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思った反応じゃない

──思った反応じゃない


 執務室に戻っても、

 男の集中は、まるで続かなかった。


 書類をめくる指が止まる。

 同じ行を、もう三度目だ。


(……遅いな)


 花束を送ってから、どれくらい経っただろうか。


 小さめにした。

 色も抑えた。

 余計な言葉も、添えなかった。


(考えるはずだ)


 ――なぜ、この花なのか。

 ――なぜ、この量なのか。

 ――なぜ、今なのか。


 そこまで考えて、

 落ち着かなくなる。


 それが、いつもの流れだった。


(……なのに)


 報告は、まだ来ない。

 慌てた様子も、

 戸惑った気配も。


 何も、ない。


 男は、椅子にもたれかかり、

 天井を仰いだ。


(喜んでないわけじゃない)


 それは、分かる。


 花を粗末にする女じゃない。

 きっと、丁寧に生けているだろう。


 だが――

 それだけだ。


(……静かすぎる)


 以前なら、

 視線が揺れた。

 距離の取り方が変わった。

 呼吸の間に、迷いが混じった。


 今は、違う。


 まるで、

 “受け取っただけ”だ。


(期待して、抑えたな)


 そう気づいた瞬間、

 胸の奥が、ちくりとした。


 ――なぜ、抑える。


 期待して、

 悩んで、

 揺れてくれなければ、

 意味がない。


 机に置いた指先に、

 無意識に力が入る。


(……外套か)


 ふと、思い出す。


 あの夜。

 肩にかけた布の重さ。

 触れた距離。


 あれを返しに来るか?

 それとも――

 返そうとして、躊躇うか。


 どちらにせよ、

 “動く”はずだ。


(動け)


 命令するように、

 心の中で呟く。


 静かにしているのは、

 気に入らない。


 花を受け取って、

 何も起きなかったことが、

 何よりも、気に入らない。


 男は、立ち上がった。


(……試すつもりだっただけだ)


 そう、言い聞かせる。


 なのに。


 思った反応が返ってこないだけで、

 こんなにも、

 胸がざわつく理由が分からない。


(……焦ってる?)


 その言葉が浮かんだ瞬間、

 男は自分で自分を嘲笑した。


 花一つで、

 ここまで意識を持っていかれるはずがない。


 ――はずなのに。


 机の端に置いたペンに、視線が留まる。

 あの花束を選んだとき、

 自分がどれほど時間をかけたかを思い出してしまった。


 色も、香りも、量も。

 彼女の部屋に置かれたときの光まで、想像した。


(……やりすぎたか)


 いや、違う。

 “抑えた”はずだ。


 それでも、

 反応がないという事実だけが、

 じわじわと胸を締めつける。


 期待して、何も言わず、

 何もせずに受け取った――

 その選択が、妙に引っかかる。


(受け身を覚えた、か)


 それは、

 自分の影響だという自負と同時に、

 自分から離れていく予感も孕んでいた。


 ――気に入らない。


 静かに受け取って、

 静かに考えて、

 静かに距離を測るなど。


 そんな女に、

 するつもりはなかったはずだ。


 馬鹿げている。


 主導権は、こちらにある。

 そうでなければ、おかしい。


 それでも――


(次は、直接だな)


 その結論に辿り着いた瞬間、

 胸の奥の苛立ちは、

 ほんのわずか、形を変えた。


 ――確かめたい。


 それだけは、

 否定できなかった。


ーー


 夜の王都は、昼間よりも静かだった。

 灯りの少ない通りを、エリナは外套を抱えて歩いている。


 ――返さなければ。


 そう決めたはずなのに、足取りは重かった。


 この外套を肩に掛けられた夜のことを、嫌でも思い出してしまう。

 寒さをしのぐためだけだった。

 それ以上の意味なんて、なかったはずなのに。


 酒場の前で、足を止める。


 ここまで来てしまったことに、今さら気づいたように心臓が鳴った。


(……本当に、返すだけ?)


 外套を抱える指に、力がこもる。

 返してしまえば、それで終わる。

 もう、理由を探して夜に出る必要もなくなる。


 そう分かっているのに、

 足が、すぐには動かなかった。


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