9話 住民
やはり、このネズミは最低だ。
火球が50cmに迫るかというほどでようやく回避を始めた。
『速い』というよりは『すばしっこい』。
真横に避けるところまでは想定内だった。火球を追尾させ、真近で破裂させ焼き殺すつもりだった。
しかし、火球を突き破る存在があった。最後の一匹だ。
弱いくせに堂々と、冷静に、周りを見極めている。
ネズミも僕もこの場では戦力外。しかしこの態度の差が分ける。
防御魔法なしに受けた一撃は予想のはるか上のダメージを及ぼした。
横腹をえぐられた。ネズミは馬の下を通り抜ける。最悪だ。怒り狂った馬を越えなければならない状況を作られた。二匹を閉じ込めている結界は残り3分という具合だ。しかし、よい報告もある。
シアが口を手で押さえ中身を吐いてしまわないようにこらえながら起き上がった。
魔界広しといえど、あそこまで頑丈な存在を見たことはないのだろう。
ネズミの意表をつけたようだ。
後は、ネズミが先に逝くか、僕が先に逝くか。
策も余力もない。純粋な根性比べといこうか。
空を飛ぶ一匹は干渉するつもりはないらしい。
攻撃しても意味がないシアも、直に踏み潰されるだろう僕にも興味はなくしたらしい。
少し離れた岩にとまり、魔力の回復を待っている。
蹴りの射程範囲に入った。右足のたたきつけを余裕をもって避ける。
正面からの分かりやすい一撃目は避けられる。しかし次はどう出るか。僕の方を向きなおし、雑巾のように叩き潰すか。それとも後ろ蹴りで身体を破裂させるか。噛みつきということも考えられる。
だが、化け物の手を推し量ることなどできなかった。
咆哮。これは相手をビビらせるためのものではない。相手を殺すための一手。音圧による打撃。
強者のスケールは弱者に理解できるものではない。そう理解できた。
馬は息がとまった僕に悠々と向き直し、確実なる止めを刺そうとする。
その僅かなる隙、強者の余裕にナイフを突き立てる。
筋肉質な足にはナイフもうまく刺さらない。血が少し垂れたぐらいだった。
これはただの意地だ。生き残るための一手ではない。
強者は僕の手ごとナイフを前歯で咥え、抜き取る。僕は軽く転がされた。
横腹からの出血は止まらない。喉は依然として潰れている。声も出せない。あばらも右手も砕けた。
まぁ頑張った方だ。シアは襲われても死にはしないだろう。
魔界で一思いに殺してくれるならまだましなのかもしれない。
内臓が飛び散り辺りは赤く染まった。
根性比べは僕の勝ちだ。
クソネズミは青いスライムに絡めとられ、シアに捕まっている。
口から少し中身が垂らしているが、まだ余力はありそうだ。
身体を分裂させ、辺りにばら撒いたらしい。ブルースライムの死骸の中に動いているものが紛れている。
馬は止めを刺すか悩んだが、ネズミ片手に恐る恐る近づくシアを見て、歩き去っていった。
腹いせなのか、進路にあった大岩を砕いた音がする。
残っていたデザートイーグルも結界を砕き、さっさと逃げ去った。
粘り勝ったのはこちらだが、完全勝利ではない。
流れ出る血液と薄れゆく意識が死を実感させる。
シアがネズミをつまみながら寄ってきてくれたが、もちそうにない。
「………カス…ネズミ…………め。」
目を覚ましたら、天井が見えた。
周りを見ると椅子に座ったシアが本を読んでいた。結構いい性格をしているらしい。
病人の寝てるベットの上に足をのっけてくつろいでいる。
「すいませんけどシアさん、状況を教えてくれませんか?」
目線をパッとこちらに向ける。
「えっと。ぁー長くなるからちょっと待ってくれない?」
良い所だから、とシアがラスト数ページを呼び終えるのをじっと待つ。
じっと見つめるのは気が散るだろう。天井をボケーと見つめる。
やっぱりこいつ、なかなかな性格をしている。ラスト一行を読み終えた後、目を閉じて余韻まで楽しんでいる。結局、彼女からの説明はなかった。なぜなら、魔界で初めてのまともな人に出会えたからだ。
重病人が天井を見つめ、看病しているはずの少女がくつろぎ、目を閉じて涙を流している。
こんな状況に対し、深緑色の長髪をした女性は当然こんな反応を示した。
「まずは自己紹介をしてもらおうと思ってたんだけど………」
「やっぱり今の状況を教えてもらえないかな?」




