23話 リーブラビット
私の身体は支えられたため、頭から着地することはなかった。
二人は焦っている。一人は私の傷を癒すため、汗をかきつつ冷静に魔法を唱え続けてくれている。
もう一人は周囲を警戒しているが、明らかに動揺している。
周囲に敵はいない。出血も止まり、危機は去った。
「ディアナさん…すみませんが、僕の魔法では傷は残ってしまうと思います……。」
遠慮がちに肌に触れながら、そう切り出した。骨や内臓を傷つけるほどではないが、目立つ傷跡だ。
「ディアナさん。私なんかを庇うなんて……もう死なないでくださいよ……。」
青髪の彼女も私に向き直り、私の目を見て懇願する。
”もう”死なないで。
彼女の目は私ではない、誰かをみているのだろう。少し居心地が悪いように感じる。
「…すみませんでした。シアさん、フレイさん。でも…」
「でも?」
「敬語はやめていただけませんか?私はなにも敬意を払われるようなことはないので…」
敬語を使われると、記憶を失う前の誰かを意識されているように感じる。それも気まずい。けれど、それ以上に「私は敬意を払われるべきではないから」というのがこのお願いの真意だ。
「敬意というのは、それまでの軌跡を敬うということなんだと思います。だから年上には基本的に敬語なんだと。」
「だったら、私に敬意を払うのは違うと思います。何もしていないのに敬意を払われるのはちょっと…」
私を見上げる少女はたくさん言いたい事がありそうで、だからこそ何も話すことができないようだった。
もう一人は少し当惑したようだったが、直ぐに切り替えてくれた。
「分かりました。ディアナでいいですか?……いや、ディアナでいい?」
「お願いします。」
私ともう一人を交互に見ながら、やはり言葉が思いつかないいようだ。少女からの言葉は終ぞなかった。
「じゃあ改めて、これからよろしく、ディアナ。」
そう言いながら背中を押す。そうして初めて、ずっと身体を預けてしまっていたことに気が付いた。
長身の私を支えろというのは酷だろう。反動をかけるわけにもいかないので尻尾で地面を押して、起き上がる。全員が腰を上げたころにようやく気持ちの整理を少しできたらしい。か細い声が聞こえてきた。
「私からも、よろしくお願いします。…ディアナ」
「はい。お願いします。シアさん」
彼女の目は地面を向いてしまっていたが、少しは気が楽になった。
旅を続けよう。
灰色の草地を歩いて数分か数十分か。危険とは遭遇しなかったが、初めて目新しいものが見えた。
兎が跳ねている。遠目で見たときは外敵から逃げているのかと思ったが、違う。
垂直に跳ねているのだ。真上に数メートル。数匹の兎は全羽が同時に同じ高さだけ跳ねている。
迂回しようかと話し合いながら距離を近づけていく。
どこか異様な兎たちから目を離さないまま、警戒を緩めない。
しかし、その緊張はすぐに途切れた。
誰かが転んでしまった音がした。後ろを振り向くと顔から草地に突っ込んでいた。
もう一方が手を貸すために、前にかがむ。
一応近くで跳び続けている四羽に警戒しつつ、私も二人に向かって数歩だけ歩く。
その時奇妙なことが起こった。手を貸していた方が逆に地面に倒れたのだ。
私も、残されたもう一方も理解できなかった。兎が跳ねる音がする。ガサガサという音は後方の四羽だけから発生するものではない。前方から更に二匹の兎が飛び出し、群れに合流する。
何が起こったのかは分からない。だが、この兎たちは危険だ。
合計六羽の兎を同時に葬るため、跳躍に合わせて攻撃しよう。
強く右腕を振るうために、息を大きく吸い、兎たちが自由落下し始める時を見極める。
瞬間、風が頬を撫で、私の視界はぐらついた。私は体勢を崩し、攻撃は大きく逸れ、かわらず兎の跳ぶ音がする。
足元から更にもう一羽が飛び出す。
兎が跳ねていたのは、手持無沙汰だっただけではない。こちらの攻撃のタイミングを誘導し、足元から意識を離すためか。
地面に左膝を着いたことで地面にもようやく意識が向いた。
よく見れば雑草が奇妙な形をしている。
一部の草は先端がない。他の雑草と融合しているようで、二つの根本から一つの葉を共有している。
まるで地面に輪っかを埋めたようなそれは、足を引っかける罠のようだ。
兎は絶えず飛び続けている。取り合えず何とか起き上がろう。
「動かないで!」
咄嗟に足の力を緩める。
「首の後ろに、何かあるよ…。」
首裏からわずかに血が流れる。右にやや重心を動かし、後ろを見ると、石が宙に浮いている。
石といってもかなり細かく、鋭いものがまばらに浮いている。
近くにあったものを手に取ろうとしたが、動かない。強い力で空中に固定されている。
質感は完全に石。その鋭さもあって、下手に動けば血まみれになるかもしれない。
兎が跳ねている。どうやら誘い込まれてしまったようだ。




