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夜は、そういう顔をしている

 王都の夜は、思っていたよりも冷たかった。


 昼間の喧噪が嘘のように、路地は静まり返っている。

 遠くで酒場の笑い声が聞こえるたび、エリナは肩をすくめた。


(……何をしているんだろう、私)


 城を出た勢いのまま歩いてきてしまったが、行き先なんて決めていない。

 ただ、足が覚えていた。


 あの夜と同じ道。

 同じ角。

 同じ、少し湿った石畳。


 胸の奥が、じんわりと熱を持つ。


 ――会えるはずがない。

 名前も知らない人だ。


 それなのに、心のどこかで「もしも」を期待している自分がいる。


 エリナは、路地の入口で立ち止まった。


 ここまでだ。

 これ以上進む理由はない。


 踵を返そうとした、そのとき。


「……こんな時間に、女一人か」


 低い声だった。


 背中が、びくりと跳ねる。


 振り返ると、路地の影に男が立っていた。

 夜に溶け込むような、輪郭の曖昧な姿。


 けれど、その声だけははっきり覚えている。


(――余計なことをするな)


 胸が、強く脈打った。


「……あ」


 喉が、うまく動かない。


 男はゆっくりと近づいてくる。

 足音は静かで、逃げ道を塞ぐようでもない。


 なのに、エリナの足は動かなかった。


「探してたわけじゃない」


 男が言う。

 どこか投げやりで、けれど不思議と落ち着いた声。


「ただ……また来る気がしただけだ」


 心臓が跳ねる。


 どうして。

 どうして、そんなことが分かるの。


「……どうして、ここに」


 やっとの思いで絞り出すと、男は小さく笑った。


「夜は、そういう顔をしてるだろ」


 意味が分からない。

 けれど、否定もできなかった。


 男の視線が、じっとエリナを捉える。

 値踏みするようでもあり、逃がさないようでもある。


「帰れ」


 突然、そう言われた。


「ここは、お前が来る場所じゃない」


 突き放すような言葉なのに、声は低く、静かだった。


 まるで――

 命令のようで。


「……でも」


 理由はない。

 言い返すつもりもなかった。


 ただ、この場を離れたくない。


 エリナは、自分の気持ちに戸惑いながらも、その場に立ち尽くす。


 男は、ほんの一瞬だけ眉をひそめた。


「面倒だな」


 そう呟いて、外套を脱ぐ。


「これを着て帰れ。目立つ」


 差し出された布地は、体温を残しているように温かかった。


「……いいんですか」


「返せとは言わない」


 即答だった。


 なぜそんなことをするのか、分からない。

 けれど、その無造作な優しさが、胸に刺さる。


 エリナは外套を受け取り、羽織った。


 男はそれを見届けると、もう興味を失ったように視線を逸らす。


「二度と来るな」


 冷たい言葉。


 なのに――

 どこか、嘘のように聞こえた。


「……はい」


 エリナは頷き、踵を返す。


 数歩進んでから、思わず振り返った。


 路地の影には、もう誰もいなかった。


 心臓の音だけが、やけに大きく響く。


 エリナは知らない。


 あの場所に、最初から男がいた理由を。

 自分が「来る」と、分かっていた理由を。


 そして、

 この夜が――

 偶然ではなかったことを。

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