私がもっと頑張れば、きっと
説得は、失敗に終わった。
言葉は尽くした。
医務官の判断も伝えた。
それでも、王女は首を縦に振らなかった。
バルディンは、短く息を吐く。
「……分かった。今日はここまでだ」
声は低く、抑えられている。
だが、その場に残る苛立ちは隠せなかった。
エリナは、少し離れた位置でその様子を見ていた。
(……私が)
胸の奥が、きゅっと縮む。
(……私が、最初に)
王女が拒む前に。
殿下が口を開く前に。
もっと上手く言葉を選んで、
もっと穏やかに、納得させられていれば。
(……殿下、喜んでくれたのに)
そんな考えが、勝手に浮かぶ。
誰にも言われていない。
責められたわけでもない。
それでも。
(……役に立てなかった)
その事実だけが、
胸の奥で、重く沈んでいった。
沈黙が落ちる。
バルディンは、短く息を吐いたあと、
ふと、エリナに視線を向けた。
「……お前のせいじゃない」
低く、静かな声だった。
「気にするな」
それだけ言って、
もうこの話題を終わらせるように、
書類へ視線を戻す。
――それ以上、何も言わない。
エリナは、返事ができなかった。
(……違う)
殿下は、優しい。
責めていない。
失望も、口にしていない。
それなのに。
(……私が、足りなかった)
その思いだけが、
胸の奥に、重く沈んでいった。
ーー
その夜。
王女の私室は、静まり返っていた。
灯りは落とされ、寝台の周囲だけが、ほのかに照らされている。
規則正しい呼吸。
深い眠り。
エリナは、足音を殺して寝台のそばに立った。
(……本当に、眠っている)
医務官に確認済みだ。
今夜は、薬の影響で目を覚まさない。
――だから。
だから、今なら。
エリナは、そっと膝をつく。
布団の端をわずかに持ち上げ、包帯に覆われた王女の足首を見る。
まだ、腫れは残っている。
触れれば、痛みが走るはずの箇所。
(……やめた方がいい)
頭では、分かっている。
命じられていない。
むしろ、拒まれている。
それなのに。
昼間の光景が、脳裏に浮かぶ。
抑えた声。
隠しきれない苛立ち。
そして――
『お前のせいじゃない』
『気にするな』
その言葉。
(……殿下は)
私を責めなかった。
期待していないふりをした。
――でも。
(……役に立てなかった)
その事実だけが、
胸の奥で、じっと居座っている。
エリナは、そっと指先を包帯に触れさせた。
触れるだけ。
ほんの、わずか。
治すつもりなんて、なかった。
全部を治す気もない。
ただ――
(……少しだけ)
そう思った瞬間、
胸の奥が、静かに熱を持つ。
痛みが、伝わってくる。
鈍く、重い感覚。
エリナは、歯を食いしばった。
(……大丈夫)
慣れている。
これくらい。
王女の足に触れたまま、
ほんの少しだけ、力を流す。
包帯の下で、
何かが、ゆっくりと変わる気配。
――それで、いい。
エリナは、そっと手を離した。
立ち上がろうとして、
ほんの一瞬、足元が揺れる。
「……っ」
声を出す前に、口を押さえた。
(……少し、やりすぎた)
けれど。
王女の寝顔は、変わらない。
穏やかなまま、眠っている。
その様子を見て、
胸の奥が、わずかに緩んだ。
(……よかった)
誰にも知られない。
誰にも、迷惑をかけない。
殿下も、気づかない。
――それでいい。
(……もし)
ほんの一瞬だけ、
そんな考えが、胸の奥をかすめた。
王女の足が治ったら。
殿下の関心が、そちらから離れたら。
――私を、もう少し見てくれるかもしれない、なんて。
(……だめ)
すぐに、胸の奥が冷える。
そんなことを考えるなんて。
私、最低だ。
エリナは、そっと私室を後にする。
廊下に出た瞬間、
膝が、かすかに震えた。
(……今日だけ)
そう思ったはずなのに。
(……明日も、少しだけ)
そう思ってしまった自分に、
気づかないふりをする。
やめる理由は、どこにもない。
誰にも命じられていないからこそ。
誰にも止められていないからこそ。
エリナは、
静かに、その選択を重ねていった。
――自分の身体が、
少しずつ削れていくことに、
まだ、気づかないまま。




