表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/6

第1章2話

 翌日、王城図書館での仕事の合間に、グレイスは料理に関する書籍が収集された本棚の前にいた。ビールに合うおつまみについての知識を深めるためだ。

 グレイスは司書の通常業務の傍ら、図書館に出入りする人々から本のリクエストを聞き、取り寄せることもしている。中には他国から輸入しないと手に入らないものもあり、ついでにビールに関係ある本もこっそり運び入れていた。

 隣国では、野菜や魚介類を使ったマリネやサラダの他に、チキンの串焼きなど様々な料理をビールのお供としているらしい。中には、モンスターの肉を使ったおつまみまであるようで、ビールと一緒に食べることで、どちらの美味しさもより際立つのだという。


「知らないことだらけ……本当に世界って広いのね」


 頭にたたき込む勢いで本を熟読していると、こちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。グレイスは読んでいた本をさっと閉じて棚に戻し、『初心者さんでも簡単にできちゃう、おもてなしパン作り』という本を代わりに抜き取って読んでいるふりをした。

 だんだんと大きくなった足音は、グレイスのすぐ近くでぴたりと止まった。


「ああ、グレイスさん。こちらにいらしたんですね」


 振り向けば、外交官のマシューが立っていた。


「わたしに何かご用ですか?」


 マシューは王城で働く人たちの中でも若い官僚で、グレイスのもとへよく相談にやってくる。


「南西地方の詳細な地図が掲載されている本を探しにきたのですが、なかなか見つからなくて」

「それなら、ご案内します。こちらです」


 グレイスは本を棚に戻すと、地理関係の書籍が並ぶ棚を目指す。


「南西地方のどの辺りの地図をお探しで?」


 先に立って歩きながら、少し後ろに続くマシューに尋ねる。


「エアルトです」


 エアルトと言えば、隣国スノーデルとの貿易の拠点になっている町だ。外交官であるマシューがその近辺の地図を探しているということは、貿易経路で何か問題が発生したのだろうか。


「もしかして、物資を運ぶのに使っている道に何かありました?」


 グレイスの予想は的中したようで、マシューは目を見開いた。


「ええ、そうです。実はいつもの道が使えなくなってしまい、代わりの経路を手配しなくてはならない状況でして。問題があるのは国内とはいえ、隣国からの輸入経路でもあるので早急に連絡を入れないといけませんし……」


 マシューの説明を聞いているうちに目的の本棚に到着した。グレイスは本棚にさっと視線を滑らせると、一冊の大判の本を抜き出した。近くの机に移動して、本を開きページを捲る。


「この辺りですね」


 エアルト付近の地図が記されたページを見つけ、町の名前が書かれた場所を指さす。


「そうです。他に使える道があるといいんですが……」


 隣でマシューも真剣に本を覗き込む。


「あっ、少し遠回りになりますが、この道は使えそうですね」


 マシューが地図の道を指でなぞりながら言う。

 確かに地図上だけを見れば問題なさそうに見える。しかし、グレイスは前に本で読んだ話を思い出した。


「隣国のスノーデルでは、この辺りの地域は暴風雨に見舞われると川が氾濫するようです。前に行商人たちが被害に遭ったとスノーデルの本に書いてありました。先日お会いした行商人の方も、雨季は警戒していると言っていましたし」


 マシューが指さしている地点からさらに先、国境を越えた辺りには川があり、この経路だと橋を渡らなくてはならない。


「臨時の経路として使うには問題ないかもしれませんが、雨季が来る前にこれまでに使っていた経路に戻したほうがいいと思います」


 グレイスの言葉を聞き終えたマシューは目を輝かせる。


「そうですか。いやぁ、グレイスさんの意見を先に聞けてよかったです。相変わらず見識が広くて尊敬します」

「いえ、たまたま読んだ本に書かれていたことを、覚えていただけです」

「いやいや。今の状況に満足せず、さらに知識を深めようとする姿勢が素晴らしいですよ。先ほども熱心に本を読みふけっていましたし」


 心から褒め称えるマシューに、グレイスは苦笑で誤魔化した。ビールに合うおつまみを調べていたとは、口が裂けても言えない。


「ところで、もともと使っていた道はなぜ使えないんでしょうか?」


 グレイスが話を戻すと、マシューも神妙な様子で答える。


「それが、近頃その道中でワイルドボアというモンスターが現れるそうなんです。物資を運ぼうとして、何度も荷馬車が襲われたとか」

「ワイルドボア、ですか……」


 口にしながら、グレイスは数奇な巡り合わせに驚いていた。

 その名前は、ついさっき読んでいた本に出てきたものだ。「ワイルドボアの塩焼き」と言うレシピの上に、『塩の効いた柔らかいお肉は、ビールとの相性抜群!』という煽り文句が掲げられていた。 

 まっさきに、食べてみたいという気持ちが湧き上がる。

 ビールはおつまみの美味しさを際立てる。反対に、おつまみはビールの美味しさを際立てる。そういう相互関係にあるという。そのマリアージュを、グレイスも体験してみたかった。


「ワイルドボアといっても、普通のものではなく、超特大のゴールドワイルドボアなんです。普段は滅多にでくわすこともないのですが……」


 グレイスの心中など知らず、マシューは沈痛な面持ちで訴えている。


「でも、それならそのワイルドボアを倒してしまえば、元の経路が使えるようになるのでは?」

「そうなのですが……何しろかなり大きくて凶暴なので、今のところ誰も討伐に名乗り出る者がいないんです」

「それなら、ベルベーラ騎士団を頼ってみてはいかがですか?」


 王家直属の騎士団である彼らの主要な任務は王族の護衛にあるが、貿易経路の確保となれば国の一大事だ。万が一、物資の輸送が滞れば、スノーデルとの関係に亀裂が生じかねない。他に当てがないのであれば、騎士団が直々に出向こうとしても、おかしくないのではないか。そう思って尋ねてみたのだが、マシューはなんとも複雑な表情を浮かべた。


「あ、いえ……ベルベーラ騎士団には、すでに断られてしまったんです。騎士団の方々は、別の任があるとかで手が空かないそうでして」


 騎士団の稽古に出入りしているグレイスは、彼らに緊急の任がないことは知っている。ベルベーラ騎士団に所属できる騎士には、身分や家柄に制限がある。そのため、人員確保が難しい。別の任があるというのは建前で、貴重な人員に被害が及ぶのは避けたいというのが本音だろう。

 確かに王の護衛は騎士団にしかできないが、モンスター討伐なら他の者でもできる。


「そうでしたか……それなら、わたしがワイルドボアを倒しましょう」


 マシューは一瞬、何を言われたのか理解できなかったようで目を瞬く。妙な間をおいた後で、驚きを全面に出した。 


「ええっ!? グレイスさんが? ワイルドボアを? 最近、剣の稽古をされているのはもちろん知っていますが、ワイルドボアですよ? ……さすがに危険すぎます」

「もちろん、わたしだけで倒しにいくわけではありません。誰かしら雇い入れて、討伐隊を組むつもりです」

「僕としては問題が解決するなら、とてもありがいお話ですが……」

「それなら、わたしに任せてください。実はそろそろ実戦を試してみたいと思っていたところなんです。ワイルドボアなら、その相手に最適かと」 


 ワイルドボア討伐となれば、体への負荷は大きい。その分、おいしいビールが飲めるはずだ。最近稽古ですら物足りなく感じるようになっていたグレイスにとって、これは絶好のチャンスだった。


「なっ、なんと! グレイスさんがそこまでの騎士道をお持ちだとは……」


 まさかビールのためだとは思ってもいないマシューは、グレイスがさらなる剣の上達を目指していると捉えたようだ。


「誰かがやるべきなら、わたしがやります……」


 グレイスにはもうひとつ大きな目的があった。

 ワイルドボアの肉で作った料理と一緒にビールを堪能する。つまり、おいしいおつまみをお供にビールを楽しむという新たな道を開くことだ。


「……ワイルドボアを倒すことで、道は開かれるのですから!」

「グレイスさん……そこまでして民のために貿易経路の確保を……!」


 マシューは心を打たれたように胸を押さえている。


「ここはひとつ、わたしにお任せいただけませんか」

「ええ……もちろんです。グレイスさんのことを甘く見すぎていたのかもしれません。どうか、よろしくお願いいたします」


 マシューはなにやらいたく感動し、目に涙を浮かべている。

 しかし、ワイルドボアの肉とビールのことで頭がいっぱいのグレイスは、そんなことにまるで気づいていなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ