答えを出さなくていい、と言い聞かせた
医務室の天井を見つめながら、エリナはゆっくりと呼吸を整えていた。
身体の痛みは、ほとんどない。
けれど、胸の奥だけが、まだざわついている。
(……助けて、くれた)
あの瞬間。
背中に回された腕。
低く落ち着いた声。
思い出そうとすると、胸がきゅっと縮んだ。
――王子様、かもしれない。
そう考えた途端、
慌てて首を振る。
だめ。
期待してはいけない。
妃候補なのだから、
王子に想いを向けること自体は、罪ではない。
それでも――
理由の分からない感情に、
勝手に意味を与えてはいけない。
そんなことを考えていると、
控えめなノック音が響いた。
「……エリナ様」
聞き慣れた声に、胸が小さく跳ねる。
扉が開き、
第二王子――ルシアンが、静かに中へ入ってきた。
「お加減はいかがですか」
柔らかな声。
責めるでも、探るでもない。
「……はい。もう大丈夫です」
エリナは、そう答えて微笑んだ。
本当かどうか、自分でも分からないまま。
ルシアンは、少しだけ表情を和らげた。
「それは、よかった」
それだけ言って、
それ以上は踏み込まない。
昨夜のことも、
なぜあのタイミングで街へ出ようとしたのかも、
一切、聞かなかった。
その距離感が、
なぜか胸に染みた。
「……街へ行く前に、
引き止められなくて、すみません」
ぽつりと落とされた言葉に、
エリナは目を見開く。
「いえ……そんな。
私が、自分で決めたことですから」
慌てて首を振ると、
ルシアンは小さく首を横に振った。
「それでも」
一瞬だけ、言葉を探すように間を置いてから、
静かに続ける。
「あなたが無事で、本当によかった」
その言葉に、
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
守ろうとする人の言葉。
見返りを求めない優しさ。
(……この人は、違う)
理由もなく、そう思った。
短い沈黙のあと、エリナは唇を開きかけた。
「……あの」
喉まで出かかった名前が、そこで止まる。
(助けてくれた人のことを、聞いていいの?)
――王子だったのか。
それとも、別の誰かだったのか。
聞けば、きっと分かってしまう。
あの夜の人と、
今日、腕を伸ばしてくれた人が――
同じ人で、しかも王子様だったら。
胸の奥が、きゅっと縮こまった。
「……いえ。なんでもありません」
エリナは、慌てて首を振る。
ルシアンは一瞬だけ、不思議そうな顔をしたが、
それ以上は踏み込まず、静かに微笑んだ。
「無理に話さなくていいですよ」
その優しさが、今は少しだけ――
痛かった。
ルシアンは、短く一礼する。
「今日は、もう休んでください。
無理をする必要はありません」
どこかで聞いた言葉。
でも、意味はまったく違う。
扉が閉まり、
再び医務室に静けさが戻った。
エリナは、胸に手を当てる。
安心と、
安堵と、
それでも消えない、別の感情。
(……私は)
誰に、何を求めているのだろう。
助けてくれた人。
王子様かもしれない人。
それとも――
名前も知らない、あの夜の人。
考えれば考えるほど、
答えは遠ざかる。
エリナは、そっと目を閉じた。
今は、まだ。
答えを出さなくていい。
けれど。
この出来事が、
自分の中で何かを変えてしまったことだけは――
はっきりと、分かっていた。




