6話 『穴』
最初の抵抗は砂丘に潜ることだった。
あの体当たりの威力と、ギリギリ生き残った僕を観察していたことから、あいつは獲物に逃げられるという経験はないのではないだろうか。
初撃で命を狩り、そのまま捕食する。だとすれば隠れられる可能性もあるかもしれない。
猛禽類の視力は人間の比にはならないらしいが、砂に深く潜れれば……………。
薄暗い砂漠は冷たく、血が垂れている首以外の全ての体温を奪い去る。
音のない狙撃を恐れながら必死に息を押し殺す。
5秒ぐらいだろうか、それとも数分は経ったのだろうか。
やはり音よりも先に衝撃が貫いた。
どうやら視力は砂に埋もれれば欺けるようだった。
だが、流石に魔界で捕食者やってるだけはある。
視力に加え、魔力も認識している。正確に魔力の源を貫いた。
そう、僕の杖を。
左腕に衝撃が走った瞬間、魔力を込めた金属製の杖が、ひしゃげている。
明日は我が身とはいうが僕の場合は数秒後かもしれない。
だが、この距離、この位置関係、最高だ。
右手のナイフが狙うのは、こいつの首の頸動脈。いまなら殺れる。
ナイフを振り下ろすが、障壁に遮られた。
やっぱりこいつは化け物だ。
魔法を使いやがった。
魔法の行使には魔力と、呪文が必要だ。
魔物は通常、人間種よりもデカく、筋力量も魔力量も多い。
人間種が世界中で活躍できているのは、呪文を操ることができるという面が大きい。
いくら知性が高かろうと、人間の手ほどに精密に動ける種は少ない。
人間種にとって呪文は特別なものなのだ。
それを!こいつは!魔道士である僕を、逆にこいつは魔法で追い詰めてくる!
飛び立つ時の異常な加速の原因も分かった。
足場として防御魔法を使い、蹴りで勢いを付けることで、足場の悪い砂漠だろうが、砂の中だろうが、
標的を貫くらしい。
足を曲げ力を溜め、こちらに向かってくる!
左腕はまだ痺れている。右腕は防御魔法に防がれた。
肺はまだ血を噴き出していて、呼吸すらままならない。
本来ならこのまま喉をえぐられ、首が吹っ飛んでいくのだろう。
本当に僕は運がいい。まだ打つ手があるのだから。
右腕を必死に引き戻し、首に手首を当てる。
吐いた血を拭う余裕すらなかったのが、功を奏した。
血液の魔力が刻まれた呪文に流れ、火球が辺りを加熱する。
化け物でも急に現れた、火球には怯む。
勢いのまま、うめきをあげ、右腕を突き出す。
だが、冷たい目をした捕食者は冷静に睨みつけ、足場としていた防御魔法に強引に爪を立て、加速の方向を変え上空に飛び去る。
強風が髪を巻き上げ、血液を吹き飛ばす。
刻まれた呪文は輝きを失い、僕は再び、冷たい死地へと巻き戻された。
次の攻撃が最後だ。
こちらの手の内はばれた。絶対的な強者である自分に反撃してくる生意気な獲物を、最速の一撃で沈めようとするだろう。
助走をつける分、こちらにも時間が与えられた。
痺れる左腕を無理やり動かし、傷を回復する。
これが最後の一息かも知れない。
大きく息を吸い、砂の中から出て、あいつのように足場を固めて向かい打つ覚悟を決めた。
両手に魔力を込め、左腕から右手に、魔力を流しながら、詠唱を止めない。
出力は最大。詠唱と刻まれた呪文による魔法の多重発動。
いくら速くとも、一直線に突撃してくるのならば姿をとらえるのは容易い。
火球の熱が、刺すような寒さを退ける。
心臓が飛び跳ねる。
緊張で息を吸うことすらできない。
死が近づいてくる。
あまりにも速いその弾丸は初めて風切り音をあげる。
急降下中、鷲も息を止めるらしい。
両者は確実に来るであろう衝撃に備え、それを待つ。
風切り音が最大に達する。
歯を食いしばり、全身全霊をもって右腕を突き出したその刹那。
その捕食者は、『ナニカ』に捕らえられた。
砂の中から現れたその『ナニカ』は鷲を噛み千切り、突き出された火球も意に介さない。
全力で突き出した腕は、止まってくれない。体表にわずかに触れてしまい、肘がひしゃげる。
後から分かったのだが、僕が本当に幸運だったのは、防御魔法を足場に使ったことだった。
もし振動が地面に伝わっていれば、この墓標すらない『穴』の中に引きずり込まれていた。




