治癒は、奇跡ではなかった
目を覚ました瞬間、違和感があった。
天井が、やけに遠い。
身体が重く、首を動かそうとしただけで、頭の奥がずきりと痛んだ。
(……?)
エリナは、ゆっくりと息を吸う。
熱はない。
寒気もしない。
けれど、確かにおかしかった。
頭の内側を締めつけられるような鈍い痛みと、
胸の奥に沈んだままの、説明できない疲労感。
(……昨日は、ちゃんと眠ったはずなのに)
起き上がろうとして、諦めた。
少し横になっていれば治る。
そう思おうとしたが、身体が言うことを聞かない。
結局、その日は仕事を休むことになった。
⸻
「無理なさらないでください」
部屋を訪れた侍女は、エリナの顔を見るなり、そう言った。
「顔色が、あまり良くありません」
「……すみません」
謝りながら、エリナは自分の手を見つめる。
震えてはいない。
力も入る。
それなのに、頭だけが重い。
「薬草の仕分けは、他の者に任せますから。
今日は、ゆっくり休んでくださいね」
侍女が部屋を出ていくと、静けさが戻った。
エリナは、天井を見つめたまま、昨夜のことを思い返す。
――夜の医務室。
血の気の失せた顔。
自分の手のひら。
そして。
(……使った)
確信に近いものが、胸の奥に落ちる。
治癒の力。
意識せずとも、触れた瞬間に流れ込んできた感覚。
身体の奥から何かが引き抜かれるような、あの感触。
(……代償、なの)
治した傷は、確かに消えていた。
その代わりに。
今、自分の頭に残っているこの痛み。
偶然だと言い聞かせようとして、
それができない自分がいた。
(……やっぱり)
力を使うたびに、何かを失っている。
昔、ぼんやりと聞いた話を思い出す。
――治癒能力は、奇跡じゃない。
誰かの傷を消す代わりに、
別の誰かが、その痛みを背負う。
(……そんなの)
胸の奥が、きゅっと縮こまる。
それでも、後悔はなかった。
あの夜。
もし、何もしなかったら。
もっとひどい結果になっていたかもしれない。
そう思うと、選択そのものは間違っていなかったはずだ。
(……でも)
このまま使い続けたら、
自分はどうなるのだろう。
エリナは、こめかみに指を当て、そっと目を閉じた。
眠ろうとしても、浅い眠りしか訪れない。
頭痛は、引かないままだった。
⸻
午後になっても、身体は回復しなかった。
水を飲んでも、薬草茶を口にしても、
頭の奥の鈍痛だけが、居座り続けている。
(……誰にも、言えない)
治癒の力のことは、秘密だ。
知られれば、どうなるか分からない。
それは、ずっと分かっていたはずなのに。
昨日までと違って、
今日は、その重みがはっきりと実感できた。
(……代償を、甘く見てた)
エリナは、布団の中で小さく身を縮める。
仕事を休んだ罪悪感と、
身体を蝕む不安。
そのどちらもが、静かに積み重なっていく。
ふと、扉の向こうの気配に、息を止めた。
――誰かが、様子を見に来たのだろうか。
けれど、扉は開かない。
足音だけが、遠ざかっていく。
(……大丈夫)
誰に向けた言葉かも分からないまま、
エリナは心の中で繰り返した。
まだ、動ける。
まだ、隠せる。
そう思いながら。
この痛みが、
“始まり”にすぎないかもしれないことを――
エリナは、まだ深く考えないようにしていた。




