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2話 ブラックスライム

レッドドラゴンは飛び去って、後には血溜まりと残骸だけが残った。


この魔界でもドラゴンは強大な存在なのか、この血溜まりに近づく魔物も見えない。

魔界の濃い魔力濃度は、防御魔法での消耗分を直ぐに満たした。


すぐそこに死が迫るような暗い荒野で、ただ僕は息を潜める。


救いの手も、この灰色の砂漠にはなさそうだ。

地上では見守ってくれる祖先の霊は、僕を見つけてくれているのだろうか。


血に沈む鱗と牙は硬さの割には軽く、使えるだろうかとも思ったが何もしなかった。

気休めにもならないという事は十分承知している。

今はただ、傍に感じる死に触れたくもなかった。


誰もいない荒野から忍び寄る影がいた。


最初は砂が動いたのかと思った。


だが違う。


拳ほどの黒い塊が、跳ねていた。


地を跳ねるその姿はスライムに見えた。



ナイフで切り付けるのも躊躇われ、ぐにゃりと曲がった杖を構えた。

一息だけをヒュッと吸い、出来るだけ距離を取ったまま打ち付ける。


その「何か」は予想に反して砂粒となって崩れた。

スライムならその水分から、弾けて飛び散る筈だった。


岩の様な感触でもなく、反動も地面を叩いただけのもの。

乾燥し、硬く、脆くなっている感覚だ。


飛び散った黒片は散らばり、僅かに残った分は地面にへばり付いている。


正確には地面と、”手の甲”にへばり付いていた。


一瞬の焦りと共に得体の知れない感覚への嫌悪が僕を満たした。


皮膚がまさぐられ、黒片がモゾモゾと動き、体内に侵入し始める。

手で払い除けようとしてもやはりボロボロと崩れ、むしろ汗ばんだ指先にも吸い付いた。


焦れば焦るほどに黒片が膨らみ、手が影で覆われていく。


咄嗟に記憶を遡った。

昨日の夜。

退屈を感じながらに記述した呪文が浮かび上がった。


絶叫というより、恐怖を感じた時の呼吸に似た、か細い声だったと思う。


擦り傷で覆われている肌ごと黒の粘体を凍らせた。


氷を引き剥がし、血だまりに投げ込む。


辺りを見ると、さっき吹っ飛ばした部分がのそのそ集まっていた。


こんなのは、知らない……。


スライムは低級の魔物だ。

拳大のサイズであれば、水場でもない限り怪我人すら出はしない。

どれだけ大きくても、硬貨ほどにまで散らせば死滅する!


影は砂つぶほどの大きさでも動きを止めず、獲物に引っ付き、襲いかかって来る。


知らない、嫌だ。

気味が悪くて気持ち悪い……!


しかし、そんな動揺すら虫けらには許されない。


背後の血溜まりから一メ―トルほどの黒い影が現れ、グチグチと音を立てる。

うごめいている。


血溜まりが吸い取られるにつれ、黒い影が膨れ上がる。

先程触れたあの粘性が見て取れた。


生命らしい機微すら見せず、飛び掛かって来た。


触れられ”は”しなかった。

受け身など到底取れはしない。


地べたに這い蹲った僕は息を荒げる。


魔力は十分。まだ死んでいない。

息さえ整えれば、スライムなんて………。


歯を食いしばって、立ち上がり辺りを見渡した。

詠唱の時間は殆ど与えられていない。


守られたいからってゴーレムを創り出してる場合じゃない。


剥がれていたワイバーンの鱗を風魔法で飛ばした。

火球を起こすよりずっと速い。


だが、僕を見下ろすほどに成った巨体を貫くことすら出来なかった。

少し後ろに押しただけ。


周囲にはひとりでに黒い砂が動いていた。

砂粒よりずっと細かく、完全に。

砕かなければ死なないのか?


不可能。


僕は真っ黒な絶望の中で、周囲を見るしか出来ない。


状況をなんとかするために……ではない。


誰かが救ってくれないかって、僅かに滲んだ目で見渡しただけだ。


寝返りを打つ様に二,三回転がり、影は自身の形を整える。


跳ねるよりもずっと合理的に、ただのスライムには出来ない動き方で。

弾性を持った巨球は真っ直ぐに向かってくる。


障害物は!?僕を守ってくれる誰かはどこだ!?

僕の視界には灰色の大地と底の見えない崖しか存在しない。


何でこんな目に合うんだ?

僕は人生の最後を捧げたのに?


重い足を動かして、一直線。

ゲロが出そうなぐらい必死に走っても絶望は変わらない。

無常にも、どんどん近づいてくる。


ついに、背中を掠めるほどの距離となった。


気づいていないのか、落下を恐れないほどに不死身なのか。

知性も無く、本能で僕を追いかけているだけなのか。

視力すら無いからというのが、僕の中の妙に冷静な部分が出した結論だ。


目の前にはさっき見えた崖下がある。

僕の本能は戦っている。


─落下して血肉になるのか?

それとも、残酷に血を啜られるのか?─って。


覚悟を決めたわけでは無い。

ただ、自身の生存という現実逃避にしがみ付いただけだった。


走り過ぎて血の味がする口をかっぴらく。

防御魔法を僕と死の間に挟み込んだ。


崖の先端まで足を踏み抜き、目の前の壁に飛び込んだ。

空中で回転に右足が巻き込まれ、軽くねじ折れる。


皮の剥がれた手で防御魔法を押し返し、スライムのすぐ横を通り抜ける。


地面との摩擦と手に伝わる反動が痛い。

それ以上に生の実感が僕を満たす。


僕を踏み潰せるほど大きいから。重いから。

だからこそ止まれずに、落ちていく。


恐怖の余韻すら消えていく中、影は放物線を描き落ちていく。


束の間の安堵が恐怖を退けた。


その油断を影は見逃さない。

親指ほどの大きさの粘弾が十発。


体にめり込んだ。


貫かれはしなかったが、あの絶望が心に影を落とす。

黒片はモゾモゾと動き、皮膚の下に潜り込もうとしている。


詠唱の時間もないし、制服に守られていない喉は一番早く血を噴き出すはずだ。

実際に噴き出すかは分からない。


死ぬまでの数十秒。

意識のあるままに血を吸われてしまうかもしれない。



結果は、辺りの地面に血がしみ込んだ。



………自分から血を噴き出したからだ。


あれは血の油分を吸って膨らんだ。

僕の肉ではなく、中の血を啜ろうとしていた。


スライムは目が見えない。


それは当然。目が無いのだから。

黒片はあくまでも本能で動く。

血を求めていた。


獲物の恐怖ではなく、ただワイバーンの血を被った僕を感知していた。

流れ出る血に反応し、めり込んだ部分もまとめて、滑り落ちて行った。


なんとか生き延びる事はできた。


だが、喉が潰れた時の絶望は地続きで残っている。


ただの、スライムだぞ?


この魔界は広い。

見渡すことすらできないこの荒野が広がると言うのに。


たかがスライムですら僕よりずっと強かった。


僕はもう一度辺りを見渡した。

今度は確実に濡れた目で。

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