92話 特別A級逃走奴隷 ゼグ
「なぁ!魔界に行ってたんだって?」
裸足で地面を踏み締めて、傷面の少年は武器を遊ばせる。
風切り音は聞こえない。
回しているのは鎖のついた分銅。
ただし普通の武器ではない。
先端に付いているのは――加工された錘ではなく、岩山から割れ落ちたような鉄塊だった。
「力見せてみろよなぁ!?」
回転の勢いが僕を向いた時、右手を放し間合いが変わる。
下から突き上げるような攻撃。
分銅のサイズからして、防ぎ損ねれば骨折は免れないだろう。
理性は伝えてくる。
──その程度な訳が無い。
磨かれた本能が僕を動かした。
音の無いその打撃を回避した。
一瞬構えかけたも避けさせる。
回転の勢いは攻撃の勢いだ。
もう一方の分銅が動く前に、魔剣の差したルートを駆ける。
ギルドマスター、シアもほぼ同時。
正確に言えばマスターが最初に到達した。
左足。
少年の左足が地面に沈んでいた分銅を蹴った。
今さっきの攻撃よりは遅い攻撃。
「チィッ!」
マスターは体勢を変え、全力で盾を構えた。
両足は即座に開き、衝撃に備えている。
金属音。
──マスターは半メートルほど地面を滑り、盾は僅かに歪む。
僕では受けられない──!
「やぁぁあい!」
次にシアが剣を振るう。
僕はそれに合わせ、退路を塞ぐ軌跡を選んだ。
「悪くはねぇ!」
少年は正面から鎖を引き戻し、その勢いのまま後方へ投げた。
マスターを攻撃した方は弾かれて、同じ方角に勢いづいている。
痩せたというよりは肉が付かないような、小さな身体は宙へ浮いた。
その予想外の機動からは躍動を感じた。
「だが、良くもねぇ………。」
建物の一つ、石造りの塔に着地する。
鎖の両端から少しだけ離れた部分を持ち、高速で回している。
『中級魔法・火柱………!』
距離を取っていたイザベラはマスターの後方から火を放つ。
だか、軸に近づけた回転には火が通る隙間は無い。
感想も無く、ただ押しのけられた。
「聞いてるぜぇ?フレイ……。お前の手札は魔剣、邪神、あと悪魔。」
指折り確認しながら僕の情報を開示する。
……全部バレている。
いつから”見られていた”?
「出し惜しみなんて出来るのか?俺はこの武器を得た時、ゴシュジンどころか!えっと………アイジンとやらも全員ブッ殺したぜ!」
少年は回したままに話をしていた。
僕自身には興味が無いらしい。
それと、破壊力の正体は質量だ。
魔力を感じないし、元奴隷だったら魔法や魔術を操れない。
屋根の上でも回しているのは、本能で荷重を減らす理屈を理解しているのだろう。
………イザベラは隠れられた。
マスターもシアも、僕を待っている。
出し惜しみはするつもりは無い。
剣を握る手が、ひとりでに動いた。
まるで刃そのものが導くように、切っ先は少年の喉を指していた。
白いローブに映える染みは膨れ上がり、押し込められた平面上で暴れている。
あの傲慢を喰らいたいと、僕に語り掛けてくる。
頭に悪魔の声が響く。
『イワレテルゼ?契約者サマヨォ?』
──僕は地面に唾を吐いた。
「『塞墨』『煤烏』『漆骸』───起きろ。」
分銅同士がぶつかる金属音。
塔の上からA級は両の鎖を僕に向かって投げた。
少年は跳躍ではなく、
分銅の質量で自分を引き寄せていた。
「漆骸!」
こちらも単純な移動では対応できない。
黒い手を伸ばし、建物の残骸を掴む。
両足で補助をしつつ、身体を引く力に身を任せる。
距離を取った。
物理的な現象は、魔法も、剣も、拳も退ける。
──であれば!
「羽を伸ばせ、煤烏!」
法衣の封印を緩めた。
白いローブの袖は全て侵され、黒い羽音をまき散らす。
煤烏は最も高ぶった感情を喰らいに行く。
散った黒羽は風に吹かれたようだ。
笑うその顔に降り注ぐ。
片方の分銅をシアの方に投げた。
シアは余裕をもって回避する。
鉄塊は彼女の背後を掠め、石壁に叩きつけられた。
鈍い衝撃と共に鎖が張る。
その瞬間。
少年はそれを手繰り寄せた。
空中で、逆に。
跳んだのではない。
引かれた。
鎖に。
「触れねぇよ!そんなバッチィ羽にゃあ!」
シアはドロップキックにて吹っ飛んだ。
多分ダメージはない。
あの鉄球を受けるのに比べれば、少年は軽い。
だが、シアが復帰するまで数秒のラグがある。
周囲を見渡す。辺りは瓦礫だらけ。
襲撃の報告が届くまで、援軍は期待できない。
アリスの呪いから覚めても、冒険者たちはまだ目を覚ましていない。
マスターは出血し過ぎている。
攻撃の要、左腕も飛ばされているから、注意を引くのに専念している。
イザベラは何処かに隠れている。
何か準備しているんだろうが、それまでは動けない。
───僕が何とかしなきゃ………だ。
今は、縋らせてくれる人は居ない。
「…………自由に飛べ!煤烏ッ!」
どろり
影が溶けだす。
「んなぁ!?」
落ちた羽一つ一つに呪いが蘇り、小さな鴉として起きた。
袖から垂れた黒はボトリと落ちる。
最初に羽が形作られ、その羽ばたきが終わった頃。
顔の見えない怪鳥として飛び去った。
「漆骸、”手”を貸せ!」
『GRYYYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA』
背中から無数の手が生える。
「ッ………!第二段階かな?」




