怪我を治せば、私は忘れられる
王女の私室は、昼間でも薄暗かった。
重い天蓋。
閉め切られた窓。
香の残り香が、微かに漂っている。
エリナは、侍女に導かれ、室内へ足を踏み入れた。
寝台の上。
そこに、王女は座っていた。
足には、包帯。
完治していないことが、一目で分かる。
「……治癒の話があると聞いたわ」
王女は、淡々と切り出した。
声に怒気はない。
だが、歓迎もなかった。
「殿下から?」
「……はい」
エリナは、小さく頷く。
視線が、自然と王女の足へ落ちる。
歩くたびに痛むはずの怪我。
本来なら、治す理由はいくらでもある。
けれど。
王女は、エリナの視線を遮るように、
そっと布を整えた。
「結論から言うわ」
静かな声。
「治したくありません」
その言葉に、
エリナは、一瞬、息を詰めた。
「……理由を、お聞きしても……?」
王女は、少しだけ目を細めた。
怒っているわけではない。
試しているわけでもない。
ただ、
言うべきことを、選んでいる。
「……怪我があるから」
一拍、間が置かれる。
「殿下は、私を気にかける」
「足を止める」
「私の部屋を訪れる」
淡々とした言葉。
事実を並べるように。
「治してしまえば、それは終わるでしょう」
エリナは、唇を噛みしめた。
分かってしまったからだ。
この人は、嘘をついていない。
「……卑怯だと、思う?」
王女は、エリナを見る。
視線は真っ直ぐだった。
「思います」
エリナは、正直に答えた。
王女は、小さく息を吐いた。
「でしょうね」
そして、続ける。
「怪我で殿下を縛るなんて、卑怯かもしれないけど……」
声が、ほんの少しだけ低くなる。
「こうでもしないと、あの人の目に、私は映らないから」
その言葉が、部屋に落ちた。
重く。
静かに。
エリナは、何も言えなかった。
否定できない。
正論も言えない。
これは、願いでも、脅しでもない。
ただの――現実だ。
「治癒は、私の足を治すでしょう」
王女は、視線を伏せる。
「でも同時に、私の居場所を奪う」
エリナの胸が、きゅっと縮んだ。
それは。
かつての自分と、同じ言葉だった。
「だから、断ります」
王女は、顔を上げた。
「この怪我は、私が選んで持っているものです」
「誰の命令でもない」
「同情も、正義も、いりません」
そして、最後に。
「……あなたも、分かるでしょう?」
エリナは、ゆっくりと息を吐いた。
「……はい」
小さく、そう答える。
分かってしまったから。
痛いほど。
治せばいい。
正しくすればいい。
それだけでは、救われない人がいることを。
王女は、満足そうでも、悲しそうでもなかった。
ただ、決めていた。
「話は、以上よ」
それが合図だった。
エリナは、一礼し、部屋を辞した。
扉が閉まる。
廊下に出た瞬間、
胸の奥が、じんと熱を持つ。
(……同じだ)
形は違う。
立場も違う。
けれど。
誰かの視線に縋ってしまう気持ちも。
失うくらいなら、痛みを抱える選択も。
すべて。
(……同じ)
エリナは、ゆっくりと歩き出した。
この選択を、
正しいとも、間違っているとも言えない。
ただ。
自分が、
どこへ戻るのかだけは――
もう、分かっていた。




