表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

99/99

夜の風

 裏庭は、昼でも人が少なかった。


 剪定された低木の間を、風が抜けていく。

 小さな噴水の音が、一定のリズムで響いていた。


 エリナは、石の縁に腰を下ろす。

 仕事の合間、少し遠回りしただけだ。


 足音がして、

 隣に人の気配が増える。


「ここは、まだ手が入っていないんだな」


 バルディンだった。


「ええ。表は整えられていますけど」


 それだけ返す。


 視線は、植え込みに向けたまま。


「噴水の音が、前より大きい気がする」


「部品を替えたそうです。詰まりが出ていたとか」


「そうか」


 会話は、途切れる。


 けれど、

 急いで埋める必要はなかった。


 風が吹く。

 葉が擦れる音がする。


「南区は、忙しいか」


「季節の変わり目なので」


「……無理はするな」


 忠告とも、命令ともつかない一言。


「気をつけています」


 それで、話は終わる。


 しばらくして、

 エリナが立ち上がる。


「では」


「ああ」


 すれ違うとき、

 肩が触れそうになって、

 触れなかった。


 距離は、

 ちょうどよかった。


 裏庭には、

 噴水の音だけが残る。


 何も決めず、

 何も壊さないまま。


 それでも、

 会話は、成立していた。


ーー


 夜の風は、思ったより冷えていた。


 中庭を抜ける途中、エリナは立ち止まる。

 石畳に、細かな影が揺れている。


「……寒いですね」


 自分でも、どうでもいい言葉だと思った。


 隣に立つバルディンが、少しだけ視線を上げる。


「ああ。日が落ちるのが早くなった」


 それだけ返して、歩き出そうとする。


 ――だが。


 次の瞬間、

 肩に、重みが落ちた。


 外套だった。


 昔と同じ色。

 同じ厚み。


 けれど、

 包み込むような仕草ではない。


 ただ、

 必要な位置に掛けられただけ。


 エリナは、一拍置いてから、布の端に指をかけた。


「……まだ、持っていたんですね」


 問いではなかった。

 責める響きもない。


 バルディンは、少し間を置いて答える。


「ああ」


 理由は言わない。

 説明もしない。


 それで、十分だった。


 歩き出す。


 歩幅は、自然に揃う。


「明日は、南区に戻る予定です」


「そうか」


「薬草の納品があって」


「……量は足りているか」


「ええ。今のところは」


 会話は、淡々としている。

 特別な意味は、どこにもない。


 沈黙が挟まる。


 けれど、

 気まずさはなかった。


 中庭の端まで来て、

 エリナは足を止める。


「では、ここで」


 外套を返そうとして、

 少しだけ迷う。


 バルディンは、それを見て言った。


「今日は、そのままでいい」


 命令でも、

 許可でもない。


 ただの判断。


「……分かりました」


 エリナは、外套を肩に残したまま、一礼する。


 去り際、

 ふと、振り返る。


「明日は、雨になるそうですよ」


 どうでもいい話。


 バルディンは、頷く。


「そのようだな」


 それで、終わりだった。


 呼び止めることも、

 約束を交わすこともない。


 それでも、

 背を向ける足取りは、軽かった。


 外套は、まだ温かい。


 誰かに与えられたものではなく、

 奪われたものでもない。


 ただ、

 今の距離に合った形で、

 そこにある。


 夜は、静かに更けていく。


 二人は、

 それぞれの場所へ戻る。


 ――けれど。


 戻る、という言葉が、

 もう過去を指さないことだけは、

 はっきりしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ