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お願いは、言えるようになってから

 沈黙が、落ちた。


 エリナは俯いたまま、息を殺していた。

 自分が今、どんな顔をしているのか――

 見られるのが、怖い。


「……少しだけで、いいので」


 言ってしまった。

 それだけで、胸がいっぱいになる。


 何を、とは言っていない。

 けれど、分かってしまう。


 ――分かって、来てしまった。


 バルディンは、すぐには答えなかった。


 椅子から立ち上がる音。

 足音が、一つ。


 近づいてくる気配に、エリナの肩が小さく揺れる。


「顔を上げろ」


 静かな命令。


 逆らえず、ゆっくりと視線を上げる。


 目が合った瞬間、息が詰まった。


 ――見られている。


 隠そうとして、隠しきれていないものを。

 欲しがっていることそのものを。


 バルディンは、ほんの少しだけ目を細めた。


「……なるほど」


 それだけ。


 否定も、肯定もない。

 近いのに、触れない。


 その距離が、残酷だった。


「それで?」


 低い声。


「“何を”お願いするつもりだ?」


 問いかけは穏やかなのに、逃げ場がない。


 エリナの喉が、ひくりと鳴る。


「……それは……」


 言葉が、出ない。


 言ってしまえば、終わってしまう気がした。

 何かを壊してしまう気がして。


 でも、言わなければ――

 このまま、何も与えられない。


 胸が、きゅっと締めつけられる。


「言えないか」


 責める声じゃない。

 むしろ、確かめるような声音。


 バルディンは、一歩だけ距離を詰めた。


 触れていない。

 けれど、もう逃げられない距離。


「なら、今日はここまでだ」


「……え?」


 思わず、声が漏れた。


 バルディンは、エリナの反応を見逃さない。

 揺れた瞳。

 引き止めたいのに、言えない表情。


 そのすべてを見てから、ゆっくりと言う。


「“お願い”は、ちゃんと言えるようになってからだ」


 やさしい口調。

 それなのに、胸を締めつける。


「今は――余計なことは考えなくていい」


 その言葉が、

 期待するな、なのか

 待っていろ、なのか

 分からないまま、胸に落ちる。


「下がれ」


 命令は、静かだった。


 エリナは、動けなかった。


 言えなかった。

 止められなかった。


 それでも。


 拒まれたわけじゃないと、分かってしまう。


「……失礼します」


 震える声でそう言って、頭を下げる。


 扉へ向かう途中、

 背中に視線を感じた。


 ――まだ、見られている。


 それだけで、胸が熱くなる。


 扉が閉まる。


 ようやく息を吐いたとき、

 エリナは自分の手が、強く握りしめられていることに気づいた。


(……言えなかった)


 でも。


(……追い返されなかった)


 それが、何よりも――

 嬉しかった。


 そして、怖かった。


 次は。


 次こそは。


 自分は、何をお願いしてしまうのだろう。


 そう考えてしまう自分から、

 もう、目を逸らせなかった。


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