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息をするために

城門を出たとき、思ったよりも――音があった。


 人の声。

 荷車の軋む音。

 遠くで鳴る鐘。


 王宮の中より、ずっと騒がしい。

 それなのに、不思議と頭は静かだった。


 エリナは、足を止める。


(……出たんだ)


 妃候補ではない。

 役に立つ者でもない。

 選ばれる存在でもない。


 ただの、自分。


 それを、ようやく実感する。


 胸に広がるのは、喜びでも安堵でもなかった。

 ――空白。


 何かが抜け落ちたような、

 でも、埋めようとしなくていい空洞。


(……何も、考えなくていい)


 それだけで、

 肩の力が、少し抜けた。


 宿屋までの道を歩く。


 足取りは、重い。

 身体は、まだ思うように動かない。


 それでも、

 「誰かの視線」を探していない自分に気づいて、

 小さく、息を吐いた。


(……見られていない)


 それが、

 こんなにも楽だなんて。


 部屋に入る。

 小さな窓。

 質素な寝台。


 何もない。


 けれど、

 そこに「命令」も、「期待」もない。


 エリナは、寝台に腰を下ろし、

 靴を脱いだ。


 その拍子に、

 ふっと、力が抜ける。


 ――立ち上がらなくていい。

 ――役に立たなくていい。

 ――何かを差し出さなくていい。


(……疲れてたんだ)


 ようやく、

 そう思えた。


 今までは、

 疲れていると認める余裕すらなかった。


 横になる。

 天井を見る。


 呼吸を、ひとつ。

 もうひとつ。


 浅くもなく、

 詰まることもなく。


(……息が、できる)


 胸が、ゆっくり上下する。


 それだけで、

 少しだけ、生きている感じがした。


 ふと、

 思い出す。


 殿下の声。

 視線。

 触れなかった距離。


 胸が、きゅっと痛む。


 ――でも。


(……戻りたい、とは思わない)


 それが、

 自分でも意外だった。


 ――それでも。


(……本当に、全部やったのかな)


 一瞬だけ、

 そんな考えが浮かんで、消えた。


 できることは、やった。

 言われたことも、求められたことも。


 それでも、

 必要とされなかったのなら――

 それは、仕方のないことだ。


 そう、分かっている。


 分かっているのに。


(……他にも、何か)


 言えなかった言葉。

 選ばなかった行動。


 思い返せば、きりがない。


 エリナは、小さく息を吐いた。


 今は、

 答えを出さなくていい。


 考えてしまう自分ごと、

 ここに置いておけばいい。


 失った。

 捨てられた。

 そう思っていたはずなのに。


 今、ここにいる自分は、

 どこか――軽い。


 窓の外を見る。


 夕焼けが、空を染めている。


 王宮から見ていた景色より、

 ずっと近くて、

 ずっと現実的だ。


(……明日)


 何をしよう。

 どこへ行こう。


 答えは、まだ出ない。


 でも。


 “考えてもいい”という余白が、

 胸の中に、確かにある。


 エリナは、そっと目を閉じた。


 今日は、眠ろう。

 何も決めなくていい。


 ただ、

 生きるために。


 誰の役にも立たない、

 自分のために。


 ――息を、するために。

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