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人魚姫  作者: 沖津 奏
3/11

03 ヒカリ

 黒い鞄を開けると、そこには注射器や薬瓶のようなものが入っていた。


「なあにそれ?」


 女性が手袋をして、慣れた手つきでネルを抱き上げた。


「ちょっとちくっとするけど、我慢してね」


 いつも言われているセリフなのだろうか。それを聞いてネルは急にびちびちと暴れ始めた。

 女性は何でもないように、ネルの右肩に注射を打った。


「ごめんねー、痛かったね。泣かないのね、偉い偉い」


 ネルは照れくさそうにしている。


「じゃ、次、そっちの子」


 ヒカリは急に抵抗を始めた。女性はスーツに水をかけられたりしながら苦戦している。


「おい、何だあれ」


 僕は中本に尋ねた。


「ああ、マイクロチップさ。個体管理には便利でね。…知らなかったのか?」


 何せ僕は金を出して、放した人魚の様子を見に行くくらいしかしていないのだ。知る由もない。

 やっとヒカリにチップを埋め込んだようで、女性がフラフラと鞄を片付けている。だいぶ派手に水濡れだ。


「あの黒髪の子、怪我してました」


「怪我?」



「ええ、左手首を痛めているみたいです。あと、擦り傷も」


「ふうん…。さっきの急ブレーキでやったかな」


 その後、二人は一度NPOの施設に引き取られることになった。

 しかし、僕は手を挙げた。


「あの…ヒカリを預からせてくれませんか」


「え?」


 女性がきょとんとした。


「僕、樺島製薬会社の社長をしています、樺島大紀といいます」


「あの樺島製薬の…?」


「はい、それで今、人魚にも効く薬を開発していて。この前、水中でも使えるキズ用の薬を開発したんです。サンプルってわけじゃないですけど…」


 女性はじっと僕を見ている。


「もちろん、そちらの判断で構いません」


 僕は付け加えた。

 女性はくるりと向きを変え、ヒカリに話しかけた。


「ねえヒカリちゃん。今からお友達のいっぱいいる所に行くか、このおじさん家に行くか。どっちがいい?」


「お・に・い・さ・ん、ですよ、近藤さん」


「あら失礼」


 ヒカリは近藤さんと呼ばれた女性を見た。


「おともだちって、わたしやネルみたいな?」


「ええ、おにいさんの所には一人で行かなくちゃいけないわ」


 尾びれをぴらぴらさせながら、ヒカリは考えた。


「ねえ、おばさん」


「お・ね・え・さ・ん」


 いや、無理ありすぎだろ…。

 ヒカリは呆れ果てたような顔だ。けど、なんていい子だろう。次の呼び掛けで僕はそう思わざるを得なかった。


「ねえ、おねえさん」


「なあに?ヒカリちゃん」


「わたし、あのおにいさんとこがいい」


 おっと、マジですか!

 僕はにこっと笑いかけた。ヒカリが笑い返す。…結構可愛い。

 近藤さんが僕の方に向き直った。


「それじゃ、あの子のことお願いするわ。怪我だけじゃなくて体調もあまり良くないみたいだし」


 人魚の肌は白い。しかし、ヒカリは病的に白かった。


「もしネルちゃんの前で死なれたりしたら、二人共可哀想だわ。それに、ネルちゃんは大丈夫かもしれないけど、何人もの人魚の中に急に入ったりしたら、ストレスになるわ」


 そしてヒカリもこちらを選んだ。文句はあるまい。


「何もないと思うけど、もし何かあったら、ここに電話してね」


 近藤さんと僕は名刺を交換した。

 ネルはNPOの用意した水槽へ移され、ヒカリはトラックに積まれていた水槽に残った。

 二人は別れを惜しんでいたが、海に帰る時は二人一緒だと聞かせられると、何ともあっさりと別れた。


 幸いにも僕の家は独り暮らしにしては広い一戸建てだし、海にも近い。

 ヒカリの水槽は使っていない部屋に置いた。寝室の隣の部屋だから、何かあればすぐ行ける。



「なあお前、ショタってことはないよな?」


 コーヒーを入れる僕に中本が聞いた。ないって、と僕は即答する。


「会社一筋もいいけど…女作れよ、女。行き遅れるぜ」


「はいはい…」


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