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人魚姫  作者: 沖津 奏
10/11

10 陸にあがった人魚姫

 僕は海へ行かなくなった。きっともう彼女はいないだろう。心ないことを言ってしまったが、もうどうしようもない。ほんの僅かな間の出会いは、一瞬で終わったのだ。

 しかし台風が近付き、空模様が怪しくなるにつれて、僕はやはり心配でならなかった。


「悪いけど―――早退する」


 会社を早めに切り上げ、僕は海へ向かった。地面に叩きつける雨音に鼓動が重なる。気持ち悪くて吐きそうだ。

 海は荒れていた。灰色で、遠くは空と海の区別がない。合羽を着て、僕は慎重に海へ降りた。

 息を飲んだ。ゴツゴツした岩場に、白いものがある。


「ヒカリ!」


 駆け寄ると、冷たい水が足を濡らした。

 ヒカリは薄目を開けて僕を見た。


「ごめんなさい……どうしても、言いたくて……ごめんなさい……」


 こめかみと後頭部が熱い。

 反対にヒカリの体は冷めきっていた。

 僕はすぐさま近藤さんに電話をかけた。彼女はすぐ行くと言ってくれた。


 本当に車を飛ばして来たみたいで、近藤さんはすぐ来てくれた。僕はヒカリを引き上げ、雨の当たらないところへ連れていったばかりだった。

 近藤さんは手際よく彼女を連れ込み、ワゴンの扉を閉め、僕に乗れと言った。


「行くわよ。あなた達、運が良かったわ」


「えっと、それはどういう……?」


 ワイパーが激しく水を散らす。


「ドクター・ロック。彼が今、藤本教授のところへいらしてるのよ。お土産をもって、ね」



 車は藤本教授の研究所に入った。何から何まで設備の整った場所だ。

 ヒカリを見た教授は卒倒する勢いだった。ドクター・ロックはため息をついた。


「やってみるかい、フジモト。材料は揃っているんだろう」


「ええ……可能性があるなら」


 二人はヒカリを連れ、手術の準備を始めた。


「ちょっと、何するんですか!ヒカリになんかしたら、いくら世界の頭脳だからってただじゃおきませんよ!」


 詰め寄る僕を、ドクター・ロックは制して近藤さんを見た。


「ミセス・コンドウ。君から話してもらえるか」


「オーケー、ドクター」


 二人は歩いて行った。

 僕はソファに座り込んだ。


「どういうことです……」


「どういうこと?こっちが聞きたいわ」


 近藤さんは激しい口調で言った。


「言ったはずよ。人魚に魅入られると、溺れてしまうって」


「その意味がわからないんですが」


 近藤さんはため息をつき、今のあなたのことよ、と言った。

 尋問が始まり、僕はこれまでのいきさつを全て話した。呆れた顔で僕を見た近藤さんは、喋り始めた。


「運が良かった、と言ったのは、ドクター・ロックじゃないわ。勿論ドクターもだけれど、彼のお土産ね。なんだと思う?」


 さあ、と僕は首を傾げる。


「ヒカリはね、もともと実験のモルモットだったのよ。藤本教授から聞いた?そう。でも、ただのモルモットじゃないわ。ドナー。人間のドナーとして創られたの」


 近藤さんは一息ついた。


「彼女はある女性のDNAを組み込んで創ったの。その本体が何かあったら、すぐに交換出来るように。まあ、下半身は魚だけど。でもね……その人、先日事故で亡くなってしまって。ドクターがそれを聞いて、体をすぐ保存してこっちへ持ってきたの。勿論これはレシピエントの生前の同意に基づくわ」


「ってことは、今ドクターと教授は……」


「実験をしてるのよ。ドナーとレシピエントが入れ替わっただけよ。やってることは同じだわ」


 そんなことがあっていいのか、と僕は憤りを覚えた。しかし、ふと思った。ヒカリが生きれるならなんでもいいじゃないか。

 近藤さんはそれを見透かしたように言った。


「ほら、あなた今思ったわね。ヒカリが助かるならどうでもいいって。同じことよ。あなたは今、彼女と同じDNAを持つ女性をドナーにしたんだわ」


 気まずい沈黙が流れた。そのまま三時間が経った。彼らはまだ手術室から出てこない。


「ドクターと教授はヒカリから声を取り上げたりしないけど……いい?彼女を泡にするかどうかは、あなたにかかってるのよ。これからどうするか、よく考えるといいわ」


「大丈夫です」


 僕は不安の中、近藤さんの言葉の中に一つの希望を見いだして微笑んだ。


「僕達は、人魚姫を泡にしない方法を知っていますから」


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