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名前も知らない声に

夜更けになっても、エリナは眠れずにいた。


 蝋燭の火はすでに消しているのに、天井の闇がやけに重い。

 何度も寝返りを打つたび、胸の奥がざわつく。


(……どうして、こんなに落ち着かないの)


 理由は、分かっている気がした。

 分かってしまうのが、怖くて、考えないようにしているだけだ。


 ふいに、低い声が耳に蘇る。


(余計なことをするな)


 昼間、王宮で聞いたはずの声。

 誰かに向けて放たれた、冷たく、逆らうことを許さない響き。


 私に言われた言葉じゃない。

 そう、何度も自分に言い聞かせる。


 なのに――


(どうして、忘れられないの……)


 胸に手を当てると、鼓動が少し速くなっているのが分かった。

 理由の分からない緊張と、微かな熱。


 エリナは身を起こし、窓辺へ近づいた。

 夜の庭は静かで、風に揺れる木々の音だけが聞こえる。


 あの声の主の顔は、思い出せない。

 そもそも、ちゃんと見たわけでもない。


 名前も、身分も知らない。

 それなのに――声だけが、はっきりと残っている。


(……変よ。おかしい)


 エリナは自嘲するように小さく息を吐いた。


 妃候補として城に来てから、

 噂や視線に心を乱されることはあっても、

 見知らぬ男の声ひとつで、こんなにも落ち着かなくなるなんて。


 そのとき、廊下の向こうから足音が聞こえた。


 エリナは思わず、身を固くする。


 ――でも、足音は通り過ぎるだけだった。


 胸に溜まっていた息を、ゆっくりと吐く。

 自分が、何かを期待してしまったことに気づいて、顔が熱くなる。


(……違う。違うわ)


 誰かに会いたいわけじゃない。

 あの声の正体を知りたいわけでもない。


 ただ――


(もう、関わりたくない)


 そう思うのに、

 耳の奥では、あの低い声が、まだ消えずに残っている。


 まるで、命令のように。


 エリナは再びベッドに戻り、目を閉じた。

 けれど、眠りは訪れなかった。


 その頃。


 王宮の別の一室で、ひとりの男が、静かに口元を歪めていた。


「……覚えてるか」


 誰に聞かせるでもない独り言。


 報告を終えた侍従が、頭を下げる。


「妃候補のエリナ様は、本日も部屋に籠もっておられます。

 夜も、灯りが消えるのが遅かったようで……」


「そうか」


 男はグラスを傾けながら、低く笑った。


(やっぱり、純粋だな)


 声だけで、これだ。

 顔を見せる必要すらない。


 ゆっくり、時間をかけていい。


 逃げ場のない場所で、

 少しずつ、こちらを意識させればいいだけだ。


(余計なことをするな、って言っただろ)


 心の中で呟きながら、男はグラスを置いた。


 まだ、名前を明かすつもりはない。

 まだ、正体を知る必要もない。


 ――壊れる寸前に、優しくしてやればいい。


 そのときには、きっと。


 彼女はもう、

 あの声から、逃げられなくなっている。

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