100話 運命
右足の膝裏。
深々とハサミが刺さる。
僕は倒れ込む勢いでカシウスへもたれ込んだ。
裁ちバサミをまっすぐ前へ。
その勢いが止められる。
首に縄が掛かった。
僕は目をぎょろりと動かし周囲を探る。
リゼはナイフを床に捨てていた。
その代わり、そこらにあった紐を複数重ねて手に巻いていた。
僕が反応すると同時にカシウスは槍を棄てる。
左手で裁ちバサミを握り固定する。
右手で僕の首元を掴んで固定する。
僕はあと2秒で身動きが取れなくなる。
首が絞められる1,5秒前。
ハサミを手放し、身体を思いっきりのけ反らせた。
体重に加え、その勢いが一点に集中する。
カシウスが握っていたリボンは千切れやすい。
リゼは目を見開く。
痛みで鈍った動きは一瞬遅れた。
その両目へ指を突き出す。
大粒の汗と共にリゼは尻もちを搗く。
──縄を手放した。
僕は身体をねじり、カシウスへ蹴りを入れてやる。
反作用で僕は飛び出し、窮地を逃れた。
一息つく前にリゼの左拳が飛んでくる。
対応できる速さだ。
紙一重で避け、手首を切りつける。
右手前の床に捨ててあったナイフ。
切りつけた勢いでカシウスへぶん投げる。
避けるのではなく、手で受けた。
二人の目から笑いは消えている。
僕はようやく一息ついた。
「やっぱりここでは未来は読めないんだね。」
リゼは血と共に荒い息を吐き出している。
カシウスは伏せていた顔を持ち上げた。
「それは大間違い。」
白い眼に散らばる星屑が──回った。
それに気を取られた瞬間、
リゼが横から体当たりをしてきた。
血まみれでろくに動けていないのに力強く僕の服の肩辺りを握り締めた。
思わず彼女に目をやり、突き放す。
カシウスに向き直る前にしゃがみ逃げようとした。
槍から閃光が放たれ、僕は怯んでしまった。
僕の胴に槍が突き刺さる。
カシウスは笑っていた。
僕の逃走経路に槍を合わせた。
「千里眼はこの世界を覗けなかった。
外から中が見えないだけで、この世界においても運命は定まっている。」
槍は壁ごと僕を貫いている。
逃げられはしない。
「フレイ、大丈夫?」
アリスに悪いが、死んでいないだけだ。
僕の負け。
「勝ち目はないでしょ?サッサと呪いを解かせなよ。
呪いに取り込まれるより刺し殺される方がマシだろう。」
「……………断るよ、限界までは時間を稼ぐ。」
僕はナイフで脇腹を切り裂いた。
「へぇ?」
ギリギリで両断されていなかった胴体は切り離される。
床に這い蹲った僕は匍匐前進。
アリスを乗せたまま数歩分は進む。
「それで?何の意味があるの。」
カシウスは槍を押し当て、リゼの傷を癒しながら語る。
カーペットが僕に巻き付いた。
布が徐々に鼓動を得て、僕の新しい肉体へと変わる。
「今解除しても戻るのは部屋の中。
リゼが魔法を使える分、勝ち目は完全に断たれるだろう?」
ゆっくりと僕へ歩み寄り、カシウスは槍を足に突き刺した。
痛みはまだ無い。
薬が切れる前に脚首を落として前に進む。
僕は壁際まで這い蹲って進む。
「負けを認められないってわけじゃないだろう?
可哀そうだが、君は魔界で成長せざるを得なかった。」
カシウスの目は輝きを増し続けている。
未来視を常時発動させている。
逆転の可能性はどこにもない。
僕は観念して背中のアリスを力なく抱き留める。
アリスは二人には目をくれず、僕だけを見てくれていた。
「………アリス、もういいよ。」
「そう、またね。」
最初に感じたのは冷たい木の感触。
物言わぬ人形を、変わらず強く抱き留めた。
次に感じたのは血の匂い。
透明な血だまりからのそれをその場の全員が感じた。
「──兄さん?」
その後、一層匂いが強まった。
僕を上から覗く白い眼が血に染まったからだ。
カシウスは眼から、口から、軽い擦り傷からも血を噴き出す。
「さて、カシウス君。説明を頼めるかな?」
最後に感じたのは、巡る魔力。
扉は開かれ、短い白髪の老人から放たれる魔力だ。
「………僕から話しましょうか?校長先生。」
リゼが床に手を着こうとした。
だが、老賢者の放つ魔力に弾かれ、また尻もちをつく。
その魔力に呼応し、さらに血が飛び散る。
「ふぅん?なぜわしは魔法を撃てたのかのう?
いつもの君ならだ、カシウス。
先手を打たれてわしはこの部屋にさえ辿り着けんはずだが。」
「私からも頼む…………フレイ君。
何をやりやがったんだ?」
カシウスは血を拭った目で睨みつけてきた。
僕はアリスを抱いたまま、壁にもたれて立った。
初めて僕はその眼を見下ろした。
「僕の狙いは時間稼ぎですって。
大切なのは、未来が見えるかじゃない。
僕が呼んでおいた援軍を見えるかどうかだ。」
アリスの世界を基本世界からは見通せない。
であれば当然逆も見えない。
「僕が二十分以内に出てこなかったら来てくださいとメモを残しておいた。」
「まぁ、わしが受け取ったのは五分前じゃが。」
監視されている可能性を考えた、馬車の中でイザベラに渡しておいた。
それをまた冒険者ギルドに渡してもらって、そこからは僕も知らない。
このメモに辿り着かれても容易には意図が分からないように、伝言し続ける。
「未来視の存在は教えておけばよかったかの?フレイ君。」
校長はひげを触りながら、警戒は解かない。
「あんた自身が僕を殺そうとしたからこのメモは渡されていった。
だから数時間前のあんたじゃ予知できない。
その上、アリスの世界に居たから直前のアンタでもわからなかった。」
僕は話をそこで切った。
時間稼ぎをさせる気はない。
「あぁ………これ以上は無駄か。じゃあねフレイ君。」
カシウスはリゼを片手に窓へ脚をかける。
右手は窓枠を掴んでいた。
「やぁあ!」
その右手が切り落とされる。
外から飛び込んで来た青の少女が切り裂いた。
彼女は僕の前に滑り込んだ。
「ごめん!大丈夫!フレイ!?」
カシウスの荒い息が部屋でこだましている。
シアはシアらしく叫んだ。
「ぼちぼちだけど、もう動けない。」
僕はアリスを抱きながらシアに微笑む。
「…………逃げられるかも怪しくなってきたねぇ。」
カシウスは弱弱しい声で呟く。
出血は止まることを知らず、立ち上がる動きも鈍い。
だが、笑っていた。
その眼は空を向いている。
「………………遺言かも知れないが、最後に一つ。」
僕らに眼を向ける。
その瞳孔は絶えず公転していた。
「神が蘇り、世界が滅ぶ運命。
それが今も観え続けている。」
「は?」
「………良い間抜け面だなぁ。また会ったらよろしくね?」
カシウスは槍とリゼを持ったまま落下した。
「…………フレイ、どういうこと?」
僕は腰が抜けて座り込んだ。
「『信仰者』………か。」




