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88話 晦級紅籠人形『揺籠のアリス』

僕は寝転んでいた。


枕の感触では無い。

揺れていて、やけに柔らかく、でも冷たかった。


触り心地の良い、大きなベッドの上だった。

高貴な香の匂いが鼻に着く。


大きな窓と、厚い絨毯、椅子。それに小物の置かれた棚。


「ねぇ、」


僕は少女の膝枕で寝かされていたと気が付いた。


僕よりずっと幼い。声は柔らかい。

だが、妙に平坦だったと感じる。


暗くてあまり見えない表情からは感情が読み取れない。

「逃げたい?」

彼女は額にかかった髪を指で整え、僕の目を観察していた。

何か言う前に、赤いドレスの少女は消える。




瞬きすらした覚えはない。僕は馬車の中に居た。

さっきと同じ。

意識は確かに続いているのに、明確に次に進んだような感覚だった。


「着きました。ここが今日からの貴方の住まいでございます。」


馬車が止まり、扉が開かれた。

外の光が顔に射した。

だが、その光は赤かった。


まだ日没前だ。

そうだと、なぜか分かった。

外は赤く照らされ、シルエットが強く強調されている。


大きな屋敷は視界の全てを占めていた。


石造りの門に、整えられた庭。

整った服の従者が僕についてくるように告げた。


その顔は強く紅い逆光によってあまり見えない。

屋敷の門が開いた頃、

僕は自分に抵抗する気がないことに気づいた。


重厚な木の扉の先は、天井の高い豪勢な屋敷。

並べられた侍女たちが僕に頭を下げた後、僕の手を引く。

僕を馬車から降ろした従者はここで別れ、僕は個室に連れられる。


顔の見えない侍女たちは僕の服を脱がせ始めた。

ガントレットも、火薬などの小物も籠に入れられる。

既に決まった予定を履行するように、ただ静かにだ。

そして、また何故か抵抗の意志が湧きはしない。


「腕を挙げてください。」


白い薄布を最初に着せられる。

汗を吸うための下着というものだろうか。

ボタンや紐での固定は僕の手の届かない背後でされている。


コルセットを締められ、呼吸が一気に止められる。

ぎゅぅうと紐を締める姿は、彼女たちの着付けの手慣れさを伝えてきた。


スカートの形を保つためだろうか、数枚の布が身に纏わされる。

裾を一人が持ち上げ、何度か広げて整えた。


最後に、血のように赤いフリルドレス本体を袖に通される。

後ろ開きのそれを着せられている途中。気が付いた。


左腕は上腕から先が無い。

それなのに侍女は、そこから袖を通そうとした。

まるで僕を認識していないかのように感じた。


潰れていたフリルを僕ごと揺すり、フリルの魅力、柔らかさを戻している。

なされるがまま胸にリボンを付けられ、飾り付けられた人形の気分を味わった。


「お返しします。」


手渡された人形は白い緩やかなドレスを着せられている。

大きめな人形は何処か見覚えがある。

人形を抱かされると、胸のあたりがひどく窮屈に感じた。



飾り付けが終わると、僕は廊下に出された。

侍女の一人について行った。


手を引いているように侍女は歩く。

右腕は人形を抱えている。

それでも侍女は、手を引くように歩いていた。


やはり僕を認識していないのか。


石の床に足音が響く。

その音が、この屋敷の異様さを強めていた。


廊下は随分と長く感じた。

僕の知るどの建物よりも広い屋敷は、子供になったようにすら感じさせる。


絵画も多くかけられているが、彼女らと同様に見分けがつかない。

だから、永遠に感じるほどに廊下が長かった。


指先が布を強く握っていることに気付く。

人形を落とさないために無意識でそうなっていたのだろうが、違和感が拭えない。


通された部屋は子供部屋の様だった。

とは言っても、僕の寮部屋と比べ物にならない豪華さ。

侍女は戻り、僕だけが部屋に取り残される。


重たい木扉を閉められると、音がほとんど聞こえなくなった。

僕は導かれるように、ベッドに寝転ぶ。


触り心地の良い、大きなベッドの上だった。

高貴な香の匂いが鼻に着く。


大きな窓と、厚い絨毯、椅子。それに小物の置かれた棚。


上手く回らない頭ごと、布団を被る。

何故か体温の温もりが初めからあった。

視界が暗くなる。


手の中には人形があった。


椅子にでも座らせば良かったが、自然と抱きしめていた。


胸の前に引き寄せ、腕の中に収める。

小さな体は軽く、しかし妙に存在感があった。


指先に力が入る。


布越しの空気は暖かく、少し息苦しい。


それでも僕は、そのまま動かなかった。




窓の外の赤い光が、少しずつ弱くなっていく。


夕日が沈みかけていた。

屋敷の壁も、庭も、すべてが赤く染められている。

まるで血を塗り広げたような色だった。


その赤が、ゆっくりと沈んでいく。

光は細くなり、窓枠の影が部屋の中へ長く伸びた。

やがて、最後の赤い線が地平の向こうに消える。


部屋はますます静かに暗くなった。

薄暗く、赤い光だけが僅かに残される。


夜が来た。


そう思った時には扉が開いたと分かる。


上等な木の扉は開く音を殆ど立てない。

廊下から弱弱しい光が射す。


布団の中で何故か僕は動けない。

分からない。異様な感覚だ。


鍵を閉める音がした。


数歩、絨毯を踏みしめる音が近づき、影が落ちる。

急に布団が剥がされた。


男の顔は全く伺えなかった。

暗くて見えないというより、認識できない。


反応する前に、人形が奪い取られて床に投げられる。

小さく乾いた音がした。


一気に抵抗の意志が戻った。

異様な世界への警戒心が起きる。


男は僕の腕を抑え、服を脱がせようとしていた。

飾られたリボンも千切られ、力任せに服を掴む。


「ねぇ、」


その瞬間。時が止まった。男の動きが完全に止まる。

一度だけ聞いた、幼いが、感情のこもらない声。


声は床から聞こえてきた。


さっきまで人形があった場所。

——そこに、赤いフリルの少女が横たわっていた。


人形が投げられたときと、同じ姿勢。


腕も脚も、落ちたときのまま力なく曲がっている。

フリルが床に広がり、髪が顔にかかっていた。


彼女は動かない。

ただ、紅い眼だけが僕を見上げていた。


まるで、本当に人形のままのように。


「逃げたい?」

答えを知っている質問のように。


服を破く音が戻って、ハッとした。

男も僕も動きを再開した。

意識の曇りが消え去り、催眠が解けたような感覚が巡る。


床には、赤いフリルドレスを着た人形があった。

さっきまで、白いドレスだったはずなのに。


リボンは千切られ、フリルも乱されていた。

まるで……………………。


僕の鏡写しのような人形を見ると、焦りと共に分かってきた。

彼女は過去を………再演している。

ここは少女に与えられた、揺り籠だ。


僕は彼女の呪いに囚われた。

これは彼女の記憶だ。

彼女にとっての『絶望』。


僕は――花嫁の夜に囚われている。

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