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俺のために使ってくれないか

 侍女長からの呼び出しは、あまりに事務的だった。


「正式に、妃候補はお一人に決まりました」

「おめでとうございます、エリナ様」


 祝意のこもらない声音。

 手続きが一つ終わっただけのような、淡々とした告げ方。


 ――最後の一人。


 その言葉が胸に落ちるより早く、

 次の予定を告げられ、エリナはそのまま王子の私室へ向かわされた。


 扉の前に立つと、なぜか嫌な予感がした。


 呼ばれる前から、

 胸の奥が、ひくりと鳴っている。


「入れ」


 中に入ると、バルディンは執務机の前に立っていた。

 視線だけをこちらに向け、短く言う。


「……聞いたか」


「……はい」


「なら、話は早い」


 それだけで、用件が“祝福”ではないと分かる。


 バルディンは、少し間を置いてから口を開いた。


「王女の足だ」

「事故で負った怪我が、思ったより長引いている」


 馬から落ちた事故。

 公式にはそう発表されている。


「医師団は、回復まで時間がかかると言っている」

「命に関わるものではないが――

 完全に元に戻るかは、分からないそうだ」


 淡々とした説明。

 感情を抑えた声。


 それなのに。


「……馬に乗ろうと誘ったのは、俺だ」


 その一言だけが、妙に重かった。


「俺の判断で起きた怪我だ」

「だから、俺が責任を負う」


 そこで、視線が――エリナに向く。


「……お前に頼みがある」


 胸が、強く脈打つ。


 言われる前から、

 何を求められるのか、分かってしまった。


「王女の治療に、お前の力を」

「……俺のために、使ってくれないか」


 言い切らない。

 命令でもない。


 ただ、確認するような口調。


 エリナは、息を詰めた。


「……どうして……」

「どうして、私の能力のことを……」


 声が、わずかに震える。


 バルディンは、ほんの一瞬だけ口元を緩めた。


「俺が、お前のことを知らないはずがないだろう?」


 優しい。

 けれど、逃げ場を塞ぐ笑み。


 それでも――


「……断ってもいい」


 予想外の言葉だった。


「妃候補としての立場とは、切り離して考えている」

「拒否したからといって、

 お前の地位が揺らぐことはない」


 はっきりと告げる。


「王女の治療は、医師団で続ける」

「時間はかかるが、最悪の事態にはならない」


 ――逃げ道。


 確かに、ここにある。


 やらなくてもいい。

 拒んでも、誰も責めない。


 それなのに。


 エリナの胸の奥は、静かにざわついていた。


(……断れる)


 そう、分かっている。


 それでも。


 “俺のために使ってくれないか”

 そう言われたことが、離れなかった。


 責任。

 理由。

 役割。


 それらを与えられた瞬間、

 自分の存在が、はっきりした気がしてしまった。


 バルディンは、続けない。

 急かさない。


 選択を、こちらに委ねている。


 だからこそ――

 余計に、逃げづらい。


(……そう、か)


 その瞬間、

 胸の奥で、何かが静かに繋がった。


 どうして、自分だったのか。

 どうして、最後の一人に残れたのか。


 ずっと、不思議だった。


 美しいわけでもない。

 家柄があるわけでもない。

 踊りも、歌も、人前で映える才もない。


 それでも――残った。


(……理由が、あったんだ)


 薬草。

 料理。

 身体を労わる知識。


 それだけでは、足りなかった。


 決定的だったのは――


(……治せるから)


 この人の役に立てる。

 この人の“責任”を引き受けられる。


 その可能性を持っているから。


 だから、

 自分は最後に残された。


 選ばれた、のではない。

 使える場所が、見えただけ。


 そう理解した瞬間、

 不思議と、胸は静かだった。


 傷ついた、というより――

 納得してしまった。


(……それでも)


 それでも。


 それでいいと、

 思ってしまった自分が、確かにいる。


 役に立てるなら。

 必要とされるなら。


 理由があって、

 ここにいられるなら。


 ――それで、いい。


 その考えが、

 自分の中に、ゆっくりと根を下ろしていくのを、

 エリナは止められなかった。


 エリナは、ゆっくりと息を吸った。


「……分かりました」


 その答えは、

 強制でも、取引でもなかった。


 逃げ道を見たうえで、

 それでも選んだ言葉だった。


 バルディンは、ほんのわずかに目を細める。


「……そうか」


 それ以上、何も言わない。


 感謝も、保証も、約束もない。


 けれど。


 その沈黙の中で、

 エリナははっきりと理解していた。


 ――これは、命令ではない。

 ――でも、戻れない選択だ。


 自分で選んでしまったからこそ。


 その事実が、

 胸の奥で、静かに重みを増していった。


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