第二章1『安息日の朝、フィッシャー祓魔師と負け犬騎士様と』
「来望は、さ。何か将来の夢とか、なりたいものとかあるの?」
「そういう始くんはどうなのかしら?」
「質問に質問で返すのは零点だよ、来望」
「ふふっ、そうね。私の将来の夢は――秘密かな」
「ええー。教えてよ」
「始くんが教えてくれたら教えるわ」
「僕は……その、ないんだ」
「ない? 一つも? 未来に何か期待していないの?」
「僕は、さ……未来に期待することとか、自分が何かになりたいとか、そういうのないんだ……だから来望に聞いたんだ。そういう相談できるのって、来望だけだから」
「そうね、始くんが私を頼ってくれるのは、嬉しいわ」
来望はそう言って得意げに微笑んだ。イタズラっぽいけど上品な笑み。
僕はこの笑顔が好きだった。
「だけど――将来の夢って、持たなきゃならないものなのかしら。希望ってみんなが言うほど良いものなのかしら」
「どういうこと?」
「希望を持てば、それが裏切られた時、苦しみが心を締め付けるわ。未来に託す期待が大きかったほどに、かなわなかった時の絶望もずっと大きくなる。夢は力になると人はいうけれど、重荷になることだってあると思うわ」
「来望も、そういうことがあるの? 願いが裏切られて、傷ついたことが……」
そう質問すると来望の笑顔は消えて、悲しい瞳をして彼女は俯いた。
「……本当に、わかってないの?」
「え……」
「ううん。なんでもないわ。ええ、あるわよ、裏切られ続けてる。私、けっこう欲が深いから、叶わない夢を抱いて、いつも挫折しそうになってるかも」
それは過去の記憶。
夢を見ていた。その時は、来望の気持ちがわからなかった。だけど今ならわかる。
彼女が苦しんでいたのは、僕のせいだ。
僕は彼女の気持ちをわかっていなかった。何もわかっていなかった。
ずっと傷つけていたんだ。一方的に彼女に居場所を求めて、逃げこんで。
彼女の望みを叶えてあげられなかった。
あの時と同じだ。
僕はあの時からずっと、何者でもないまま。未来に希望なんてない。
何も背負っていない。――だから強い。苦しみなんて感じない。他人を傷つけても平気だ。僕は大丈夫だ、誰にも負けはしない。
何ものでもない僕は、この力でいつか勝ち取るんだ。
本当の勇者になる、その「希望」を。勝てばすべてが手に入る。
希望だって、夢だって、きっと手に入れられる。
そんなの嘘だってわかってるのに、僕はそう自分に言い聞かせた。
第二章1『安息日の朝、フィッシャー祓魔師と負け犬騎士様と』
僕は半端ない息苦しさに目を覚ました。
何か柔らかいものに顔全体を包まれている。呼吸しようと必死に息をすると、いい香りが鼻いっぱいに広がった。
「むぐっ……これは……!」
僕はその正体に気づく。それは母なる大自然の恵み。神秘の象徴――おっぱい。
乳房、胸、バスト、パイオツ、いろいろ言い方はあるだろうけども結局は同じ場所に帰結する。
おっぱいだ。僕はおっぱいに包まれていた。息苦しいまでに密着し、柔らかく肉厚なその谷間に顔をめり込まされている。
寝る前の状況から察するに、これは間違いなくアンジェの胸だ。後頭部がその細腕のどこから発生しているかわからない凄まじ筋力でがっちりとホールドされている。
抜け出せない。いや、通常ならば抜け出したくなるなんてありえないような嬉しい事態なんだけども、こちらはあいにく呼吸困難に陥っている。
脱出しなければ死ぬ。
初めて会った時から、どうやらこの皇女様は僕に命の危機を突きつけるのがお好きらしい。なんて冗談考えてる暇はない――
「うーっ、むーっ!」
もがいても両腕に押さえつけられるので声を出してアンジェを起こそうと試みるが無駄で、鼻も口も抑えられて声が出せない。僕の息が虚しく谷間を吹き抜けるだけだ。
「んっ……」
しかしアンジェは反応したようだった。くすぐったそうに声を漏らす。
よし、この調子で起きてくれ。僕は谷間の中で顔を震わせながら息で合図した。頼む、気づいてくれ!
「あっ……旦那さま、そこは……そんな、赤ん坊みたいな……」
あー! もうっ! そうじゃないでしょ!
どうやらアンジェさんはゴキゲンな夢を見ているようだった。そのほかでもない旦那さまが大変なこの状況でだ。
息はそろそろ限界だ。思考能力も低下してくる。まずい、打開策がなければここで終わりだ。僕はこんなところで死ぬわけにはいかない。
こうなったら最終手段だ――
手に魔力を集中する。正確な術式を使うほど大規模なものは必要ない、とにかく音と衝撃を出してアンジェを起こす程度の威力があればいい。
簡易術式によって練り上げた魔力の塊を、手のひらでバーストさせる。
――術式開放!!!
「……大変な目にあった……」
僕は宮殿の外、裏手にある小さな湖に出ていていた。時刻はまだ明け方だ、空が薄ぼんやりと光を含んで、太陽がもう少しで頭を出そうとしているのがわかる。
あの時起こした小爆発、アンジェにダメージを与えないよう「防衛力場」で防いだが僕には一部被害が及んだ。服が焦げ、髪の先もチリチリになった。
もともと引きこもりでめったに髪なんて切らなかったから伸びきっていて、ちょうどいいから切ろうと思ったのだが、ついでに灰と煤のついた身体も洗えるから湖にまで足を運んでみた次第である。
水汲みの業務でよく訪れているというリデルから聞いたとおり、好きとおったきれいな水だ。明け方の薄暗い中でもキラキラと光っている。
僕はバシャバシャと音を立てて、汚れた顔を洗った。スッキリ。
「ふぃー、冷たくて気持ちい――い、な……?」
そして顔を上げると、ふいに目があった。何と?
あまりのことに脳の処理が追いつかなかった、戦いならばこの時点で僕は死んでいただろう。でもこれは戦いでもないし、ある意味魔族以上に恐ろしいものと僕は対面している。
――おっぱいだ。
またか、という感じだが本当にそうとしか言い様がない。
女の子の生まれたままの姿が僕の目の前にさらけ出されていた。
胸から視線をまた上に戻す。目と目が合う。
「なんだ、ゆーしゃか」
こともなげにいつもの無感動な調子でそう言ったのは祓魔師のピスケスだった。
身長150センチ程度の小柄な細い身体を隠そうともせず、堂々と僕に声をかけてくる。
「あの……これは……不慮の事故で……!」
「事故? ゆーしゃも水浴びではないのか?」
「えっ、まあそう言われるとそうかもしれないし、そうじゃないかもしれないし……」
「なんだ、はっきりしろ」
ピスケスはずいっと僕ににじり寄ってくる。全裸で。
顔を洗ってしゃがみこんでいた僕の顔の前にその無防備な胸とお腹とその下のちょっと僕の口からはさすがに描写できない生まれたままの部分が大画面で広がる。
近くで見ると、マリィとは違って第一印象よりもちゃんと肉付きは悪く無いというか、出るとこは出てて引っ込むところはひっこんでいて女性らしい体つきをしている。
マリィは言い訳不要な貧乳だけど、ピスケスは以外にも――ってなんの実況だよ。僕はいつからおっぱい評論家になったんだ!
「髪が焦げている」
「あ、そう……その、切りに来た……」
どうやら事情を察したらしいピスケスに、僕はしどろもどろで答える。コミュ障発動。
「ピスケスが切ってやろう」
ピスケスはそう言うと、さっそうと湖から上がり、無造作に散らかしてあったタオルで身体を拭いた。
そして裸の上から直接、起きた時のまんまのような子供っぽいネグリジェを着た。
「あの、下着は……?」
「窮屈だからつけない」
「切ってくれるって言ってたけど、ご経験は……?」
「スキンヘッドと丸坊主、どちらが好みだ?」
「アカン!」
「冗談だ、焦げた部分を落として適当に整えてやる。任せろ」
「なんだ、びっくりしたなあ、もう……」
なんだかんだで僕は用意したハサミをピスケスに渡し、散髪が開始された。
「かゆいところはないか」
ご丁寧にピスケスは美容師のまね事のようなことまで言いながら、手際よく焦げた部分を切り落としてゆく。どちらの世界でも美容師は似たようなものなのか。
十分程度で作業は終わり、日も頭を出し始めたので僕は湖に顔を写して出来栄えを確認した。
「どうだ?」
「やだ……これがあたし……?」
焦げていた部分を切り落としただけではなく伸びすぎていた部分を整えたようで、出来栄えは上々だった。
ギャルゲーの主人公みたいだった前髪が目に入らない程度になっている。戦い易そうで悪くない。
「ゆーしゃはなかなか良い素材をしているな。見違えた」
「やだなぁ、せいぜい雰囲気イケメンって程度だよ」
「雰囲気……麺? うまそうだな」
「いや、なんでもない。ありがとう、お世辞でも可愛い女の子にそう言われると嬉しいよ」
「世辞ではない。それと……可愛くも、ない」
ピスケスは頬を染めて顔を逸らした。
無感情に見えて意外と素直なところがあるようだ。
「ゆーしゃは、今、ヒマか」
湖で頭を洗っていると、ピスケスがおずおずと声をかけてきた。
「ん、ヒマだけど」
「ならば釣りをしないか」
「釣り?」
「あの岩の出っ張っているところ、良さそうだ」
ピスケスの指の先には、確かに釣り糸を垂らすには良さそうな岩場があった。
「釣りは素人だけど、やってみるかな」
ピスケスはこくこくと頷く。
そしてそのへんにあった木の枝を折って、手慣れた様子で先に糸をつけ、僕に差し出した。
「え、これ……?」
「釣りは道具ではない、心だ」
なんだか良いこと言ってるような気がするけどピスケスは立派な装飾を施された明らかに高級っぽいロッドを持っている。
そんな僕の視線に気づいたらしく、ピスケスは
「これはゆーしゃには扱えない」
と釘を差した。
「どうして?」
「これはピスケス専用の残響器、名は『アルレシア』。ピスケス以外には心を開かない」
「残響器……このロッドが」
高級そうな釣り用のロッドにしか見えないけど、装飾をよく見るとかなり古く高度な術式回路が組み込まれているようにも見える。
僕は古い魔術や魔法にはあまり詳しくないけど、おそらくそういう技術によって作られた特別製のアイテムだ。
それにしても神の力を一部引き継いだ「残響器」を専用で持っているんだんて、さすがに祓魔師の中でも極一部のエリートが選ばれる十二級祓魔師なんだな、と感心してしまった。
けど――
「なんか台無しな気がするなぁ」
「どうした?」
「いや、何も」
僕とピスケスは並んで釣り糸を垂らしていたが、一向に釣れない。
ていうかよく考えて見れば貴重なレアアイテムである残響器を釣りに使うっていうのはどういうことだ。むしろこの残響器の使い方って本当にこれで合ってるのか?
全然釣れてないし、僕が釣れないのは良いとして、すごそうな道具を使ってちょっと上級者っぽい雰囲気も出してたピスケスが釣れてないってどうよ?
「心が乱れているな、ゆーしゃ」
「……わかるの?」
「釣りは精神修養、さかなを得ることが目的ではない」
「でもさかなは好きなんでしょ?」
「好き。でも求めるものは遠ざかる。心を無にすることだ」
「物欲センサーってやつだね」
さかなというワードを出しただけでよだれが出てるんだから説得力にかけるけど。
とにかく釣りというものはすぐに釣れることを望んだり結果を求めたりしてはいけないらしい。
心を鎮めて自然と向き合うことが重要なんだとさ。
「求めるものは遠ざかる」か。
確かにそうなのかもしれないな。
「隣――よろしいか」
「え……オルセン卿?」
その時突然僕らに声をかけてきたのは騎士団団長ガルドス・オルセン卿だった。
「また僕に勝負でも持ちかけようって?」
「いや、今日は安息日。趣味の朝釣りに参っただけだ。そう警戒なさるな、ハジメ殿」
「……じゃあ、いいけどさ」
オルセン卿は僕の隣に座ると、それなりに本格的な釣り道具を取り出した。
慣れているようだ、釣りには詳しくないけど、たぶんピスケスより。
オルセン卿が格好の良いフォームで針を投げ入れる。
「釣りが趣味なんて、案外庶民的なんだね、オルセン卿」
「ここでは身分や立場は関係ない、堅苦しい呼び名は無しではだめか?」
「……じゃあオルセン」
オルセンは複雑そうな顔をした。名前で呼ばれたかったのだろうか。
だけど僕は男の名前を呼んで喜ぶ趣味はないんだ。
「私もかつては釣りなどと、貴族の嗜みは狩りだと思っていたが……これはこれで面白い。かつての安息日には、ビッグ・Dと私がこうして並んで釣りをしていた」
「ビッグ・Dと……?」
「奴は平民の叩き上げで無作法ものだったが、憎めないやつでな。貴族の私とはソリが合わなかったが、この国を守りたいという信念では一致していた。いつしか無二の親友になっていた。普段は身分の差がつきまとったが、ここではそんなものは関係なかった」
「……そっか」
「奴が死んだと聞かされた時、どこの馬の骨ともしれぬ異世界の勇者とやらのために、なぜ奴が死ななければならなかったのか……。行き場のない怒りがこみ上げてきた、だからハジメ、お前にそれをぶつけた。私の心はまだ弱かったのだ。感情をコントロールできぬほどにな」
「……だけど、それだけ怒れるっていいことだと思うよ」
僕は正直にそうつぶやいた。
「僕はそれほど本気になれる友達って……いたことないからさ」
「ハジメ……お前は」
「悪かったね、勝負に勝つためとはいえ、君の友情と怒りを利用して、侮辱までしたのは事実だ。決闘は僕が勝ったし、君が弱かったのは紛れもない事実だけど……。ここはそんなの関係ない場所なんでしょ。だから一回だけ言うよ――ごめん」
「ハジメ……!」
オルセンは単純にも感激して僕の手を握る。
しかもその時ちょうど、僕の釣り竿に何かがひっかかった気配がした。
「ちょ!」
「お前は案外良いやつだったのだな、私は感動したぞ!」
「いや、そういうのいいから手を離して!」
「ぬっ、どうやら大物にあたったようだな、私も手伝ってやろう!」
アッー!
オルセンが背後から僕の釣り竿を握りしめ、一緒に引っ張った。なんかこの構図って客観的に見ると若干ヤバイ気がするけど。
しかし大物らしいというのは本当だった。なかなか良い手応えだ。
「なんだ、大物か。よし、ピスケスも手伝う」
ピスケスも横から釣り竿に手をかけ、三人が一気に引っ張る。
ミシミシと音をあげようとする木の枝の即席釣り竿。頼むから耐えてくれ!
「よし、三人で一気に引くぞ!」
「わかった、タイミングは任せるよ!」
「おー」
オルセンがタイミングを測り、僕らは1,2,3の合図で全力で釣り竿を引っ張った。
ゾゾッと水面が重い音を立てて盛り上がり、何か巨大な物体が這い出てくる。
「ちょ、これ――デカすぎじゃない!?」
「さかな……でっかいさかな……」
僕が驚いている横で、ピスケスはよだれをたらして目を輝かせていた。ダメだ。
「オルセン、これって!?」
「聞いたことがある、湖の主……自らの認めた『王の器』の持ち主の前にのみ姿を表すと……」
「解説はいいから!」
そうこうしているうちに、湖の主らしき数メートルもある巨大な魚は再び水面下に潜る。
その恐ろしいまでの重みによって結局釣り竿は折れてしまい、主釣りは失敗に終わった。
でも――
「……ははっ、はははははははっ!」
――楽しかった。
僕とオルセンは声を上げて笑った。ピスケスは「さかな……でっかいさかな……」などとまだいじけている。
その姿も面白くて、僕らはさらに笑った。ひとしきり笑ったあと、オルセンは手を差し出してきた。
「友好の証だ。我々はともに困難と対面した……結果は失敗だったが。しかしこの場所で、確かなつながりを得たはずだ。ハジメ……私と、友になってくれないか?」
「オルセン……」
僕とオルセンの目が合う。男と男の熱い友情。なにかこみ上げるものを感じた。
けど――
「――そういうむさ苦しいのはちょっと……」
「おいい! 今、完全に握手をして和解し、友人になる流れだっただろう!」
「男はちょっとご遠慮願いたいかなーって」
「貴様、アンジェリーク様をたぶらかしただけでは飽きたらず、まだそのような不埒なことを――」
「あー、ここでは勝負とか関係ないって言ったのは自分でしょ!」
「問答無用、その腐った根性を叩きなおしてやる、私と勝負しろ!!!」
こうして僕の朝釣りは、オルセンとの追いかけっこで幕を閉じた。
だいたい、友だちになるとかならないとか、いちいち口に出していうのは恥ずかしすぎる。
そういうのって気づいた時には本物になってるんでしょ。
僕は友達が少なかったからそういうのよくわからないけど……。
少なくともオルセンとビッグ・Dはそうだった。
「はぁ……はぁ……」
僕を追いかけて息を切らしたオルセンが小さくつぶやく。
「……アマルガム。奴は私が必ず倒す。ビッグ・Dの敵を取る」
それは無理だ。
はっきりとそう言ってやろうと思ったが、思わぬほど強いオルセンの気迫がそれを止めた。
彼は本気だ。友達のために命を投げ出せる。それも一つの強さだろう。
だけど、結局、彼の実力ではアマルガムには太刀打ち出来ない。間違いなくそうだ。
それが真実だ。
だから――僕が戦わなきゃならない。今度会えば、今度こそヤツを倒す。
ビッグ・Dは弱かった。オルセンも同じだ、アマルガムに勝てるほど強くはない。
弱いのは自分の責任で、そうやって死んでいくのは全部自分のせいだ。同情もできないし、僕はそんな彼らの弱さを救ってやることはできない。
だけど――だからこそ。僕が戦うべきなんだ。
僕は強い。
死んでいったもののためにできることは、その強さを正しく使うこと。
それだけだ。
僕に出来る事は、せいぜいそれだけなんだ。オルセンとは違う。
彼は戦わなくても、違う道を歩けるかもしれない。素直で、人に好かれる。
でも僕は違う。僕に出来る事は、本当にそれだけだから……。
僕はこれからも戦い続ける。




