79話 魔界脱出
亡者の立てる音の中で、舌打ちの音が微かに鳴る。
音源はフレイだ。
未だ地面に圧し付けられているが、左腕を素早く動かしローブを脱ぎ捨てる。
『思いを喰らう神よ!
お前に名前を与える!』
地に縛りつけられた僕らに対し、ふわりと浮く布地から黒が滲み広がる。
一瞬、羽根の影が地面に見えたような気がした。
「へぇ……」
『野心も絶望も……”呪い”さえも喰らって成長しろ……”煤鴉”!』
ローブが全て黒く染まった後、不定形の怪鳥は亡者へ飛び込む。
拘束を逃れかけたフレイを狙い、雄叫びを挙げていた亡者共は急に崩れ去った。
周囲の殺気、邪気、怨念が取り込まれていく。
骸賢者へも羽ばたくが、紙一重で黒い稲妻に阻まれる。
「成程、物理攻撃では歯が立ちそうにないね。
君はそれの相手を頼むよ。」
目の埋まっていない骨顔は、ちらりと這い蹲る僕らへ目線を向けた。
「あぁ。うん。
重力は解いていいよ。五対一でも一切問題ないからね。」
暗い紫の目は僕らを見下ろしながら、当然のように話す。
舐めやがって。
黒い雷光を放ち、骸賢者は黒い神を森の奥へ連れ去った。
雑魚共ももう機能しないようだ。
魔法が解かれ、重圧が消えた瞬間。
「舐めないでくださいよ!」
「………………………………………」
「殺す」
「あっはっは(^▽^;)」
ディアナ、ヘム、そしてこの僕はミラスロヴァへ飛び掛かった。
踏み締めて固くなった地面を蹴り、刀を振るう。
首を両断するつもりが避けられ、声帯だけが切れた。
刀に込めた熱は阻まれて、やはり効果は無い。
そして振りぬいたと同時に、胸を平手で打たれていた。
全く身体が動かない。
これが呪い。金縛り。
確かにこの即効性の前では、多対一でも問題ないだろう。
「!!」
僕の攻撃よりワンテンポ遅れた大木槌が、女を撃つと同時に僕の手を掠める。
途端に緊張が解けて、力が全身に行き渡り酸素が巡った。
片手で木槌の衝撃を受け止めていたところを、ディアナが追撃して吹き飛ばす。
「手を注視してください。
呪いを込めてるかは感覚で見極めるしかありません。」
声が出せないからだろう。
木槌を躱しながら、紫肌の女は両手を大げさにひらひら動かす。
周囲の怨念が取り除かれ、清められた空気になって初めて知覚出来た。
薄いオーラが手の先に見える。
「チュートリアルは十分?
もうそろそろ良いかなぁ。」
再生を終えたばかりの喉から声が聞こえる。
動けなさそうなフレイの様子を見てから、僕は剣を構えた。
魔力を高め、次の……いや最後の攻防に備える。
これで問いかけの応えには十分だろう。
誰かの唾を飲み込む音が、始まりの合図となった。
敵が視界から消えた。
そう錯覚するほどの高速接近。
だが、確かな手ごたえ。
僕の一閃は差し出された腕を縦に切り裂いた。
先程までとは濃度の違う呪いが手に集まっている。
「はぁい!」
割かれた右腕を乱雑に退けて、居合後の隙を晒す僕へ左腕を突き出す。
だが、それも届かない。
左腕は触手に掴まれ吊り上げられる。
手首を回してディアナに触れようとするが、それも間に合わなかった。
「ぬぅ……んゥ!」
呪いを込めた木槌は森を揺るがしながら加速する。
魔力と呪いを込めた一撃は正確で強力。
ミラスロヴァを地面に叩きつけ、片手を引き千切る。
そして、ようやく初めてにやけ面が途切れて硬直する。
金縛りだ。
解呪の心得は当然持っているだろう。
一瞬。だが十分な隙だ。
不死だろうが関係は無い。
全身をすり潰して、魔物の餌にしてくれる……。
ディアナと僕は側部から、たった今出来た穴を覗き込んだ。
そこには硬直により真顔となった女がいた。
「油断大敵だ」
数百の悪霊は女の懐から飛び出し、僕らを包んだ。
怨念と呪いが僕らを通り過ぎる。
身体が……動かせない。
追撃が遅れた一瞬。
術を解呪してミラスロヴァは動き出す。
拳を握ることで切り裂かれた腕を繋ぎ留め、その鉄槌を軽く振るった。
軽い動きに反して、ディアナのダメージは重い。
鎖骨へと打ち込まれた衝撃は、硬直していた表情をも歪ませた。
何らかの魔術でディアナの掴んでいた腕を引き付け、再生する。
無言で突き出された左腕は、恐らく僕の頭蓋を砕いていただろう。
間一髪でヘムの掌が割り込み、僕とディアナを逃がしてくれた。
そう、掌でだ。
ヘムは武器を捨てて、文字通り捨て身でミラスロヴァに飛び込んだ。
拳が当たる前に、火柱がヘムの頭から上がった。
頭部は焦げ崩れ、生命は呆気なく終わる。
「いくら強くとも所詮は生物。
頭が朽ちればそれで終わりだね。」
吹き飛ばされた後の地面で、僕は身体の自由が戻る。
彼の生涯、最後の解呪だ。
ここから先は、触れられただけで終わり。
荒れ果てた森の中で、亡者の目が深紫に光る。
「ディアナは動けそう?」
「………ダメ……です……。
投げて貰った途中で……もう一回呪われて………
足が全く……動きません。
骨も……粉々………で………。
ごめんなさい……」
「……謝る必要は無いよ。」
状況は最低最悪。
もはや戦えるのは僕だけだ。
解き放った神も骸賢者に押され始めている。
シアは身体の半分以上を失い、絶望が目に映る。
フレイは魔力が練れていない。
……………冷静に、自身の死を受け入れている。
僕は最低だ。
こんな顔をさせてしまうなんて。
僕は最後の元気を振り絞って笑いかける。
「お願いだから、笑って………生き延びてね?」
「………レイ。」
時間を稼ぐ。
フレイと僕に浮かんだ考えは残酷そのものだ。
でも……それでも。
僕はフレイに生きてほしい。
数歩前に出て、紅刀を構える。
背後で、鈍い刃に肉を打ち付ける音が響いた。
フレイは魔力乱刻印を上腕ごと切り離そうとしている。
愛する人が自傷する時間を稼ぐわけだ……。
自分への怒りも含めた激情を、目の前にぶつける。
刀を力任せに数度振るうが、受け流される。
「怒れば多少は強くなれるね。……多少ね♡」
刀を握る手を触れられた。
手に力が入らなくなる。
だが、本命は魔力を練った左腕だ。
眼前に左腕を突き出す前に、右足で踏みつけられた。
紫の口は歪み、僕を嘲笑う。
もう一度確認するが、魔術や魔法は手で指向性を持たせる。
そしてこれまで、僕は魔術を見せていない。
「お?」
冷気は地面を伝わり、ミラスロヴァの足を捕らえた。
それと同時に、断面が痛々しい手が転がり落ちる。
フレイは嗚咽と共にローブへ両腕の断面を押し当て、浮かばせる。
だが、この程度では足りない……。
今から氷拘束を解き、全員を皆殺しにする余力がこの女にはある。
既に、肉体に魔力は残っていない。
だから。
僕を構成する魔力も、全てを解き放つ。
空中の三人よりも、地面に接している亡者の方に冷気は伝わる。
「あぁ、一本取られたかしら。」
僕の存在と引き換えの魔術は、周囲一帯を凍らせていく。
意識が薄れて消えていく。
後悔はない。
フレイ達が飛び去って行くのが見えた。
僕の存在意義はフレイのためだった。
フレイは………きっと大丈夫だ。
「………よく足掻いたねぇ」
生命の気配が消え失せた氷地の中で声が聞こえる。
……死者を凍らせても、既に死んでいる。
当然のように氷を砕いて出てきた。
対して僕はもう戦えない。
依り代は限界を迎え、僕本体の殆ども燃やし尽くした。
……最後まで………足掻いてみるか?
『かかうにれさけえはきむらをがみおぬやあんふりくちみお………』
「あぁうん。
させないからね。」
あぁ、ダメか。
ミラスロヴァは軽く足を振り、僕の腹を踏み抜く。
………僕は意識を手放した。




