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これは、役割だ

 執務机の上に、数枚の書類が並んでいた。


 薬剤の供給報告。

 治療成績の推移。

 王都南区の医療体制に関する整理案。


 王女は、それらに目を通し、ペンを取る。


「王宮内と市中で、回復事例に差が出ていますね」


 向かいの官吏が頷く。


「能力者の関与率の違いかと」


「ええ。ですから――」


 王女は一枚を示した。


「治癒に頼らない場合の回復過程を、整理したいのです。

 南区の薬局に所属する薬剤師数名を、臨時で招集してください」


「……殿下の件、でしょうか」


「個人のためではありません」


 即答だった。


「今後の体制のためです」


 官吏は納得したように書き留める。


「該当者を選定します」


「通常の手続きを踏んでください」


 王女は一度だけ視線を落とし、何気なく付け加えた。


「……登録者一覧に、腕の確かな方がいましたね」


「エリナ・薬剤師ですか?」


「ええ。その方も含めて」


 それだけだった。


 官吏が退室し、室内に静けさが戻る。


(……会えばいい、とは言わない)


 王女は、そう思う。


 選ぶのは、あの人だ。


 会っても、何も起きなくていい。

 ただ、同じ場所に立てるようにする。


 それだけで、十分だった。


 命令は、すでに出ている。


 あとは、それぞれの選択に任せるだけだった。


ーー


 目覚めたとき、

 身体が、少しだけ軽かった。


 劇的な変化ではない。

 痛みが消えたわけでもない。


 ただ、

 起き上がる動作が、

 昨日よりも滑らかだった。


(……回復している?)


 そんなはずはない。


 治癒は受けていない。

 薬も、特別なものは使っていない。


 訓練量も、

 仕事の負荷も、

 変えていない。


 理由は、ない。


 それでも。


 昼過ぎ、

 執務机から立ち上がったとき、

 息が、以前より深く吸えた。


 胸の奥に残っていた

 重さが、

 わずかに薄れている。


(……偶然だ)


 そう結論づける。


 回復とは、

 直線的に進むものではない。

 よくある話だ。


 ――なのに。


 ふと、

 思い出してしまった。


 昔のこと。


 何も知らないまま、

 肝臓が治っていた夜。


 酒を飲んでも、

 翌朝の痛みがなかった。


 理由を探して、

 最後に辿り着いた答え。


(……まさか)


 その考えを、

 即座に切り捨てる。


 そんなはずはない。


 今は、

 治癒能力者と接触していない。


 彼女は、

 ここにいない。


 それに――


(もう、ああいう関わり方はしない)


 自分で決めた。


 だから、

 これはただの回復だ。


 栄養か。

 休養か。

 時間の問題か。


 理由は何でもいい。


 必要なのは、

 説明ではなく、

 機能だ。


 今日を問題なく

 終えられるかどうか。


 それだけだ。


 バルディンは、

 その違和感に名前をつけず、

 再び書類へ視線を戻した。


 胸の奥に残った

 微かな引っかかりを、

 なかったことにして。

 料理長を呼んだのは、

 単なる確認だった。


「最近の食事内容がいい。

 功があったのなら、褒美を取らせよう」


 料理長は一瞬、目を瞬かせた。


「……ああ、いえ。

 私の手柄というほどでは」


 歯切れが悪い。


「指示が、ありましたので」


「指示?」


 問い返した声は、平坦だった。


「南区の薬剤師の方から。

 回復期の食事について、少し――」


 名前を聞く前に、分かった。


 胸の奥が、わずかに沈む。


「……そうか」


 それ以上、聞かなかった。


 料理長を下がらせ、

 部屋に一人になる。


(仕事だ)


 そう結論づける。


 専門家として、

 必要な助言をしただけ。


 それ以上でも、

 以下でもない。


 意味を与えるな。

 期待するな。


 これは、

 役割だ。


 バルディンは、

 そう自分に言い聞かせ、

 机に戻った。


 それでも、

 胸の奥に残った

 微かな揺れだけは、

 完全には消えなかった。


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