2話 ブラックスライム
レッドドラゴンは飛び去って、後には血溜まりと残骸だけが残った。この魔界でもドラゴンは強大な存在なのか、この血溜まりに近づく魔物も少ない。
漂う魔力から体内の魔力量こそ回復したが、未だ消耗した体を引きずり、この場所で休む事にした。
生き延びる方法を考えつつ、開いたゲートを見たが やはり一方通行、掠れた文字に希望など無かった。
救いの手も、この灰色の荒野にはなさそうだ。
ワイバーンの鱗と牙は硬さの割には軽く、何かに使えるだろうとナイフを使って剥がしたが気休めにもならないという事は十分承知している。
誰もいない荒野から忍び寄る影があった。
何かの例えでは無く、文字通り黒い、拳大の「何か」
が近づいているのである。
その大きさと見た目からしてスライムの一種だろう。
その異様な存在にナイフで切り付けるのも躊躇われ
やや曲がってしまった杖で殴打する事にした。
だが、その「何か」は予想に反して砕けた。
そう、「砕けた」のだ。
スライムならその水分から、弾けて飛び散る筈だった。岩の様な感触でもなく、反動も腕にはさほど感じない。乾燥し、硬く、脆くなっている感覚だ。
飛び散った黒片は散らばり僅かに残った影は地面にへばり付いている。
正確には地面と手の甲にへばり付いている。
突如手の甲に得体の知れない感覚を覚えた。
皮膚がまさぐられ、黒片がモゾモゾと動き、体内に侵入し始めた。手で払い除けようとしてもやはりボロボロと崩れ、むしろ指先にも黒片吸い付いた。
汗をかくほど、だんだんと黒片が膨らみ、手が影で覆われていく。
咄嗟に、覚えたての氷魔法を叫び、黒片を皮膚ごと剥がし、血溜まりに投げ捨てた。
辺りを見ると、さっき吹っ飛ばした部分も、のそのそ動き集まっていた。
これは異常だ。
スライムならば金貨ほどの大きさに散らせば、動きを止めて、その部分は死に2度と動かない。
だがその影は砂つぶほどの大きさでも動きを止めず、獲物に引っ付き、襲いかかって来る。
しかし、そんな思考すら弱者には許されない。
背後の血溜まりから1メートルほどの黒い影が現れ、グチグチと言う音を立て、うごめいている。
血溜まりが吸い取られるにつれ、黒い影が膨れ上がる。粘性を得た、その影は飛びかかる。避けれはしたが、受け身など到底取れはしない。
息を荒げつつ、近くの尖った岩を風魔法で飛ばし、 ぶつけたが、弾性もあるのか、貫けすらしない。
討伐のためには、砂つぶよりも細かく、この質量兵器を砕かねばならないのかも知れない。
そんなもの、現状ではとてもとても不可能だろう。
後退りしながらあたりの地形を確認していると、
影は、寝返りを打つ様に2、3回転がり、自身を球状に整形する。そして向かって来る!
平らな上に多少の岩しかない荒地では、加速し始めた剛球を止める物などないだろう。
重い足を動かして、一直線に走り出すも、距離は稼げない。歯を食いしばり、異様な存在に心臓を跳ねさせながら懸命に走り、数十メートル
背中を黒球が掠めるほどの距離となった。
気づいていないのか、落ちた所で死にはしないと考えているのか、それとも考える脳が無いからか、黒球はスピードを落とさない。
目の前に見え始めた峡谷のギリギリに防御魔法を展開肩からぶつかり、強引に向きを90度曲げ、地面に飛び込むことが出来た。
地面との摩擦と肩の打撲は痛いが、か細い希望がいくらか和らげてくれる。
速度ので始めた剛球はやはり、急には止まらない。
安堵と恐怖の入り混じる中、影は放物線を描き落ちていく。
安堵が恐怖を退けた、その刹那だった。
親指ほどの大きさの粘弾が10数発体にめり込んだ。
貫かれはしなかったが、強い打撃に意識が薄れる。
黒片はモゾモゾと動き、皮膚の下に潜り込もうとする
喉も潰されて呪文も紡げない。
血液を吸収し膨れるのであれば、体内に入り込んで仕舞えば、血管から破裂し新たな血溜まりとなるだろう。
肩と腹部は服のおかげで守られているが、切り傷を負い剥き出しの腕と、喉の黒片は皮膚の下に潜り始めているのが分かる。
………辺りは血に染まった。
間一髪の直感が無ければ死んでいただろう。
自ら爪で血管を切り裂いて血を溢れさせた。
黒片はあくまでも本能で動く。
皮膚に潜り込めるとか、獲物を捉えるとかでは無く、
血を求めていた。
流れ出る血に反応し、全ての黒片が飛びつき、そのまま滑り落ちて行った。
なんとか生き延びる事はできた様だ。
しかし死ぬより深い絶望もあった。
あのスライムは確かに不死身だし、乾燥状態と膨張を繰り返し永遠に彷徨う化け物だろう。
ドラゴンと比較にもならないだろう大した事はない、たかだかスライムであの様だった。
この魔界は広い。
見渡すことすらできないこの荒野が広がると言うのに
未だ何も得ず、精神も肉体も消耗しているだけだ。
これが絶望と言わずしてなんだと言うのか………




