ちゃんと、効いている
噂の広がりは、予想よりも早かった。
机に並ぶ書類に目を通しながら、バルディンは静かに報告を聞いている。
向かいに立つ侍従は、どこか言いづらそうに言葉を選んでいた。
「……例の花束の件ですが。
妃候補の間では、完全に“夜に男と会っている”という話になっております」
「はは」
思わず、喉が鳴った。
「随分と楽しそうじゃないか」
噂というのは、こうでなくては。
名前も顔も出さずに投げた種が、ここまで育つとは。
――昨夜はありがとう。
たった一行。
それだけで、あれほど人の想像力を刺激する。
「……花束を受け取った際、エリナ様はかなり驚かれていたようです。
ですが……すぐに、とても嬉しそうな表情を浮かべられたと」
侍従の報告に、バルディンは一瞬だけ考える素振りを見せ、
すぐに口元を緩めた。
(やっぱり、純粋だな)
赤くなった顔。
戸惑いと期待が入り混じった目。
花束を受け取った瞬間の反応を思い浮かべると、
自然と口角が上がった。
「外出禁止の通達以降ですが……」
侍従が続ける。
「エリナ様は、ほとんど部屋から出ていないようです。
食事も、時間をずらして取られているとか」
「……なるほど」
ちゃんと、効いている。
(噂も、隔離も、全部)
追い詰められた人間は、
誰かの“存在”に縋り始める。
姿を見せなくてもいい。
声をかけなくてもいい。
(俺のことを考える時間が増えるだけで、十分だ)
「殿下……」
侍従は一瞬、ためらってから言った。
「噂の内容が、かなり悪意のある方向へ……
エリナ様を気遣う声は、ほとんど聞かれません」
「それでいい」
遮るように答えた。
「同情されるうちは、まだ余裕がある。
本当に欲しいのは――孤立だ」
居場所がなくなったとき、
人は初めて“救い”を探す。
(そして、その救いが俺だ)
「ルシアン殿下が、何か動かれる気配は……」
その名前を聞いて、ほんの一瞬だけ、眉が動いた。
「弟か」
バルディンは、グラスを指で転がす。
「放っておけ。
あいつが優しくした分だけ、俺の印象は強くなる」
守られれば守られるほど、
逃げ場のない不安は膨らむ。
(……うまくできてる)
窓辺に立ち、妃候補棟を見下ろす。
今ごろ、彼女はどうしているだろう。
泣いているか。
耐えているか。
それとも――必死に、平静を装っているか。
どれでも構わない。
(俺が動かした結果だ)
花は、飾っただろうか。
それとも、隠したか。
どちらにせよ、
視界に入るたび、思い出す。
――昨夜はありがとう。
あの一言で、
彼女の一日は、完全に俺のものだ。
バルディンは、グラスを持ち上げ、軽く一口飲んだ。
まだ会わない。
今は、顔を見せる時じゃない。
壊れる寸前まで、
じっくり待つ。
(そこから優しくした方が、
……一生、離れられなくなる)
唇の端が、わずかに歪んだ。




