救われた場所に立つ男
夜の王都は、静かだった。
城を出たことを、
誰にも告げていない。
外套も、最低限。
護衛も、つけていない。
気づけば、
足が勝手に動いていた。
(……何をしている)
問いは浮かぶ。
答えは、ない。
ただ、
方向だけは分かっていた。
灯りの少ない通り。
人の気配が薄れる場所。
石畳が、湿り気を帯びてくる。
(……ここだ)
足が、止まる。
懐かしいわけじゃない。
特別な場所でもない。
――ただの、路地。
それなのに。
胸の奥が、
妙にざわつく。
あの夜。
倒れていたのは、自分だった。
血の匂い。
冷たい石。
意識が、途切れかけていた感覚。
そこに、
理由もなく手を伸ばした女がいた。
(……なぜ、あいつだった)
考えたこともなかった。
命令していない。
頼んでもいない。
それでも、
あいつは膝をつき、
治した。
見返りもなく。
条件もなく。
(……役に立ちたかっただけだ)
そう、思っていた。
そう、片づけてきた。
けれど。
壁に手をつく。
ひんやりとした感触が、
掌に残る。
(……違う)
あの夜。
あいつは、
こちらを見ていなかった。
王子としてでもなく。
価値としてでもなく。
ただ、
目の前にいる“人間”を見ていた。
(……俺を、見ていなかった)
その事実が、
なぜか――胸に刺さる。
今まで、
誰もが自分を見てきた。
欲望で。
期待で。
計算で。
それが、当たり前だった。
なのに。
何も求めない視線に、
救われた。
(……救われた?)
自分で、苦笑する。
そんな言葉を使うとは思わなかった。
ここに来たところで、
何が変わるわけでもない。
もう、あいつはいない。
戻ってくる理由もない。
それでも。
この場所に立つと、
胸の奥の空白が、
少しだけ――形を持つ。
(……俺は)
言葉が、喉にかかる。
だが、
また飲み込む。
名前をつけてしまえば、
もう、誤魔化せなくなる。
バルディンは、
壁から手を離した。
振り返らない。
答えも、見つけない。
ただ、
ここに来たという事実だけを、
胸に残したまま。
夜の王都へ、歩き出す。
――まだ。
戻れると思っているうちは。




