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自分を見てくれる女ではなく、見返してくれる女が欲しかった

 広間には、香りが満ちていた。


 甘い香水。

 艶やかなドレス。

 控えめに伏せられた視線。


 数は、揃っている。


 身分も。

 家柄も。

 容姿も。


 不足はない。


 ――はずだった。


 バルディンは、椅子に腰掛けたまま、前に並ぶ妃候補たちを眺めていた。


 皆、よく笑う。

 よく頷く。

 よく、こちらの言葉を待っている。


「殿下」

「殿下のお言葉次第です」

「選ばれるなら、何でもいたします」


 声が、重なる。


 違う声のはずなのに、

 なぜか――ひとつの音に聞こえた。


(……また、これか)


 胸の奥が、微かに冷える。


 誰かが一歩前に出る。

 胸元を強調し、微笑む。


 別の誰かが、少し遅れて同じ位置に立つ。

 同じ角度で、同じように首を傾げる。


(……同じだ)


 名前も。

 立場も。

 本来は、違うはずなのに。


 今はもう、区別がつかない。


 誰もが、

 「王子を見る目」をしている。


 選ばれたい目。

 失いたくない目。

 縋るような、期待の光。


(……見られている)


 以前なら、それが心地よかった。


 欲されること。

 必要とされること。

 自分が価値の中心であること。


 それで、満たされていたはずだった。


 なのに。


(……息苦しい)


 バルディンは、無意識にグラスへ手を伸ばした。


 一口飲んでも、

 味は分からない。


 誰かが話している。

 笑い声が上がる。


 それなのに。


 視界の端で、

 何度も、同じ影がちらつく。


 俯いた横顔。

 控えめな立ち位置。

 必要以上に、こちらを見なかった目。


(……なぜ、あれだけが)


 考えるな、と自分に言い聞かせる。


 今は、別の女たちがいる。

 それでいい。


 それなのに。


 誰かが近づくたび、

 無意識に探してしまう。


 ――揺れる視線を。

 ――言葉を待つ沈黙を。

 ――欲しいと言えずに、立ち尽くす姿を。


(……いない)


 当たり前だ。

 ここには、いない。


 全員、

 欲しいものを、最初から口にしている。


(……違う)


 その違和感が、

 はっきりと形を持ち始める。


 自分を好きになる女が欲しかったわけじゃない。

 自分に依存する女が欲しかったわけでもない。


(……俺は)


 一瞬、言葉が止まる。


 答えを出しかけて、

 それを、飲み込んだ。


 ここで認めてしまえば、

 今までのすべてが、崩れる。


 妃候補たちの顔を、もう一度見る。


 笑っている。

 期待している。

 こちらを見ている。


 なのに。


 誰の目にも、

 自分の姿しか映っていない。


(……俺しか、見ていない)


 その中に、一人だけ目に留まる女がいた。


 背が低く、細い肩。

 他の者より一歩引いた位置に立ち、

 声を張り上げることもない。


(……似ている)


 そう思ったのは、ほんの一瞬だった。


 女はすぐに距離を詰め、

 伺うように視線を向ける。


「殿下……何なりと」


 その声に、

 胸の奥が、かすかに冷えた。


(……違う)


 近い。

 近すぎる。


 触れられる前から、

 答えを差し出してくる。


 小柄な体。

 似た輪郭。

 同じはずの距離。


 なのに――


(……何も、残らない)


 期待されている。

 欲されている。

 それだけだ。


 沈黙を保つ理由も、

 言葉を選ぶ間もない。


 それが、今は――

 耐え難かった。


 バルディンは、静かに立ち上がる。


「今日は、ここまでだ」


 ざわめきが走る。

 名残惜しそうな視線が絡む。


 だが、引き止める声はなかった。

 皆、次の機会を信じている。


 ――信じて、いる。


 それが、余計に空虚だった。


 広間を出ると、

 音が、急に遠ざかった。


(……何も、残らない)


 欲しいものは、すべて手に入る。

 なのに、どれも、心に触れない。


 歩きながら、

 ふと、思い出す。


 手当てを受けた夜。

 何も言われず、

 何も求められず、

 ただ、そこにあった時間。


(……満たされていた)


 その事実が、

 今になって、重く胸に落ちる。


 女に囲まれているのに、

 これほど、孤独だとは思わなかった。


 バルディンは、

 誰もいない回廊で足を止めた。


(……俺は)


 自分だけを見てくれる女が欲しかったんじゃない。


 ――自分が、見ていた女に。

 ――自分を、見返してほしかった。


 その気づきが、

 遅すぎたことだけは、

 嫌というほど、分かっていた。


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