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公の場で、夜の話をされた

 午前の謁見室は、いつもより人が多かった。

 妃候補たちが一列に並び、侍女や従者が控えている。


 エリナは、列の端で静かに立っていた。


(……落ち着いて)


 昨夜のことを思い出さないように。

 何もなかった。

 何も、起きていない。


 それなのに――


(……忘れて)


 自分に言い聞かせる。

 妃候補として、いつも通りに振る舞わなければ。


 そう、言い聞かせていた。


「――では、本日の報告を」


 第一王子バルディンが、穏やかな声で告げる。

 いつもと変わらない、王子の顔。

 誰に対しても公平で、柔らかい微笑み。


 そのはずなのに。


 不意に、その視線が――エリナに向いた。


「エリナ」


 名を呼ばれただけで、胸が跳ねる。


「はい……」


 一歩前に出る。

 視線が集まるのが分かった。


「最近、少し疲れているように見えるな」


 それだけ。

 責めるでも、詰めるでもない。


「……大丈夫です」


 そう答えながら、エリナは視線を伏せた。


 ――その瞬間。


 バルディンの目が、ふと細くなる。


「……その目だ」


 低く、穏やかな声。


 空気が、ぴたりと止まった。


「そういう目は、夜にするものだよ」


 やわらかく。

 たしなめるように。


 ――なのに。


 言葉の意味が、理解できた瞬間、

 エリナの耳が熱くなった。


(……今の、私……?)


 周囲がざわつく。


「……今の聞いた?」

「殿下に、そんな目で……」

「いやらしい……」


 ひそひそと、抑えた声。


 恥ずかしい。

 本来なら、顔から火が出そうなはずなのに。


 なのに――


(……嬉しい)


 胸の奥が、ひどくざわついた。


 他の誰でもない。

 自分だけに向けられた言葉。


 たしなめられたのに、

 拒絶ではなかった。


 むしろ――


「……余計なことは、考えなくていい」


 バルディンが、静かに続ける。


 その一言が、

 刃のように胸に落ちた。


(……期待、するなって……)


 一瞬、息が詰まる。


 浮かれていたのは、自分だけ。

 そう言われた気がして。


 けれど。


 視線が、外されない。


 そのまま、穏やかに――


「今日も、報告は以上だ」


 それだけ告げて、話題は切り替えられた。


 誰も、追及しない。

 誰も、深く触れない。


 それなのに。


 エリナの胸だけが、熱を持ったままだった。


(……でも)


 余計なことは考えなくていい。

 それは、切り捨てではなかった。


 否定されたのは、意味づけだけ。

 距離も、呼び出しも、何ひとつ変わっていない。


(……夜に、って)


 その言葉が、頭から離れない。


 恥ずかしいのに。

 怖いのに。


 それでも――


(……また、呼ばれる)


 そう思ってしまう自分が、

 いちばん怖かった。



 部屋へ戻ったあと。


 侍女から、短い手紙を受け取る。


 余計な装飾もない、簡潔な文字。


「……今日も、薬膳を頼む」


 それだけ。


 それなのに。


 胸の奥が、きゅっと締めつけられて、

 同時に、熱くなる。


(……期待するな、って)


 そう言われたはずなのに。


 エリナは、手紙を胸に押し当てた。


 ――それでも。


 夜までの時間が、

 ひどく長く感じられてしまった。


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