37話 泥炭の魔女
振るわれた獣腕を触手で迎える。
既に先端は漕げ落ちていたが、今ので更に焼け崩れた。
だが、確信できた。
崩れた体勢を起こして、拳を握り、叩きこむ。
魔女は先ほどの私のように体勢を崩した。
この距離だ。
至近距離で押し込む。
半端に距離を取れば、手数で潰される。
逃げれば、人々を血のストックに変え、被害と強さを増すだけだ。
悠久の時を生きる魔女に技術で勝てるわけがない。
だからこそのこの距離。
さっき、”強い肉体が要る”そう言っていた。
獣腕を生成したのも、そうしないと並べないからだろう?
この距離なら、私の方が強い。
逃げずに、力で、ただただ夢中に、
「押し込むッッ!!]
焦げた触手は左腕と同じ長さに整えられている。
右手を振る。振り下ろされた剣を尻尾で弾く。左腕であばらに撃ちこむ。
左足一歩後ずさりしたので、私は右足一歩踏み込む。また右腕。左腕。
振るわれる獣腕の火力が増している。
腕がさらに巨大に見える程の熱気を伴う大振りボディフック。
右腕を割り込ませて衝撃に備える。焦げる臭いと崩れる肉片。ボロボロと落ちる。
引くわけにはいかない。左腕をまた突き出す。がむしゃらに、力任せに。
また一歩退く。また一歩踏み込む。
尻尾を右腕に巻き付けて締め付ける。逃がさない。左腕をさらにブチ込む。
剣を僅かに動かす音。だが、私を突き殺すためではない。
締め上げた腕を自ら切り離した。下を向きながら静かに、呟く。
『爆ぜろ』
破裂音と共に溶岩弾のような熱血が降りかかる。
触手が更に削られ、もう根本が少し残るだけ。
腕だけでは庇いきれず、身体が焼ける。
だが、もう一歩下がった。無理やり二歩詰める。
魔女は左腕を切り落とした勢いのまま、身体を捻っている。
溜めた力は開放され、剣は振るわれた。
下がらない。下がってたまるか。
尻尾で刃を受け止める。半分ほど切り裂かれた所で止められた。
剣を握る手ごと引き寄せ、そしてまた、
拳を力任せに振る。振る。また振る。
剣を手放させたが、尻尾ももう使い物にはならない。
今引けば後はない。残っている左腕を焼かせながらもまだ振るう。
息を吸うごとに肺が焼ける。足の噛み傷は焼かれていたが、無茶させ過ぎた。
既に血はとめどなく流れ始めている。下がれない。顎を殴り飛ばす。
バッ!と右腕が目の前に差し出される。触られれば終わる。
手首を無理やり握りつぶす。しかし、少しだけ遅かった。
ひしゃげた手から衝撃が放たれた。
何かは分からない。破裂するような音と共に波にぶちのめされる。
体勢が大きく崩れた。死力を振り絞る。絞り切る。
尻尾を焼ける地面に叩きつけた。最後の一発だ。
もう限界。最後の最後の一発。自分でも何をわめいているかは分からない。
腕を……振………るって───?
「惜しかったな。」
私はいつの間にか顔から倒れ込んでいたらしい。
身体を支える右腕もない。顔と右肩を地面に擦りつけていた。
「『あと数分で身体が麻痺する』。忘れてたかよ。」
動けない。立てすらしない。なされるがまま、見下されている。
既に与えた痛手は回復されつつあった。
砕いた胴の骨はゴリゴリという音を立てて、正常に戻る。
失われた腕も形成され終わっている。流れる血が透明な手の形を示す。
外れた顎も手で戻してしまった。
「良く踏ん張った。たった三日の思い出のためにさ。」
怖い。負けたのか……?死ぬのか…?
伸びてくる魔の手を何とか、払いのけた。
その反動で身体がまた地面に擦りつけられる。
いやだ。いやだ。いやだ。まだ死ねない。死にたくない。
生きる。生き残る。浅い呼吸を必死に続ける。痛い。熱い。恐ろしい。
無言で佇む死の影は諦めるのを待っているのだろう。
睨みつける。目を離さないまま、身体を起こした。
根本だけが残った尻尾と軽く開いた両足で、身体を支える。
左腕を向ける。腕の重さが感じられる。呼吸はまだある。生きている。
なら、立ち向かうしかない。
最後の最後、残された抵抗の一手。もはやただの悪あがきでしかない。
『血流よりも熱く、空の星よりも輝く炎よ』
魔女は呆れたように首を鳴らす。
『聖滝をも干上がらせ、異界の目をも潰し、太陽神をも退ける傲慢な炎よ』
「極大魔法を打つつもりか?この距離で?満身創痍のその身体で?」
気を抜けば、もう倒れ込むだろう。
「未熟だ。」
乾いた喉も、焼けた肌も、傷の痛みも身体の異常を訴えている。
『我が願いに応えよ』
「実力差も分からず、倒れるまで暴れて、最後には隙だらけの詠唱。」
魔女はポキポキ指を鳴らしている。
『あらゆる不条理も、あらゆる災厄も、あらゆる因果をも消し飛ばせ』
「何より、泣きながら戦う奴なんて見たことない。」
私を嗤っているのか?見下す彼はおぞましい笑顔を浮かべている。
『顕現せよ』
「でも、良い。気に入った。やろうか。」
手には紫色の針が握られていた。
そして、自分の目を潰した。
『今こそ栄光の時が来た』
片目だけではない。内臓を次々に、深々と刺す。
怖い。恐ろしい。嫌だ。来ないで。浮かべる笑顔に狂気が宿り始めている。怖い。
潰したはずの目の代わりに、黒い球がはめられていた。
瞳孔もないはずなのに、分かる。見つめられている。
怖い。怖い。怖い。死にたくない。死にたくない。死にたくない。
生きたい。
『最高位火球魔法』
『詠唱破棄・火球魔法』
『魔道霊の王炎』
『黒炭』
二つの炎球は弾け、周囲は熱と光に包まれた───。




