99話 再演
鼻の奥を香の匂いが満たした。
血の匂いが消えている。
僕は起き上がり、冷たい膝の上のアリスを抱きしめる。
『一緒に逃げたい』
かつての決意がまた浮き上がる。
僕はアリスと離れないと決めた。
アリスがまだ呪うなら、僕も呪いに囚われる。
今の僕は悲劇の花嫁だ。
だからこの呪いは、僕を媒介しても発動する。
「アリス………今は邪魔者を殺そうか。」
アリスに背を向けておんぶする。
冷たい手が巻き付き、固定される。
「うん、いいよ。」
語尾に重なるようにナイフが胸へ突き刺さった。
カシウスがリゼからひったくって投げたのだ。
深々と突き刺さったそれを抜き取る。
零れた血と共に変化し、僕は薔薇の花束を握っていた。
「やっぱり、花嫁は生かされ続けるようだ。」
リゼを小突いて予備のナイフを構えさせて、カシウスは観察していた。
「晦級紅籠人形『揺籠のアリス』、その性質は検証済みだよ。フレイ君。」
嵐の前の静けさとはこのことだろう。
今は薔薇の香りと静かな語りだけが部屋にこもっている。
「数十人分見てきたが、パターンは二種類。
一つは精神が崩壊し、呪いに取り込まれる場合。
もう一つはその前に自殺した場合だ。」
「注目すべきは二つ目。
様々な死因が確認されたが、半分が飛び降り。
入水自殺が四分の一。
後は刃物での出血多量。」
白い眼が僕を睨みつけている。
「これは少し疑問が残る。
千里眼で様々な死を観てきたが、自殺は7割方首を吊るんだ。」
僅かに口角を上げている。
戦いを楽しんでいる。
「予想どころか、妄想にも近い仮説だが。」
「花嫁は首を絞めて殺すべきかな?」
「僕からも予想を言わせてくれ。」
「あんた、千里眼使えないんじゃないか?
使えるなら妄想を垂れ流さなくとも知ってるはずだね。」
僕は敢えて睨みつける白から目をそらさなかった。
この世界で抗う僕を見ていなかった。
それは見えなかったという仮説を立ててはいた。
それなら僕が襲撃を生き延びたのも説明できる。
お互いに黙り込んだ。
これ以上の情報はお互い出さない。
”知っているはず”
これは余計だった。
勝利条件を明確にしてしまった。
リゼも含めた全員が固唾を飲んで待っている。
もう劇を始めるとしようか──
──始まりは花嫁が馬車に座っている場面からだ。
即座に身体をのけ反らせた。
アリスをおんぶしたまま右斜め前へと飛び出す。
馬車の扉は蹴破られナイフが向かってくる。
リゼだ。
彼女は首を絞める前に身動きを止めるつもりらしい。
正確に足を狙った一撃の軌道。
僕はその軌道を真正面から蹴り飛ばした。
噴き出た血は高質な座席を濡らすが、僕の命には関係ない。
彼女は馬車の壁まで弾かれた。
僕も反対側へ肩を打ちつける。
その僅かな後。
巨刃が真上から降って来る。
馬車を真っ二つに切り裂き、飛び出した僕へ向かって振り下ろされた。
三度、空気が裂ける感覚が身に掠る。
「着きました。ここが今日からの貴方の住まいでございます。」
従者の声が聞え、この赤い空に戻った実感が湧く。
彼は虚空に向かって手を差し出している。
カシウスとリゼを同時に睨みつける。
やはり未来は見えていない。
でなければ今も猛攻にあっているはず。
それに馬車を切り裂いた攻撃がワンテンポ遅い。
アリスの無事を確認してから、爪を噛んだ。
「近距離戦なら、武器が欲しいわよねぇ。」
親指の爪を歯で剝ぎ取った。
場面が変わる──
──赤い月は窓越しとなり、僕は座らされていた。
剥がした爪をやすりで整えられている。
侍女たちと大きな姿見、着付け室だ。
自分の身体を思いっきり右に投げ飛ばす。
先程まで頭のあった場所に刃が振り下ろされた。
振り返りはせず、テーブルの上の武器を掴む。
良く研がれた裁ちバサミ。
相手と同じ程度の刃渡り。
リゼのナイフをもう一度避ける。
頭狙いというよりはアリスを狙っている。
ハサミを逆手に持ち、真正面から向かい打つ。
アリスの手を狙う攻撃を避けると、肩に突き刺さった。
この程度ではリゼも僕も止まらない。
次は右腕を狙ってきた。
手首から血があふれる。
接近戦には反復練習が基本だという。
この反射行動は予想が出来ていた。
薔薇の香りがする前にリゼの利き手を突き刺す。
再生できる僕相手に通常近接格闘は通じない。
痛みに怯んだ彼女を蹴り飛ばす。
ドレッサーに突っ込んだ様子から数秒は気にしなくて良い。
僕の脇腹が切り裂かれる。
カシウスは侍女の影に隠れていた。
対応は出来ていない。
だが、今この空間において魔力の概念は無い。
よって流れる血から魔力を吸う事も無い──
「──だ。なんて思ってないだろうね?」
白い眼は輝いてはいないが笑っていた。
『打飛』
僕を突き刺した先の、小さい糸切りバサミが宙を舞う。
……槍に蓄えた分か。
足に突き刺さったハサミは再生を阻害し、僕は跪いてしまった。




