小さな花束
午後の終わり、部屋に戻ると、机の上に小さな包みが置かれていた。
白い紙に包まれた、それは――
花束だった。
大きくはない。
両手で抱えるほどでもない。
けれど、丁寧に整えられた、控えめな花束。
エリナは、しばらくその場に立ち尽くしたまま、動けなかった。
(……また)
胸の奥が、わずかに揺れる。
送り主の名は、書かれていない。
それでも、誰からかは分かってしまう。
王子様。
そう思った瞬間、
嬉しさよりも先に、別の感情が浮かんだ。
(……小さい)
思ってしまった自分に、はっとする。
比べるつもりなんて、なかったはずなのに。
以前の花束。
舞踏会の夜。
あの視線。
――比べている。
エリナは、そっと花束を手に取った。
香りは、淡い。
主張しすぎない、静かな匂い。
(……優しい、のかな)
そう思おうとして、
すぐに首を振る。
期待してはいけない。
意味を探してはいけない。
これは、きっと――
ただの挨拶だ。
妃候補の一人に向けた、形式的な贈り物。
花束を受け取っても、
誰も、何も言ってこない。
呼び出しもない。
視線もない。
特別な変化も、ない。
――静かすぎる。
エリナは、花瓶を手に取り水を注いだ。
丁寧に。
必要以上に、丁寧に。
花瓶に水を注ぎながら、
エリナは、指先がほんの少し震えていることに気づいた。
冷たい水が、肌に触れる。
(……落ち着いて)
花束は、悪くない。
むしろ、好みだった。
派手すぎず、
控えめで、
誰かの視線を奪うためのものではない。
――それが、余計に。
(……どうして、こんなに)
胸の奥が、静かに痛んだ。
以前なら、
花が届けば、
それだけで一日が少し明るくなったはずだ。
理由なんて考えずに、
ただ、嬉しいと感じられたはずなのに。
今は、違う。
「どうして、この大きさなのか」
「どうして、今なのか」
「どうして、言葉が添えられていないのか」
――考えてしまう。
考えたくないのに。
花を生け終え、
エリナは一歩、後ろに下がった。
窓辺に置かれた花は、
夕暮れの光を受けて、静かに揺れている。
(……きれい)
それは、本心だった。
だからこそ。
(……これ以上、意味を持たせちゃだめ)
自分に、そう言い聞かせる。
王子様には、婚約者がいる。
自分は、妃候補の一人。
期待していい理由なんて、どこにもない。
なのに。
花を見つめる視線が、
どうしても、
“その先”を探してしまう。
――呼ばれるかもしれない。
――何か、続きがあるかもしれない。
そんな考えが浮かんでは、消える。
消しているのは、他でもない自分だ。
(……何も起きなかった)
それを、受け入れなければならない。
エリナは、そっとカーテンを引いた。
花の姿が、柔らかく陰に包まれる。
まるで――
自分の気持ちごと、しまい込むように。
胸の奥に残ったのは、
小さな温もりと、
それ以上に大きな、静けさだった。
(……何も、起きない)
それが、こんなにも胸に刺さるなんて。
嬉しいはずなのに。
贈り物なのに。
なのに――
(……私、何を期待してたんだろう)
小さく息を吐く。
視線が、花束から離れない。
忘れたいのに、
忘れようとすると、
こうして、また置いていかれる。
エリナは、花瓶を窓辺に置いた。
外は、穏やかな夕暮れ。
何も変わらない日常。
(……もう、いい)
そう思おうとした。
けれど。
花の向こうに、
あの人の気配を探してしまう自分を、
どうしても、否定できなかった。
――何も起きなかった一日が、
いちばん、心に残る。




