日が沈もうとしていた。やがて夜が来る――

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