93話 血と鎖の空
一瞬の硬直。
正面、少年。
左にマスター。
瓦礫の中にシア。
イザベラは姿を消している。
──その間に。
黒い手が空中に魔法文字を刻む。
幾本もの腕が、術式を分担して書き上げた。
黒手の魔法記述は、もう終わっている。
「っつぁああぁああああ!!」
少年は分銅の回転半径を縮めた。
回転密度が一気に上がる。
迫る黒羽根と飽和的に降り注ぐ火球魔法。
その全てを弾いているように見える。
──見えるだけだ。
呪いは物理的法則に縛られない。
砕けようとも、小さい本体が連なる。
鴉の群れは消えはしない。
火球を砕くことは出来ている。
直撃の前に鎖が当たる。
金属製のそれは熱を帯びていく。
マスターは状況をよく見ている。
起き上がったシアを静止していた。
煤烏の呪いに触れないように。
しかし、逃げられないような距離を保つ。
「らぁあ!」
少年は両足で跳躍する。
だが、それでは逃れられない。
握ったその鎖分銅はまるで手枷だ。
超人的な身体能力で地面を砕くほど押しても、高々数メートル。
回転を止めた数秒。
彼は魔法も呪いも使えない。
彼を焼き尽くす。彼を呪い尽くす。
「…………最高だなッ!」
分銅が僕へ投げ放たれる。
両手を放し、片方の分銅を投げつけてきた。
もう片方も手放し、重力に預けている。
彼は笑っていた。
「このスリル!」
そうだ、回転は止まっている。
反作用の向きが変わった。
分銅を投げた瞬間、鎖は手から離れていた。
引き寄せられる力はない。
代わりに、投げた反動だけが身体を後ろへ弾く。
──敵との距離は、六メートルだった。
鎖は八メートル。
有効射程五メートルから距離を取っていた。
跳躍の直後に投擲。
反動でさらに離れる。
直線距離二メートルだけ離れた。
急に変動した位置に炎も呪いも追いつかない。
一瞬が引き伸びた感覚の中で彼の才能を魅せ付けられる。
裸足の指で。
親指と人差し指で。
落とした方の分銅を掴んでいた。
足でそれ引き、鎖はピンと張る。
鎖は僕へと向かう一直線になった。
その一瞬の道を彼は掴んだ。
裸足の指で挟み込む。
鎖の道を、駆け抜ける──
「マジかよ!?」
シアが慌てて援護に来てくれるが、間に合わない。
ズガンッ!という着弾音。
分銅そのものは避けられた。
だが、それを放った存在からは逃げられない。
宙を自在に舞うほどに、身軽な身体。
踏ん張る地面が無ければ、
打撃は全て軽い。
致命傷にならないことはこの場の全員が分かっている。
だからこそ。
それを障害とも思わないからこそ、
この少年はA級の脅威だ。
「フレイ!?避け──」
汗ばんでいて、金属臭が染み付いた腕が巻き付く。
右腕は差し込めなかった。
詠唱のための、喉が………締ま……っ…た。
関節技、それも完璧に決まった。
裸締め………だ。
受けて初めて理解する。
呼吸ではなく、血が止まっている。
痛みを魔法で止めているとか、
もっと重症だったことがあるとか、
死ぬのが怖くはないとか、
そんな些事は関係ない。
…………あと五秒。
そう思ったころにはあと四秒。
直ぐに落ちるのを理解する。
剣は足元に落した!
出した黒手ではパワーが足りない!
呪いの黒鳥はまだ遠い!
魔法!?
馬鹿なことを考えるな、そもそも喉が潰れている!!!
考……考え、かん、が………考えを巡らせ………ろ!
かやく………?むりだ。僕ごと死………。
仕込んだくぎ……………?そんな程………無………。
視界が歪む。
血が足りないはずなのに、頭に血が上る感覚が続いている。
錯覚、幻覚、思い過ごし。
「こっちを魅な!A級!!!」
僅かに見えたそれに僕は救われた。
「私はそいつと同じ!B級冒険者!兼!中級魔導士!」
地面がそのまま立ち上がったような巨体に目を惹かれたか。
「……最ッッッ高ッッだな!?」
締めは半端に終わり、彼はそれを見上げて笑う。
血が一気に巡り、視界が焦点を取り戻す。
土くれの体。舞い落ちる砂煙。バカげた巨大さ。
その頂点に、幼馴染の姿があった。
「ゴッッ………ゴ~レムじゃん!!!」
気づかれないよう、邪魔されないように。
ギルドマスターは僕を回収した。
「捻りブッ潰せ、無魂巨身像…………。」
少年は見上げたまま、髪をかき上げた。
「あぁ、最高にイラつく………。ご主人共と同じだな………。
俺より、弱い癖して………借り物の力で見上げてくる。」
鎖を掴むところまでしか見えなかった。
巨拳が全てを包み込んだ。
遅い動きでも、真上を陣取る巨体。
落下の力を得た土塊は回避は出来ない範囲攻撃。
抉る攻撃も、この規模間の前では通らない。
砕ける音がした。
一帯に飛び散り、散乱する。
…………バカな。
「見下すなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!!!!」
空に居たのは、
上に居たのは。
見下していたのは、彼だった。
超質量の鉄塊を、
最大の直径で、
最高速度で回していた。
風切り音。
舞う土飛沫。
暴走とも言える絶叫。
だが、誰かが呟いた言葉は、どれも指していなかった。
「─────楕円?」




