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壊れた玩具を、手放しただけだ

 執務室に呼び出したのは、夜だった。


 理由は告げていない。

 エリナは、それでも時間きっかりに現れた。


 少し痩せた。

 顔色は良くない。


 それでも、姿勢は崩れていない。

 いつも通り、控えめに一礼をする。


「お呼びでしょうか、殿下」


 声は静かだった。

 震えも、期待もない。


 ――そこが、引っかかった。


 以前なら。

 この場に立つだけで、視線は揺れていたはずだ。


 こちらの表情を探るように、

 一言一言を、息を詰めて待つように。


 だが今、エリナは違う。


 視線は、床と、少し前。

 必要以上に、こちらを見ない。


(……見ていない)


 その事実が、

 遅れて、胸の奥に落ちた。


 バルディンは、しばらく黙ってから口を開く。


「王女の足は、ほぼ完治した」


「……はい」


 即答だった。

 誇らしさも、安堵もない。


 ただの、報告を受け取る返事。


(……そうか)


 やはり、だ。


 続けて言う。


「お前の家の借金も、すべて処理した」

「帳消しだ」


 エリナの肩が、わずかに揺れた。


 だが、顔は上がらない。


「……ありがとうございます」


 その言葉に、

 “殿下のおかげです”という響きはなかった。


 礼は、礼。

 それ以上でも、それ以下でもない。


(……もう、縋らない)


 確信する。


 バルディンは、静かに息を吐いた。


「妃候補としての立場も、解く」

「今日で終わりだ」


 一瞬だけ、沈黙。


 エリナは、ゆっくりと顔を上げた。


 ――だが。


 その目にあったのは、

 期待でも、恐れでもなかった。


 ただの、理解。


「……承知しました」


 それだけ。


 拒まない。

 問い返さない。

 引き止めない。


 その態度が、

 決定的だった。


(……俺を、見ていない)


 もう。

 選ばれたいとも、

 必要とされたいとも、

 思っていない目だ。


 バルディンの胸の奥で、

 何かが、すっと冷えた。


(そうか)


 なら、もういい。


 俺を見ない女は、

 俺の世界に、必要ない。


 役に立つかどうかでもない。

 愛しているかどうかでもない。


 ――ただ。


 俺を見ていない。


 それだけで、十分だった。


「自由だ」

「城を出てもいい」


 声は穏やかだった。

 まるで、褒美を与えるように。


「これまで、よくやったな」


 エリナは、深く一礼する。


「……失礼いたします」


 それだけ言って、

 踵を返した。


 引き止める理由はない。

 呼び止める言葉も、ない。


 扉が閉まる。


 その音が、

 思った以上に、大きく響いた。


(……これでいい)


 そう、思ったはずだった。


 俺の思い通りに動かなくなった女を、

 手放しただけだ。


 それなのに。


 執務室に残った静けさが、

 なぜか、やけに広い。


(……おかしいな)


 役に立つ女は、手に入れた。

 治癒能力も、成果も。


 全部、揃っている。


 なのに。


 胸の奥に残るのは、

 満足ではなく――空白だった。


(……俺は)


 一瞬だけ、

 考えそうになって、やめる。


 答えを出すには、

 まだ早い。


 今はただ、

 “俺を見なくなった女を手放した”

 それだけのことだ。


 バルディンは、そう結論づけ、

 再び書類へ視線を戻した。


 ――それが、

 本当に「終わり」だと信じて。


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