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役目のない朝

 朝の光が、窓から差し込んでいた。


 強くもなく、

 眩しすぎることもない。


 ただ、そこにある光。


 エリナは、ゆっくりと目を開けた。


(……朝だ)


 それだけのことが、

 少しだけ不思議に感じられる。


 王宮にいた頃は、

 朝は「始まり」ではなかった。


 役目の再開。

 期待の再開。

 立って、動いて、応えるための合図。


 けれど今は――


(……起きても、起きなくてもいい)


 そう思える。


 身体を起こす。

 まだ、少し重い。


 治癒の代償は、

 すぐに消えるものじゃない。


 でも。


(……痛い、って思える)


 その感覚が、

 どこか現実的だった。


 顔を洗い、

 水を飲む。


 誰かに見せるためでも、

 褒められるためでもない。


 ただ、

 喉が渇いたから。


 それだけ。


 外に出る。


 朝の街は、

 まだ完全には目覚めていない。


 店の戸を開ける音。

 箒で道を掃く音。

 遠くで交わされる、短い挨拶。


 誰も、

 エリナを見ていない。


 それが、

 なぜか――安心だった。


(……何者でもない)


 妃候補でもない。

 治癒能力者でもない。

 役に立つ存在でもない。


 ただ、歩いている人。


 それだけ。


 市場の端で、

 果物を売る老女と目が合った。


「今日は、甘いよ」


 それだけ言われる。


 エリナは、少し迷ってから、

 小さな実をひとつ買った。


 理由はない。

 食べたかったわけでもない。


 ――ただ、勧められたから。


 それを、

 「断らなくていい」自分に、

 少しだけ驚く。


(……前なら)


 役に立つか。

 必要か。

 誰かの役に立つ行動か。


 必ず考えていた。


 でも今は。


 噛む。

 甘い。


 思わず、

 口元が緩んだ。


(……おいしい)


 それだけで、

 胸の奥が、ほんの少し温かくなる。


 何もしていない。

 誰も救っていない。

 何も差し出していない。


 それでも。


 今、自分は――生きている。


 道の端に腰を下ろし、

 しばらく空を見る。


 雲が、ゆっくり流れている。


 急がなくていい。

 選ばれなくていい。

 期待に応えなくていい。


(……息、してる)


 深く吸って、

 吐く。


 それだけで、

 胸が苦しくならない。


 ふと、

 思い出しそうになる。


 低い声。

 視線。

 何も言わない時間。


 ――でも。


 今日は、

 無理に思い出さない。


 忘れようとも、

 押し込めようとも、しない。


 ただ。


(……私は、ここにいる)


 それだけで、

 今日は十分だと思えた。


 立ち上がる。


 どこへ行くかは、

 まだ決めていない。


 何をするかも、

 分からない。


 でも。


 「決めなくていい」という選択肢が、

 ここにはある。


 エリナは、

 ゆっくりと歩き出した。


 誰の役にも立たなくていい。

 誰にも選ばれなくていい。


 それでも、

 足は前に出る。


 生きる側へ。


 ――少しずつ、確かに。


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