8番の煙草
煙草は8番を買うと決めている。
コンビニでの話だ。
営業車で得意先へ向かっている途中、煙草が切れた。
灰皿のシケモクまで根元まで吸いきっていて、もうすっからかんだ。
値上がりと肩身の狭さで、煙草などもうやめたいのだが、どうにもやめられない。
今の仕事だって同じこと。
向いてねぇんだよ……営業なんて。
アイツが死んでから、何もかもが止まったままだ。
昔、アイツが言っていた。
煙草をやめるには、意志が弱い方がいい、と。
曰く——意志が強い奴は煙草を減らせるけど、完全にはやめられない。その点、意志が弱い奴は、吸うか吸わないかの二択しかない。だからやめられる。
アイツはそれで、煙草をやめられたと言っていた。
だったら俺は意志が強いのか?
そうは思わない。
意志が弱いから、向いていない仕事をいつまでもダラダラと続けてるんだ。
コンビニ発見。
駐車場に車を止め、外に出る。
店内に入ると、レジに女子高生らしきバイトがひとり。
そこへ近づきながらおもむろに、
「8番の煙草を一つください」
俺の言葉に、バイトの娘——名札に〈たなっぴ〉とある——が、一瞬固まった。
〈たなっぴ〉の背後には、たくさんの煙草が並んでいる。
どれも同じようなパッケージで、よく確認しないと、目当ての銘柄がわかりづらい。
にもかかわらず、店に入るなり8番を指定したせいで、彼女は戸惑ったのだろう。
「……8番ですね」
振り返って8番の煙草を取り出すと、俺にパッケージを見せる。
「こちらのタバコでよろしかったです?」
「ん……ああ、銘柄は何でもいいんだ」
「あれ、でもさっき8番って——」
〈たなっぴ〉は、不安そうな顔をしている。
「ははっ……俺はいつも、煙草は8番って決めてるの」
ニヤリとしてみせる。
「ええ〜っ、なんですかそれ」
理由がわかって〈たなっぴ〉はホッとしたようだ。
「8番ばかりを指名買いするから、たまには不味い銘柄に当たることもあるんだよ」
「ですよねぇ……600円で〜す」
金を払って車に戻る。
向かう先は、地方の漁村。
漁協との交渉を思うと、胃が痛くなってくる。
細く窓を開けると、車内に冷たい外気が入ってきた。
買ったばかりの煙草に火をつける。
銘柄は〈セブンスター〉。
(セブンか……エイトのひとつ前の数字だな)
アイツが死んで、もう5年——
あの頃は、俺もアイツも定職には就かずバイトを転々としていた。
俺は飲食系のバイトばかりだったが、アイツはデザイン事務所の下働きみたいなこともしてた。
絵を描くのが得意な奴だった。
一本目を吸い終わり、残り火で二本目に火をつける。
アイツとは、よく深夜のファミレスで長いこと語り合っていたっけ……
「——店の名前は、もう決めてあるんだ」
手にしたペンをクルクルまわしながら、アイツが言う。
俺と一緒に始めようという、バーの話だ。
「金もねぇくせに、良く言うよ」
「真面目な話なんだから、ちゃんと聞きなよ」
店の紙ナプキンを一枚引き抜くと、サラサラと走り書きをする。
紫色のインク。
絵が上手い奴は、字も上手い。
八番
その下に、アルファベットで〈EIGHT DAYS〉と添える。
テーブルにこぼれた水滴が、じわりと文字の端をにじませた。
「八番? どういう意味だよ」
「週8日営業で休み無し!」
「ずいぶんブラックな店だな……」
「他人事じゃないんだよ? 君は調理担当なんだから」
アイツの中では、店の話がどんどん進んでいるらしい。
「勝手に決めるな」
「じゃぁ、何のために居酒屋で修行してるの?」
「修行じゃなくてバイトだって……それに、ホントに休まないつもりかよ?」
アイスコーヒーのグラスを手にするが、中身が氷だけなことに気づいて、テーブルに戻す。
「コンビニみたいに、いつでも開いてるからいいんだよ。それに、毎日営業なら、毎日君と逢えるしね」
俺のグラスを取り上げると、アイツは氷をひとつ口に含んだ。
その仕草に、俺の心が騒ぐ。
「……俺をからかうなって」
「僕はいつだって本気だよ」
薄茶色の瞳が笑ってない。
その目から、俺は視線を外してしまう。
BGMの切れ目に、天使が通り過ぎる——
「僕は本気だから」
ガリッと音を立てて氷を噛むと、さっきの紙ナプキンを俺の手に押しつけた。
「……そろそろ出ようか」
俺は紙ナプキンをポケットにねじ込むと、伝票を手に席を立った——
《目的地、周辺です》
営業車のカーナビが言う。
もう、煙草が心許なくなってきた。
仕事の話が済んだら、どうせまた飲まされる。
今のうちに、追加の煙草を仕入れておこう。
コンビニを見つけ、車を降りた。
磯の香りが鼻につく。
店内に入ると、
「シャッセー」
品出しをしていた金髪のあんちゃんが、威勢のいい声を上げた。
「8番の煙草を一つください」
レジ前に行くと、いつものように銘柄を見もせずに言った。
レジに入ったあんちゃんが、カウンターに8番の煙草を置く。
それを見た俺は、ドキッとした。
見たことのないパッケージ。
白地に鮮やかな紫色のロゴ——EIGHT DAYS。
いかにも、アイツが描きそうなデザイン。
心臓の鼓動が早くなる。
思わず顔を上げると、バイトのあんちゃんと目が合った。
「……なんスか?」
「あ……いや——この煙草、新しい銘柄?」
「……そうス、新しいやつスね。最近入ったばっかで」
金を払って店を出ると、さっきよりも風が冷たくなっていた。
(そういえば、今日はアイツの命日だった——)
すぐ先に港がある。
せっかくだからと、足を向けた。
アスファルトからコンクリートに変わるあたりで、潮の匂いがいっそう強くなる。
防波堤の向こうには、漁船の群れ。
どこからか、ウミネコの声が聞こえてきた。
階段に腰を下ろし、〈EIGHT DAYS〉の封を切る。
「……なぁ、8番のスロットに〈EIGHT DAYS〉って——ちょっと出来すぎじゃないか?」
一本抜き出し、ライターで火をつける。
深々と煙を吸い込んで——吐き出した。
潮風と混ざった煙が、灰色の空へと薄くちぎれてゆく。
「……苦ぇ」
手の中の〈EIGHT DAYS〉をじっと見つめる。
(……週8日営業で休み無し、か)
立ち上がって、大きく伸びをする。
あの時の紙ナプキンは、いまも俺の財布の中で眠っている。
「やるしかねぇよなぁ……」
〈EIGHT DAYS〉をポケットに突っ込むと、俺は車に向かって歩き出した。
〈終〉




