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偶然は、通りで起きる

 王都の通りは、昼前になると一層賑わいを増す。


 行き交う人々。

 荷を積んだ馬車。

 呼び込みの声。


 エリナは籠を抱え、周囲に気を配りながら歩いていた。


(……考えすぎない)


 何度目か分からない言葉を、心の中で繰り返す。


 舞踏会で選ばれなかったからといって、

 自分の価値が消えたわけじゃない。


 仕事をして、

 役に立って、

 それでも駄目なら――そのとき考えればいい。


 そう決めたはずだった。


 通りを横切ろうとした、その瞬間。


 人の声と馬の蹄の音が、いつもより遠く感じられた。

 一歩、足を踏み出したとき、

 なぜか胸の奥がざわつく。


 (……変だ)


 理由は分からない。

 ただ、ほんの一瞬だけ、

 立ち止まるべきだった気がした。


 けれど、その感覚を確かめる前に――


 背後で、荒い蹄の音が跳ね上がった。


 反射的に振り向く。


 視界いっぱいに迫る、馬車。


「――っ」


 避けようと足を動かしたが、間に合わない。


 息が止まり、

 世界が、音を失った。


 次の瞬間――


 強い力に、腕を掴まれた。


 身体が引き寄せられ、

 視界が回転する。


 背中に回された腕。

 確かな体温。


 硬いはずの腕が、意外なほど安定していた。

 強く引き寄せられているのに、

 怖さより先に、奇妙な安心感が胸に広がる。


 心臓の音が、重なった気がした。


 (……近い)


 そう思った瞬間、

 自分が息を止めていることに気づいた。


 馬車が、すぐ脇を駆け抜けていく。


「……前を見て歩け」


 低い声が、すぐ近くで落ちた。


 叱るようでいて、

 妙に落ち着いた声音。


 エリナは、息を詰めたまま顔を上げる。


 そこにあったのは――

 見覚えのある横顔。


 あの夜。

 路地裏で。


 酔って、殴られていた、

 あの夜、私が手当てした人。


(……どうして)


 問いを口にする前に、

 周囲がざわつき始めた。


「今の、危なかったぞ!」

「大丈夫か!?」


 人が集まり、

 声が重なる。


 そして。


「殿下!」


 その一言が、

 はっきりと耳に届いた。


(……え?)


 誰かが慌てて駆け寄ってくる気配。

 足音が重なり、周囲がざわめいた。


 殿下?


 誰のこと?


 抱き留めている、この人?

 それとも、別の誰か?


 思考が追いつかない。


 腕に込められた力が、

 わずかに強くなる。


 顔を上げようとした瞬間、

 視界がぐらりと揺れた。


(……あの夜の人が)


 もし、

 もしも。


 あの夜の人が、

 王子だったとしたら――


「……王子……様……?」


 声になりきらない囁きが、

 唇からこぼれ落ちる。


 そこで、

 意識が途切れた。



「エリナ様!」


 遠くで、誰かが叫んでいる。


 駆け寄ってくる足音。

 聞き慣れた声。


「兄上……?」


 第二王子――ルシアンだった。


 倒れたエリナを抱き上げている兄の姿を見て、

 目を見開く。


「自分から、助けに入るなんて……」


 問いかけは、返されなかった。


 男は表情を変えないまま、

 腕の中の重みを確かめるように、一瞬だけ視線を落とす。


 眠るように静かな顔。


 その睫毛が、微かに震えた。


(……世話が焼ける)


 言葉にはしない。


 ただ、短く命じる。


「運べ」


 集まっていた従者たちが、慌てて動き出す。


 ルシアンは、なおも兄を見つめていた。


 自分の身を顧みず、

 誰かを庇う兄。


 ――今まで、見たことのない姿だった。


 男は、何も言わずに歩き出す。


 腕の中の温もりを、

 意識の外へ押しやるように。


 エリナはまだ知らない。


 この出会いが、

 「偶然」で片づけられないことを。


 そして――


 選ばれなかったはずの世界が、

 静かに、音を立てて崩れ始めていることを。

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