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特別じゃないと思わせるために

 舞踏会の余韻が、王宮の回廊にまだ残っていた。


 笑い声。

 音楽の残響。

 遠ざかっていく足音。


 エリナは、人の流れから少し離れた壁際で、静かに息を整えていた。


 胸の奥が、まだ落ち着かない。


 あの視線。

 あの声。


 そして――

 仮面の男が、別の女性と踊っていた姿。


 音楽に合わせて、ゆるやかに回る二人。


 仮面の男は、慣れた動きで相手の腰に手を添え、

 女性は安心しきった表情で、その腕に身を預けていた。


 距離は近く、

 言葉を交わさなくても、互いの呼吸が分かるほど。


 笑みを浮かべながら、次のステップへ。

 まるで――何度も踊ってきたかのように、自然だった。


 エリナは、思わず視線を逸らした。


 見てはいけないものを見てしまった気がして、

 胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。


(……ああ)


 そういう人、なのだ。


 舞踏会で踊る相手は一人ではない。

 特別扱いをしないのが、普通。


 分かっている。

 分かっているのに。


 なぜ、こんなにも苦しいのだろう。


 優雅に手を取り、楽しげに微笑み、

 何事もなかったかのように、次の曲へと誘っていた。


(……そう、だよね)


 エリナは、ぎゅっと指先を握る。


 舞踏会なのだ。

 一人の女性だけを見るほうが、おかしい。


(……あの人にとって、私は特別じゃなかった)


 それでいい。

 妃候補なのだから。


 誰か一人に期待して、

 心を向けてしまうほうが間違っている。


(……それで、よかったはずなのに)


 頭では、ちゃんと分かっている。


 なのに――

 胸の奥が、ひどく苦しい。


(……私が、勝手に特別だと思っていただけなのかもしれない)


 あの夜の出会いも。

 あのドレスも。


 すべて、自分の都合のいい解釈だったのかもしれない。


 胸が、きゅっと痛んだ。


 ドレスの裾を整えながら、視線を伏せる。


(深い意味なんて、最初からなかったのかもしれない)


 舞踏会前の、ただの挨拶。

 妃候補の一人に向けた、形式的な贈り物。


 そう考えれば、辻褄は合う。


 なのに――


 どうしてだろう。


 忘れようとすると、

 余計に、胸の奥が疼いた。


 低く、落ち着いた声。

 すれ違いざまに落とされた、たった一言。


「……似合ってる」


 思い出すだけで、心臓が跳ねる。


(……駄目)


 エリナは、そっと首を振った。


 期待してはいけない。

 これ以上、意味を探してはいけない。


 自分は、妃候補なのだから。


 そう言い聞かせながら、会場を後にする。


 回廊を進む背中に、

 再び視線が絡みついていることにも気づかずに。


 柱の影。


 仮面の奥で、男はエリナの後ろ姿を見送っていた。


 あのドレス。

 あの表情。


(……案の定だ)


 特別じゃないと思わせた瞬間の、

 わずかな揺らぎ。


 それが、たまらなく甘い。


 男は、口元だけで笑った。


(疑って、否定して、それでも気になる)


 ――それでいい。


 自分から離れようとすればするほど、

 視線も、心も、戻ってくる。


 舞踏会の灯りが落ちていく中、

 男はゆっくりと踵を返した。


(もう少しだ)


 エリナが、

 「特別じゃなかった」と思い込んだ、その先で。


 自分の存在だけが、

 否定できなくなる瞬間を――


 静かに、待ちながら。


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