16話 地獄の門番
鈍い衝撃が杖を通じて感じられる。
勝負のゴングは鋭い突きによって鳴らされた。
補強された杖は何とか威力を分散してくれるが、それでも手が痛い。
この地下では逃げ場がない代わりに、攻撃の軌道は予想できる。
問題は彼女が棒立ちのままで、今の一撃は純粋な腕力だけの攻撃だということだ。
「待ってくださいローディアさん!戦うつもりはないんです!」
「じゃあもうちょっとお話ししましょうか?私の準備は終わってますし。」
今、止めなければ何が起こるのか。分からない。けど、今逃がすわけには行けないだろう。
「シア…詠唱の時間を稼いでくれ。今の僕らじゃそうでもしないと攻撃は通らない…。」
「分かった…。」
彼女は少し口角をあげたまま、でもこちらから目を離さず、追撃を開始した。
もう一度触手による突き技。今度は、尻尾で地面を叩き、反動をつけた力強い一撃だ。
シアはまだ対話を試みている。恩人に切りかかれというのは酷だし無謀だろう。
今は防御と詠唱に専念し、機を伺うべきだ。
『憤怒の悪魔、荒れ狂う炎、顔を切り裂く暴風……』
「詠唱をこの距離で試みるのは悪手ですよ」
触手を手元に戻し、今度は肩ごと腕を薙ぎ払う。馬鹿な。ここは地下室で、僕らとの間には壁が……
壁は砕かれるのではなく、切り裂かれた。シアが剣で受け止めるが、柔軟な触手は後ろの僕を叩く。
背中に強い打撃を受け、詠唱は途切れる。
前に極大魔法ができたのは、幼魔が詠唱を止めてやろうという意思がなかったからだ。
彼女の言う通り、対人戦はおろか、知性がある魔物にですら止められるのだろう。
「大丈夫⁉」
駆け寄るシアにも、えずく僕にも追撃は来ない。むしろ、やや心配そうにこちらを覗いてくる。
「大丈夫だから続けよう。『憤怒の悪魔…」
今度は本人が飛んできた。轟音と共に、尻尾を使った最大威力の打撃。
詠唱を中断し、防御に魔力の大半を注ぎ込む。シアも触手を押し返さんと剣を振るう。
だが、無慈悲なまでの実力差の前では意味をなさない。
障害など何もないと言わんばかりに、壁も魔法も剣もなぎ倒され、押しつぶされた。
半円を描くような優雅な攻撃は、僕らを地上にたたき出す。扉の奥以外は金属製ではない。劣化したもろい壁だ。それに防御魔法がもってくれた。彼女に殺意もなかった。
これだけの幸運があったとしても、僕らは立つことすらできない。
ガラガラと音を立てて崩れる地下室からあの触手が出てき、その宿主を引き上げる。
動かなくては。今こそ詠唱を進める好機なのだ。危険な思惑を阻止する時なのだ。
それでも、口からは少しの血が垂れるのみ。シアは中身を吐いてしまわないように、剣を握ったままで必死に口を押えている。
「すいませんが、そろそろ時間切れみたいですよ?早く逃げた方がいいかと……。」
心底不安だという目でこちらを見る彼女の後方数百メートル先からは砂煙が噴き出す。
不気味なほど静かな砂漠で、地下に吸い込まれる砂の音だけがある。
封印が解けてしまった。今僕たちを吹き飛ばしたものとは比べ物にならない大きさの触手が次々と地下から飛び出している。砂と同色の、吸盤のない触手。巨大な体躯の不死身の化け物。ようやく覗かせた全身像は絶望そのものだろう。これが、人類の生存圏と魔物の住まう荒野を分かつ者。伝説の怪物。
地獄の門番 アザエフ………。
「ローディアさん!止まってください!一回みんなで話し合いましょうよ⁉」
「それは無理です。今止まれば、みんなに止められます。チャンスは障害のない今だけです。」
「それでも……、こんな別れ方はあんまりじゃないですか……。」
「シアちゃん…………。」
『…笑う魔女、わが身と共に、荒野と共に、塵に帰せ…!』
二人の会話は十分な時間をくれた。
密かに結界を張り、気が付くのを遅らせた……!
「シア!そこを退いてくれ!『最高位爆破魔法…』」
『災禍の灯!』
『光あれ!祝福あれ!すべてを包んで守り給え!』
僕が突き出した右腕を彼女は左手で軽く受け止める。
「はぁ⁉」
避けるでも、止めるわけでもなく、自分から向かってくる。
『中級結界魔法、小さな光球』
少し握られた手は吹き飛ばされる………ことはなかった。
握られた手の中にはじんわりとした温かさ以外にも小さな球があった。
不完全とはいえ、最高位魔法がこんなに小さな結界に封じ込められてしまったのだ。
「子供が一か八かの賭けなんてしないでくれ、そう言いましたよね?」
そう言いながら握る力は強くなり、左腕一本で振り回される。
「腕ごと吹き飛ばすつもりですか!」
空中に放り出され、受け身も取れず背中から着地した。
「ローディアさん!」
「そろそろあきらめて下さい。」
剣を握っていたシアの手が弾かれる。空中からの体当たり。
赤いスカーフを巻いたその鳥は、デザートイーグル。
僕らは、身体を起こす前に魔法で押さえつけられる。
「そのまま押さえつけといて下さい。儀式が終わったら、放してあげてね?」
動けない。もう呪文も唱えられない。手首に魔力を注ぐ余裕もない。
赤いスカーフを巻いた鳥は主の命令を遂行するために拘束を緩めない。詰みだ。
「ローディア…さん………お願いですから…」
かすれた声は美しい詠唱に阻まれる。
その詠唱は僕に理解できるものではない。恐らく黒魔術か何かの、人類の扱えない代物なのだろう。
呼びかける声に呼応しているのだろうか、アザエフはじりじりとにじり寄る。
手元の小瓶を取り出しながら、儀式とやらは順調に進んでいるらしい。
「もう離れていいですよ。」
拘束が緩み、立ち上がった瞬間、彼女はとびきりの笑顔を見せて……
「さようなら!」
彼女の体は突然力をなくし、広大な砂漠に倒れた。




