君にしか、頼めないと言われた
執務室に呼ばれたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
エリナは、薬草の籠を抱えたまま扉の前に立つ。
深呼吸をひとつして、ノックをした。
「――入れ」
低く、落ち着いた声。
扉を開けると、王子は机から少し離れた位置に立っていた。
書類は片づけられ、室内には、どこか生活の匂いが残っている。
「薬草の件、ありがとう」
「いえ……こちらこそ」
形式的な会話。
それだけのはずだった。
王子は一度視線を外し、窓の方へ向く。
ほんの数拍の沈黙。
「……実はな」
振り返らずに、そう切り出した。
「最近、どうも食事が喉を通らない」
エリナは、思わず顔を上げる。
「お身体の具合が?」
「大したことじゃない。医師にも診せた」
「だが……薬より、食事の方が効く気がしてな」
その言葉に、胸が小さく跳ねた。
「もしよろしければ……薬膳をお作りしますか?」
自分から出た言葉に、エリナ自身が驚く。
けれど、後悔はなかった。
王子は、その反応を待っていたかのように、
ゆっくりと視線を戻す。
「……頼めるか?」
低い声。
試すようでもあり、確かめるようでもある。
「はい。私にできることであれば」
一瞬、空気が変わった。
王子は、ほんのわずかに口元を緩める。
「助かる」
そして、続けて。
「君にしか、頼めない」
ほんの一瞬、言葉が途切れた。
沈黙が落ちる。
エリナは、その沈黙に意味を探してしまう。
(……どうして、私に)
妃候補は他にもいる。
薬草に詳しい者だって、城にはいるはずだ。
それなのに。
王子は、視線を逸らさずに続けた。
「無理なら断ってもいい」
そう言いながら、
断られるとは思っていない声音だった。
エリナの胸が、わずかに高鳴る。
(……必要と、されている)
その感覚が、思っていた以上に甘くて、
怖いほど、嬉しかった。
「……私でよければ」
気づけば、もう答えていた。
「……光栄です」
声が、少しだけ上ずった。
王子は、それに気づいた様子もなく、
淡々と条件を告げる。
「毎日でなくていい。無理はするな」
「場所は……ここだ。誰にも邪魔されない」
――誰にも。
その言葉が、なぜか引っかかった。
「分かりました」
そう答えながら、
エリナは胸の奥に、小さな不安を覚える。
(……本当に、仕事の話だけ?)
けれど。
問いかける勇気は、なかった。
王子は、それ以上踏み込まない。
優しくもなく、冷たくもない距離。
だからこそ、
断る理由が見つからない。
「では、明日からで」
「……ああ」
視線が、ふっと重なる。
一瞬だけ。
ほんの一瞬。
それだけで、
また一歩、近づいてしまった気がした。
執務室を出たあと。
エリナは、自分の胸に手を当てる。
(……君にしか、頼めない)
その言葉が、何度も頭の中で繰り返された。
嬉しい。
確かに、嬉しい。
――でも。
それが、
どこまで許される距離なのか。
エリナには、まだ分からなかった。




