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第1章5話

 束の間の激闘の後、森には静寂が戻っていた。

 大木が入り乱れるように倒れる中、完全に力尽きたワイルドボアの体が巨大な岩のように転がっている。


「はああ、死ぬかと思った」


 どっと息を吐くジークの隣で、シェルが苦笑する。


「こんなに緊張感のある任務は久しぶりでしたね」

「……でも、なんかワクワクした」


 オルトが呟くと、ジークもシェルも頷き返す。3人の視線の先には、グレイスがいた。

 まじまじとワイルドボアを眺めるグレイスの隣に、ガンナーが立つ。


「聞いてた話より、だいぶ大がかりな任務になったな」


 皮肉っぽい言葉とは裏腹に、ガンナーはどこか清々しい顔をしている。


「でも、おかげで無事に討伐できた。報酬は上乗せするわ」

「それは、ありがてぇな。こいつの後始末もあるし」

「そうね。このままにしておけないもの」


 ワイルドボアの牙や爪などは武具の素材として使えると聞いているので、エアルトの人たちの力を借りて町に持ち帰るのがいいだろう。肉もこのまま腐らせるのはもったいない。町に運んで加工すれば、少しは日持ちするだろう。

 問題は、どうやってグレイス自身が肉とビールにありつくかだ。

 グレイスが真剣に考え込んでいると、ガンナーが口を開いた。


「まあ、やることは山積みだが……とりあえず食うか」

「え?」


 思わず聞き返すと、ガンナーが肩を竦める。


「なんだ、知らねえのか? ワイルドボアの肉はビールと最高に合うんだ」


 言いながら、ガンナーは放置されたままになっていた荷馬車を振り返る。いつの間にか荷馬車を漁っていたジークたちが、楽しげな顔で両手を掲げる。その手には、瓶ビールがあった。


「え、いつの間に……まさか、持ち込んだの?」

「あたり前だ。言っただろ。俺たちは報酬で仕事を選んでねぇって」



 日が傾き始めた森の中で、グレイスたちは焚火を囲んでいた。

 火の回りには骨付きのワイルドボアの肉が地面にさしてあり、いい香りが辺りに漂っている。


「味付けに、ちょっと拝借しようぜ」


 ジークが持ってきたのは、荷台にあったバジルの袋と塩だった。


「勝手に使って叱られても知りませんよ」


 シェルは嗜めるが、本気で止めるつもりはなさそうだ。


「どうせ、もう品物としては使えないんだからいいだろ。命がけで戦ったご褒美にこれくらいはもらわないとな」


 ジークは焼き色が付き始めた肉に、塩とバジルを振りかけていく。 


「そろそろ、よそそうですね」


 シェルが肉の焼き具合を見て言うのと同時に、焚火から離れていたオルトも戻ってきた。手には、近くの小川で冷やしてきたらしい瓶ビールが抱えられている。

 オルトが栓を抜いて、みんなにビールを配っていく。グレイスも受け取ると、瓶はひんやりとして、反射的に喉がこくりと鳴る。

 ノーマンは断ろうとしたが、祝杯だから形だけでもとシェルから言われ、渋々ビールを受け取った。

 焚火を囲むように全員が座り、ビールを手にしたところで、ガンナーがグレイスに促すような視線を向ける。

グレイスは音頭をとれという意味だと察して、手にしていた瓶を前に出した。


「じゃあ、討伐成功を祝して……」

「乾杯~!」


 それを合図にジークたちはビールと肉を堪能し始めた。

「うま……!」「なんですか、これ」「……こんなの食べたことない」など声を零しつつも、夢中で肉にかぶりつき、合間にビールを飲んでいる。

 その食べっぷりと飲みっぷりに驚きつつ、グレイスが隣を見るとノーマンと目が合った。


「ノーマン、止めないでね」

「止めませんよ。止めたところで、お嬢様は私の言葉には耳を傾けてくれませんから」


 ノーマンは、めずらしく少し拗ねたように言う。


「ごめんなさい。ノーマンにはいつも苦労をかけてばっかりね」


 真剣に謝ると、ノーマンも神妙な面持ちに変わった。焚火の火を見つめながら、静かに話し出す。


「苦労だなんて、そんな……いいんです。私が願っているのは、お嬢様の幸せですから。あれこれ口出ししていますが、お嬢様が困るようなことにならなければ私は構わないんです。お嬢様が幸せでいられるのなら、それで」

「大丈夫よ、ノーマン。わたしは幸せだから」


 グレイスは手を伸ばして、ワイルドボアの肉を取った。


「ノーマンもビールは苦手かもしれないけど、お肉は食べてね」

「……はい。いただきます」


 いい匂いに食欲をそそらられたのか、ノーマンも照れくさそうに頷いて肉を手に取る。

 グレイスは、まず肉から食べてみることにした。

 骨付き肉は大きい。普段なら肉はナイフで切り分け、なるべく口を開けないよう気をつけて食べるが、今はそんなことをしていられない。グレイスは思いっきり口を開けて肉にかぶりついた。

 頬張った瞬間、肉のうま味が広がった。バジルの香りが鼻を抜けていき、塩味がいい塩梅に効いている。

 すぐにビールが欲しくなった。グレイスは肉を飲み込むと同時に、ビールを流し込む。

 朝から馬を走らせ、ワイルドボアとの戦闘で酷使した体にビールが染み渡る。そして、口の中に残っていた肉のうま味がビールを通してことで、より際立った。一方で、肉のうま味がビールの爽快感をさらに感じさせてくれる。

 ビールによって味覚がリフレッシュされ、また味の濃い肉が欲しくなる。

 肉、ビール、肉、ビール、肉、ビール。

 この繰り返しを永遠に続けていたい。これぞ、極上のマリアージュだ。

 あっという間に肉もビールもなくなってしまい、グレイスはうっとりと息を吐いた。

 すると、それを見ていたガンナーが豪快な笑い声を上げた。


「がはは、飲みっぷりも食べっぷりも、最高だな。そんなに美味いか?」

「お、お腹が空いていると、なんでも美味しいものよ」

「そうかよ。まだビールはある。もっと飲め」


 グレイスは少し照れくさく思いつつも、ガンナーから新しいビールを受け取る。 

 隣を見れば、ノーマンも美味しそうに肉を頬張っていた。そんな姿を見るのは久しぶりな気がして、グレイスは頬が緩んだ。

 ガンナーは新しい瓶を開けながら、静かに口を開いた。


「俺はこの先、貴族と庶民の溝なんて埋まる日は来ないと思ってた。だが……いつか、この国は変わるのかもしれねぇな。なあ、グレイス」


 ガンナーはじっくりと味わうようにビールをひと口飲む。


「変えるのよ、これから。わたしたちの手で」


 グレイスがしっかりとした声で返すと、またガンナーが楽しげに笑う。

 ガンナーが、グレイスに向けて瓶を差し出す。

 その意図を汲んで、グレイスはガンナーの瓶に自分の瓶を軽く当てた。カランという瓶特有の涼しい音が鳴る。

 ビールも肉も最高に美味しいが、こうやって誰かと語り合いながらビールを飲む時間が、グレイスにはとても嬉しかった。



 数日後、ワイルドボアの後処理も片付き、グレイスはまたベルベーラ騎士団の稽古に参加していた。

 ワイルドボアの討伐に成功したという話が騎士たちの耳に入り、グレイスの剣の腕に対する信頼が上がったようだ。あれからグレイスに相手をしてもらいたいという騎士が増えている。

 そして、評判が変わったのはグレイスだけではない。

 演習場の中には、ガンナーたち4人の姿もある。

 討伐隊に参加したガンナーたちの噂を聞き、アルバート団長は考えを変えたようだ。騎士の成長のため、隣国の体制を真似て、ガンナーたちに共同演習を申し出たらしい。

 グレイスが休憩がてら稽古を見守っていると、ガンナーが若手の騎士をあっという間に打ちのめす。


「次は誰が俺の相手をする?」


 ガンナーは腕がよくてみんなからも尊敬されているが、騎士たちにとってはまだ少し恐い存在らしい。

 誰も名乗り出ないので、グレイスが進み出た。


「ガンナー、わたしが相手をするわ。手加減できないけど、よろしくて?」

「がはは、こっちのセリフだ。かかってこい、アル中娘」


 ガンナーが剣を構えながら豪快に笑い飛ばす。

 騎士団との共同演習の甲斐もあり、ガンナーたちの悪評は少しずつ減り、貴族たちからの見る目もだんだんと変わっていった。それに伴い、騎士団の騎士たちの成長の一手を担ったとして、グレイスの評判も一部で上がっている。

 一方で、酒好きの野良剣士と関りを持ち、戦闘狂の道に突っ走っているとして、グレイスのよからぬ噂がまた広がった。


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