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90話 逃げたい?

花婿は、存在しない左腕を掴もうとしていた。

その隙に、僕は左腕の断面を脇腹に叩きつける。


ベッドから飛び降り、距離を取ることが出来た。


………僕の拳はか細く、何とか体勢を崩させただけ。

あらかじめ殴る体勢を取っていなければ、僕は押し負けていたはずだ。


僕は人形を拾った上で花瓶に駆け寄る。

そして思いっきり拳を打ち付けた。


流れ落ちる血は花嫁にはふさわしくないだろう。

血だまりはフリルの先を赤に染めていく。


だが、着付け室には行けなかった。


陶器の破片は浮かんで元の花瓶に戻っていく。

手から滴る血は赤いバラの花びらに変わり、部屋を更に豪勢に飾り付ける。

修正の力が、屋敷の歪みが強くなっている。


花嫁は起き上がり、依然と同じ速さで動き出す。

迷ってる時間は……無い!


花嫁に強く戻されるなら、もっと過激に抗え。

完全に修復される前の破片を拾い上げ………右足に突き刺した。

一番下に着た白のシュミーズまで血が滲む。



「腕を挙げてください。」


劇場の場面が変わる。

着付け室にまで戻ることが出来た。


手際よく服を脱がされていく。

今回は下着から着付けをされるので、時間は少しだけある。


………花嫁として作り替えられた身体が、元に戻るのかは分からない。

指を締め付けていた指輪も、今ではあつらえたようにピッタリだ。

座る椅子も、見える景色も大きく感じる。


だんだん、違和感が消えてしまっている。

少し前まで、この世界からの脱出方法必死に探せていた。


だが、今は逃れられないのではないかと考えてしまっている。

この世界こそが現実として、基本として、常識として錯覚している。


コルセットは更に小さく締められる。

重ねたペチコートに重みを感じ始めた。

鮮やかなフリルを……恐らく僕は着こなしている。


着付けが終わるまでは僕は動けない。

動く気が起きない。

それが当然の流れとして、侍女も花嫁を飾り付ける。


「お返しします。」


破れたままの人形をひったくり、僕は駆け出した。

鏡は見ないようにして、コルセットの紐と小さなハサミをつかみ取る。


周囲は歪んで香の匂いが漂い始めていた。

扉は既に現れていて、恐らく花婿もそこに発生している。


だが、まだ窓がある。

ドレッシングルームには自然光を取り入れるために大きな窓がある。

………それを常識として受け入れるようになっていた。

記憶にまで干渉されているかもしれない。


だが、それより今は逃げることだ。

窓が開いているとはいえ、花嫁はそこから飛び出さない。


窓枠に脚をかけた。

景色は歪んでいるが、まだ窓の先は外だ。


草の鋭さを感じながら、駆け抜け、庭の木に辿り着けた。

木に紐をかけ、輪を作る。


花婿は屋敷の外には来ない。

それでも、作業は速める。

日は既に落ちている。


息を大きく吐き、力尽きるまでの時間を少しでも縮めた。

人形を手に取ったまま、縄を首に掛けた。


苦しい。

これまでに、更につらい痛みは味わったはずなのに、苦しくて泣きたくなる。


息が出来ない。

視界が歪む。


───僕はベッドの上に居た。

首を締めている物は紐ではない。


花婿が僕の首を絞めていた。


先程付けられたリボンも既に千切られている。

人形は床に転がされている。


……アリス(ぼく)はここで首を絞められた。


苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい


話を……進めてしまった。

もう、服を破る程度では……戻れない。


花嫁が少し乱されるくらいでは、

この劇は止まらない。


ここから先は──


花嫁が傷ついても、筋書き通りだ。



「――どいてよッ!!」

手に持っていたハサミを花婿に突き立てる。


持ち込んだハサミは存在そのものがイレギュラー。


花婿の動きが僅かにがたつき、ギリギリで逃れられた。

人形をまた手に取り、潰れかけた声帯を整える。


「従者。」

鍵のかかった扉の近くに駆け寄り、貴族令嬢らしい声を絞り出す。

「花嫁を馬車までエスコートしなさい。」

この劇の一幕を、私は演じた。



「着きました。ここが今日からの貴方の住まいでございます。」


馬車が止まり、扉が開かれた。


外の光が顔に射した。

だが、その光は微細。

日は――すでに沈みきっている。


以前と違っているのは、馬車に人形を持ち込んでいる事だけ。


腕の中の人形を見る。


フリルは形が崩れ、リボンは千切れている。

綿が少し覗いていた。


ふと、自分の胸元を見る。


僕のドレスも同じだった。

乱れたフリル。千切れたリボン。


「ねぇ、」


少女の声がする。

腕の中から声がした。


最初から、そこにいたみたいに。


いつの間にか世界は止まり、僕は花嫁を抱いていた。


フリルは形が崩れ、リボンは千切れている。

虚ろな目が、すぐ下から僕を覗き込んでいた。


膝の上にあったはずの人形は、消えていた。

今あるイレギュラーは――彼女自身だ。


……アリス。


どうしてか、その名前が頭に浮かんだ。

――懐かしい。


「逃げたい?」


僕の手には小さなハサミが握られていた。


さっき、花婿に突き刺したはずなのに。


従者も、周囲の景色も止まっている。

今居るのは二人の花嫁だけだ。


この悲劇は馬車から始まる。


行われる修正は劇を巻き戻すもの。

今、私がイレギュラーを起こせば、劇は崩壊するかもしれない。


彼女がいるから、時は止まっている。

劇を進めようとする異常は起こらない。


ハサミを握る。


今、これを首に突き刺せば…………終えられるかもしれない。


隣の花嫁はただ、観察している。


唾を飲み込む。


この世界に、僕は肉体ごと巻き込まれた。


いや。

私は、この劇の主役だ。


呪われた劇場が崩壊すれば、

主役もまた舞台と一緒に消える。


少女は首を傾げた。

そして、もう一度だけ聞く。


今なら、まだ。


「逃げたい?」


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