三年ぶりに帰ってきた夫に私は完璧な微笑みを浮かべた
「マリアを匿うことにした。クリスティナ、別邸を整えろ」
ラグザスが三年ぶりに帰って来たと思ったら、わけのわからないことを言った。
クリスティナは、するりと非の打ち所のない完璧な微笑みを浮かべた。
結婚式後、初夜を放ってさっさと王都に戻り、いつの間にか側妃の護衛に納まって三年、全く音沙汰なかった夫である。
それなのに、謝罪も労いもなく何もなく、当たり前のように居丈高に命令してきた。
綺麗な型にはまったような微笑みをキープしながら、クリスティナの目はひんやりと目の前の男を見つめた。
ガラッド辺境伯家の血筋を表す燃えるような紅髪に、切れ長で鋭い黒曜石の瞳。
相変わらず無駄に整った威圧感のある美貌の夫を前に、そういえばこんな顔だったなぁと淡々と思った。
「お久しぶりです、ラグザス様。で、どういうことでしょうか?」
クリスティナは、ラグザスの腕の中のマリアをチラと見て言った。
どう見ても護衛騎士と王太子の側妃の距離感ではない。
「チッ、相変わらず嫌味な女だ。少しはマリアの愛らしさを見習えばいいものを」
ラグザスは舌打ちして侮蔑するように言った。
こちらの可愛げより自分の常識を直すべきだろう。いくら、ラグザスとマリアが学園時代に仲が良かったとしても、今は王太子の側妃の位のマリアを名前呼びはありえない。
まあ、それを良しとするマリアもありえないが。
もちろん、言っても無駄な相手にこちらも労力を割くつもりは欠片もない。
クリスティナは、完璧な微笑みを崩すことなくラグザスの次の言葉を待った。
「チッ、マリアが王太子の子を身籠ったため、王太子妃に命を狙われている。辺境伯領で匿うことにする」
再度の舌打ちも含めて、ツッコミどころが満載の言葉であった。
そもそもマリアは、学園時代これみよがしに高位貴族を侍らせ、挙げ句の果ては婚約者のいる王太子まで落とした女だ。
卒業パーティーでの、王太子の婚約破棄宣言は衝撃だった。
高らかに愛をシャウトする王太子に、恋に落ちると人はここまで愚かになってしまうのかとみんなが引いた。
王太子の婚約者は、広大な領地と権力を持つバルトロ公爵家の令嬢リリアナだというのに、よくもまあ、こんな怖い家にケンカを売れるものだとドン引きである。
結局この珍事件は、リリアナの一言であっさり王太子が酒に酔ったせいという定番に片付けられ、何事もなかったようにリリアナは王太子と結婚した。
ついでに、マリアは側妃におさまった。
優秀であったはずの王太子が、マリアが絡むと途端にボロボロやらかすということが卒業パーティーで立証されたため、マリアを置いておいた方が王太子の弱みを多く握れるという判断だった。
但し、マリアに子供を生ませないこと、表に出さないという条件付きである。
その後、バルトロ公爵家は王太子の弱みを握りじわじわと王家の求心力を削いでいき、今や王太子妃ながらリリアナがこの国一番の権力者となった。
だというのに、マリアが妊娠したと。
そのうえ、この辺境伯領で匿うと。
辺境伯領を焦土にするつもりだろうか?
「ラグザス……」
不安げに涙を浮かべるマリアを、ラグザスが大切な宝物のように抱きしめた。
「マリア、大丈夫だ。私が必ず守る」
それが爆弾だと理解しているだろうか。いや、理解できないお花畑だったか。
「さっさと別邸を整えて来い」
マリアに対する柔らかな視線とは違う、鋭い口調でラグザスは命令した。
「……かしこまりました」
クリスティナは丹田に力を込めて微笑んだ。
◆
「わあ、素敵なお部屋!」
華やいだ声をあげるマリアに、ラグザスは満足そうに微笑んだ。
「気に入ってもらえて良かった」
クリスティナの用意した別邸は、本邸から離れた場所に建っており、その大きさも大分こぢんまりとしていた。
しかし内装は美しく、付けられたメイド達も有能な者ばかりで快適だった。
さすがはクリスティナだと思うと同時に、やはり完璧過ぎて可愛げがない女だと思った。
ガラッド辺境伯家嫡男であるラグザスと、メニエ侯爵家の娘であるクリスティナは、十五歳になる年に婚約した。
紛うことない政略結婚だった。
しかし、ラグザスにはすでに心から愛する少女がいた。
それが、マリアであった。
春の陽射しのような柔らかなピンクの髪に、よく晴れた青空色の大きな瞳。色白の肌に、薔薇の花弁のような紅い唇。
ラグザスは、ひと目でマリアに恋をした。
彼女のくるくると変わる愛らしい顔が好きだった。
嬉しければ大きな口を開けて笑い、悲しければ人前でもボロボロと泣く感情豊かなマリアの魅力は、自分だけでなく数多の男を惹きつけた。
しかし、マリアが愛するのは自分だと自信があった。
マリアは困ったことがあると一番にラグザスを頼りにしていたし、頬に口づけられたこともあったからだ。
それなのに、ラグザスはガラッド辺境伯嫡男として婚約しなくてはならなかった。
ラグザスは、その不幸を嘆いた。
顔合わせの席で初めて会ったクリスティナは、確かに美しい少女だった。
月の光のような白金の髪に涼やかなアメジストの瞳。陶器のようになめらかな肌に薄紅色の唇。
一分の隙なく背筋を伸ばして、作り物めいた美しい微笑を浮かべたクリスティナは、まるで温かみのない人形のように感じた。
その豊かな知性をひけらかして喋る姿も、流れるような立ち居振る舞いも、クリスティナの全てがラグザスの鼻についた。
マリアとは、何もかもが違いすぎた。
ラグザスは、マリアとの仲を裂くクリスティナに苛立ちをぶつけた。
「クリスティナ。お前は、ずっと薄ら笑いを浮かべて気持ちが悪い」「お前は何を考えているかわからなくて不快だ」「マリアの無邪気な笑顔を見習え」等々……。
どれも真実だから、クリスティナにぶつけて当然だと思った。
何を言われても、クリスティナがいつも完璧な微笑みを浮かべているのも気に食わなかった。
少しはマリアのように甘えたり、頼ったりしてくれれば可愛げもあるのにと、クリスティナを見るたびに憎々しく思った。
マリアとの仲をわざと見せつけたこともあったが、クリスティナの完璧な微笑みは変わらなかった。
ラグザスは、そのうちマリアを愛人にするのもいいかもしれないと思うようになった。
いつも微笑んで受け止めてくれるクリスティナなら、マリアのことも受け入れてくれるだろうと夢見た。
しかし、それは王太子によって断たれてしまった。
学園の卒業パーティーで、まさかの王太子がマリアと結婚をすると婚約破棄を宣言したのだ。
可哀想に、王太子相手ではマリアも従うしかなかったのだろう。
結局、それは酒に酔った王太子の冗談として処理されたが、そんな騒ぎに巻き込まれてマリアは側妃にされてしまった。
さすがにこうなっては、マリアを諦めるしかないと思った。
その後、ラグザスは領地でクリスティナと結婚式を挙げることとなった。
心ではマリアを求めながら、ラグザスは辛い運命を受け入れた。
しかし、運命はやはり愛し合う二人の味方だった。
結婚式に招待していた友人が、マリアからの手紙を届けてくれたのだ。
手紙には、ラグザスに護衛になって王太子妃であるリリアナから守ってほしいと書かれていた。
側妃となってしまったが、ラグザスのそばにいたいというマリアのいじらしい愛を感じた。
まるで物語の主人公にでもなった心地で、ラグザスは夜に紛れてマリアの下に向かった。
初夜のことなど、すっかり頭になかった。
久しぶりに会ったマリアは、ラグザスの乾いた心を満たしてくれた。
当たり前だが、側妃であるマリアには指一本触れることはできない。
それでも、マリアがラグザスに甘えて頼ってくれるだけで、確かな愛を感じ幸せだった。
もちろん、初夜をすっぽかし勝手に王都に行ってしまったラグザスを、両親は怒り連れ戻そうとした。
当然、無視した。
ただクリスティナだけは、ラグザスのことを理解してくれ自由にさせてくれた。
今振り返ると、クリスティナはラグザスのために完璧であろうとしていたのかもしれない。
それだけ、深く愛してくれていたのだろう。
だから、マリアが王太子の子を身籠り、王太子妃に狙われる事態になった時、ラグザスは速やかに怯えるマリアを辺境伯領に匿うことを決めた。
クリスティナなら、微笑んで自分を迎えてくれると確信していた。
そして、それは思った通りであった。
クリスティナは、笑ってラグザスを受け入れてくれた。
これだけ尽くしてくれるなら、クリスティナのことを認めてやってもいいような気がした。
何より、三年ぶりに見た彼女は凛とした美しさの中に匂い立つような色香を放っており、抱かないで放っておくのはもったいなく感じてしまった。
「ラグザス、私を守ってくれる?」
鋭い女の勘か、そんな桃色のことを妄想するラグザスに、マリアがギュッと抱きついた。
潤んだ青い瞳と直に感じる柔らかな体に、途端にラグザスはクリスティナのことなんて忘れて顔を赤らめた。
「マリア、命の限り君を守ろう」
「嬉しい!」
そんな下手な三文芝居のような二人の様子に、メイドは冷ややかな視線を送った。
ひと月ほど経った頃、クリスティナが別邸に訪れた。
「突然なんの用だ」
甘いひと時を邪魔されたラグザスは、憮然とした顔でクリスティナを迎えた。
マリアが怯えたようにラグザスに縋りついた。
「ラグザス様、王太子妃殿下がマリア様を探しているようです」
クリスティナは、完璧な微笑みを浮かべて伝えた。
勢いでマリアを連れて逃げてきたものの、いざ本当に王太子妃の手が迫っていると思うと血の気がひいた。
しかしそれがばれるのは嫌だったので、ごまかすようにラグザスはクリスティナを怒鳴った。
「笑いながら言う話ではないだろう!」
「まあ、それは失礼いたしました」
しかし、クリスティナの表情はやはり変わらない微笑みを浮かべていた。
「もし王太子妃の手の者が来たら、辺境伯家の武力を以て追い返せばいい」
ラグザスは虚勢を張って低い声で言ったが、本当に王太子妃と敵対することを考えると恐怖に震えた。
どうすれば、どうすれば、と焦りで頭がぐらぐらした。
「いっそ、国外に行かれては如何でしょうか? アルテス国に保護を頼むのです」
そこに、クリスティナがポンと解決策を出してくれた。
「ラグザス、私アルテス国に行きたい。フォスターもいるでしょう? きっと助けてくれるわ」
フォスターは、学園時代に留学していたアルテス国の第二王子である。
彼はラグザスの友人であり、またマリアの崇拝者の一人だった。
フォスターなら助けてくれるはずだ。
「僭越ながら、アルテス国に書簡を送ったところ、良いお返事をいただいております」
クリスティナは、まるで判で押したような微笑みを浮かべながら言った。
「そうか、よくやった。さすがクリスティナだな」
ラグザスは安堵し、珍しく手放しでクリスティナを褒めたが、彼女のその微笑みは特に変わることはなかった。
ラグザスとマリアは、クリスティナの手配で速やかにアルテス国に渡った。
その先が地獄だとは知らずに――。
◆
クリスティナが、もしもラグザスに素直な自分の表情を見せたとしたら、それは一人きりで部屋にいる時に大嫌いな虫を見つけた時の顔だろう。
ラグザスは、虫唾が走るほど嫌いな相手だった。
学園で、高位の存在でありながら、平民であるマリアに媚びへつらう王太子達の姿を見かけるたびに眉を顰めていた。
侯爵令嬢として、責任と矜持を持って自分を磨いてきたクリスティナからしたら愚か者の集団に見えた。
その中の一人、ラグザスが婚約者に選ばれた時はあまりのショックに一日寝込んだほどだ。
しかし、その婚約の意味をきちんと理解していたクリスティナは、気持ちを切り替えて顔合わせの場に臨んだのだ。
ラグザスも腐っても辺境伯令息、きちんと高位貴族の立場として接してくれるのではと淡く思ったが、やっぱりというか、案の定というかラグザスはラグザスであった。
「ずっと微笑んでいて、お前は何を考えているかわからなくて不快だ」
ずっと無言でこちらを睨んでいた彼が、やっと口を開いた言葉がこれだった。
クリスティナは、感情を読ませないように微笑みで隠しているのだから、何を考えているかわからないように見えるのは当たり前のことだ。
婚約するとはいえ、会ったばかりの信頼も何もないラグザスに感情を見せるなどあるわけがない。
逆に、よくも初対面の自分にあけすけに感情を見せるものだと呆れて微笑みが深まる一方だったのだ。
クリスティナもラグザスも、お互いが嫌いなのは同じだった。
ただ、高位貴族としてそれを見せるか隠すかの違いしかなかった。
クリスティナは、ラグザスと接するたびに嫌い指数が上昇した。
それを隠すために、ラグザスの前では気合を込めて微笑んだ。少しでも、気を緩めたら淑女としてあるまじき顔になっていただろう。
さっさとラグザスが告白して、廃嫡されたらいいのにと心から願ったが、彼にそんな度胸も覚悟もなく、結局、結婚式を迎えてしまった。
ラグザスとの初夜、クリスティナは貴族令嬢として覚悟を決めていた。
虫ほどに嫌いな相手でも、ガラッド辺境伯家の血を引く後継を生むのだと、心を殺して寝室で夫となるラグザスを待った。
しかし、ラグザスは潔く嫡男の座を降りるでもなく、宙ぶらりんのまま辺境伯嫡男の義務から逃げた。
まさかの初夜のボイコットに、クリスティナは微笑みながら青筋を浮かべるという技を習得してしまった。
次の日、ラグザスのしでかしを知った彼の両親は這いつくばる勢いで謝罪してきたが、クリスティナは完璧な微笑みでそれを流した。
もうすっかりラグザスのことは見切りをつけていた。
すぐさま精力的に動き、わずかひと月ほどでガラッド辺境伯の一族を掌握し、一族会議で当主の弟の次男であるユーリアスをガラッド辺境伯の後継に指名させた。
しかし、ラグザスはガラッド辺境伯夫妻にとってやっとできた一人息子であった。ラグザスを廃嫡することだけはなんとしても回避したかったようだ。
ガラッド辺境伯は、表向きはラグザスを嫡男のままにすることを条件にユーリアスを養子とし、その権力の全てをクリスティナに渡したのだった。
「お初にお目にかかります。ユーリアス・ガラッドでございます」
辺境伯の副騎士団長として務めていたユーリアスは、引き継ぎの関係で初夜を行うこの時が初めての顔合わせとなってしまった。
できることなら、多少の親交を深めてからが良かったが、諸々を鑑みてラグザスが放り捨てた初夜をこれ以上伸ばすわけにはいかなかった。
礼儀正しく礼を執るユーリアスは、クリスティナより二つほど上で落ち着いた印象を受けた。
ラグザスと同じ紅髪に黒眼であったが、その顔立ちは全く違って黒い瞳は理知的で、スッと通った鼻筋に精悍な頬、唇には貴族らしい穏やかな微笑みを浮かべた抜け目ない雰囲気の男性だった。
薄い夜着から見える体つきも、辺境伯を守る騎士らしくしなやかな筋肉が付いているのがわかった。
「楽になさって。どうぞよろしくお願いしますね」
クリスティナは、完璧な微笑みを浮かべてユーリアスを寝室に招いた。
身につけた薄い夜着は、二度目ではあるがやはり恥ずかしく感じたが、それは微笑みに隠した。
「ガラッド辺境伯領を見捨てることなく、この地に留まってくださったことに感謝申し上げます」
ユーリアスは、寝室に入ると深く頭を下げた。
その真摯な礼にクリスティナは、ほんの少し興味を引かれた。
「あなたは、メニエ侯爵家とガラッド辺境伯家の婚姻の意味を理解しているのですね」
「はい。辺境伯家だけでは、隣国からの襲撃に耐えるのは難しかった。しかし、武の一門であるメニエ侯爵家と婚姻により結びついたことにより、隣国に対する抑止力となりました」
そう、この婚姻は国を守るために必要なものだったのだ。
隣国と隣接する辺境伯領は、近年水面下で国境付近で小競り合いが頻発していた。
しかし、ガラッド辺境伯家と武の一門であるメニエ侯爵家が婚姻によって結びつけば、隣国も侵略が難しくなる。
万が一、隣国がガラッド辺境領に攻め入って来ても、婚姻関係を理由に速やかに援軍を送ることができる。合同の演習も可能になるだろう。
だから、なんとしてもガラッド辺境伯家はメニエ侯爵家と婚姻を結ぶ必要があった。両家の血を引く子供ができれば、二家の絆はより強固になる。
メニエ侯爵家としても貴族の義務として、国も民も守らなくてはならない。
そのための政略結婚だった。
「ユーリアス様。私があなたに望むことは、ラグザス様に代わって嫡男の義務を果たしていただくことだけです」
クリスティナは微笑んだまま、しかしユーリアスの目を強く見つめて言った。
愛することも、愛されることも考えていない。
「はい。辺境伯家の者として務めを果たします」
ユーリアスは、躊躇うことなくクリスティナの手を取った。
そこになんの熱も感じることはなかった。
ただ、強く握られた手にユーリアスの覚悟を感じた。
(今から、私はこの男に抱かれる)
そう意識した途端、クリスティナの手が微かに震えた。
ラグザスよりは比べるまでもなくマシではあるが、初めて会った相手に体を開くことはやはり恐怖を感じた。
ぐっと、微笑みに力を込めた。
ユーリアスは、多分気づいていただろうが何も言わなかった。
ただ、ずっとその手は温かく優しかった。
クリスティナもユーリアスも、初めは愛情なんてなかった。
あるのは、貴族としての責任感だけだった。
大きな何かがあったわけではない。
ただ、毎日を誠実に向き合い、会話を重ねてお互いを知っていっただけだった。
気づいたら、クリスティナはユーリアスの前では完璧な微笑みの代わりに涙を、怒りを、そして、心からの微笑みを浮かべるようになっていた。
クリスティナは、三年ぶりに帰って来た名ばかりの夫には、条件反射のように微笑みですっぽり壁を作った。
くっついているマリアを見ても、もちろん嫉妬なんて起きるわけもない。
せっかくガラッド辺境伯がラグザスの嫡男の座を守ろうとしたのに、当の本人がやらかすなんてと、その呆れた気持ちを微笑みに押し込めた。
当たり前のように命令するラグザスに、イラッとする気持ちを、微笑みに綺麗に隠した。
頭の中では、冷静にこの機会にラグザスを辺境伯家から切り離すことを画策した。
速やかに二人を別邸に押し込めると、叛意の意思はないことを示すために王太子妃であるリリアナに書簡を送った。
王城は、すでにリリアナと公爵家を中心に回っており王家はただのお飾りだ。
王太子の唯一の仕事は、種馬として血を繋ぐことだったが、それも、リリアナは二人の息子を産み、今現在も懐妊しているということで、王太子はもう断種されているそうだ。
ということは、マリアのお腹の子供はラグザスの子かとも思ったが、宙ぶらりんのラグザスは結局マリアとそういったことはできていないそうだ。
マリアに侍っている、見目の良い下位の使用人の誰かだろうということだった。
もう、マリアを庇う王太子になんの力もない。
ラグザスは、辺境伯家に厄介ごとを持ち込む疫病神のような存在に成り果てた。
さすがの辺境伯も、下手をしたら謀反を疑われるような今回の一件はラグザスを庇うこともできなかった。
幸いなことに、いち早くリリアナに伝えたため辺境伯家は睨まれずに済んだ。
ラグザスは、表向きはマリアと共に外出先で襲撃に遭い殺害されたと処理された。
もちろん、実際は違う。
ラグザスとマリアは、アルスタ国のフォスターが自分達を保護してくれると信じているが、それは無理なことだった。
彼の国で第二王子であったフォスターは、すでにアルスタ国から遠く離れたイデル帝国に婿に出されていた。
学園時代、せっかく留学したというのに勉強をさぼって、マリアや王太子と遊び惚けていたことが問題となり、帰国後すぐに資源豊かなイデル帝国の親子ほど年の離れた女王の後宮に贈られたそうだ。
マリアもラグザスもそのことを知らなかった。
フォスターを友人と言いつつ、彼のその後には全く関心がなかったのに、よくもまあ厚顔無恥に助けてくれると思えたものだ。
マリアとラグザスも、アルスタ国を経由してフォスターと同じく女王の後宮に贈られた。
きっと、今頃はフォスターと感動の再会ができているかもしれない。
フォスターがまだ生きていればだが。
女王は男女問わず綺麗な者がお好きで、それはそれは執拗に可愛がってくれるのだそうだ。
しかも、その手足には逃走防止の枷が付けられるとか。
一体どれほど可愛がられるのかは、女王と後宮の者だけの秘密だ。
二人のお陰で輸入枠が増えたと、リリアナも大層お喜びらしい。
最後に役立ってくれて良かった。
◆
「ちちうえ〜」
クリスティナの腕に抱かれた、小さな男の子が舌足らずな声でユーリアスを呼んだ。
辺境伯の一族特有の紅髪黒眼の、ユーリアスにそっくりな容姿のその男の子は、ユーリアスとの間にできた息子だった。
初めクリスティナは、表向きはラグザスの子供で構わないと思っていた。
貴族令嬢として、ガラッド辺境伯家とメニエ侯爵家を繋ぐ役割さえできればいいと思っていたのだ。
しかし、クリスティナはいつの間にかユーリアスを愛していた。そして、それはユーリアスも同じだった。
ルシュカが初めてユーリアスを「ちちうえ」と呼んだ時、クリスティナはあまりに愛しくて胸がいっぱいになった。
同時に、ルシュカがラグザスを「父上」と呼ぶことを許せないと思ってしまった。
貴族令嬢として、常に正しくあったクリスティナの初めてのわがままだった。
それからはラグザスを廃嫡するべく画策した。
まさかラグザスがこんなに盛大にやらかしてくれるなんて嬉しい誤算だった。
ルシュカは、クリスティナとユーリアスの息子として正式に受理された。
「ただいま、ティナ。ルシー」
ユーリアスは、蕩けるように笑うとルシュカごとクリスティナを抱きしめ口づけた。
出会った頃の、一定の距離感は今やゼロ距離である。辺境伯領でも有名な溺愛っぷりだった。
「おかえりなさい、あなた」
クリスティナも、ホッとしたようにへにゃりと微笑んだ。
それは完璧な微笑みではなく、ほんの少し不恰好な、でも、心からの微笑みだった。
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