憑音(ひょうおん):デジタル時代の呪い
憑音:デジタル時代の呪い
アスファルトの照り返しが目に痛い。スマートフォンの画面が放つ光もまた、視界の片隅で常にちらついていた。星野雫は、カフェの冷房が効いた窓際で、だるい体をソファに沈めていた。今日もまた、朝まであの曲を聴いてしまった。
「最近、雫ちゃん顔色悪いね。もしかして、あの曲聴きすぎてる?」
向かいに座る親友のユカが、心配そうに尋ねた。ユカの言葉に、雫はびくりと肩を震わせた。彼女が言っているのは、SNSで最近バズっている「憑音」というボカロ曲のことだ。シンプルなサムネイルからは想像できないほど、コメント欄は異常な熱気を帯びていた。
「絶対に聴かない方がいい。でも、一度聴いたら頭から離れない。中毒性、というか、もう一種の麻薬。聴いてから夜眠れなくなった」 「聴いた私も呪われたよ。でも、マジでこの曲はヤバい。ボカロ好きなら聴かないと損するレベル。ただし、自己責任ね。聴きすぎて体調崩したけど、やめられない」
そんなコメントがずらりと並んでいた。危険性を匂わせつつ、「中毒性」「ヤバい」「聴かないと損」といったキーワードが、雫の好奇心を掻き立てた。「みんな聴いてる」という同調意識や、「私だけ乗り遅れたくない」という焦りが、理性を凌駕する。呪われるかもしれないという恐怖と、未体験の中毒への抗えない誘惑。最終的に雫は、**「これほどまでに警告される中毒性とは一体どんなものか」**という衝動に突き動かされ、自らの意思で再生ボタンをタップした。
曲は、美しくもどこか不穏なメロディを奏でた。歌詞は「取り戻せない日々」「誰にも届かない声」「抗う意味などない」といった、心に潜む普遍的な喪失感や無力感を抽象的に描写していた。聴き終えた直後、その旋律が頭の中でループし始め、「もう一度聴きたい」という強烈な欲求に駆られる。期待通りの「中毒性」に満足し、気づけば何度もリピート再生を繰り返していた。
最初は小さな異変だった。スマートフォンのバッテリーの異常な消耗、PCの頻繁なフリーズ。それらは偶然だと片付けられたが、日を追うごとに頻度と深刻さが増していった。そして、五感にも異変が始まった。静かな場所にいても、常に頭の中で曲が鳴り響き、外部の音が聞き取りづらくなる。無音の部屋でも幻聴のように曲の一部が聞こえ、日常の音が曲のメロディのように聞こえるようになり、現実と幻聴の境界が曖昧になっていく。
曲を聴きたい欲求は制御不能になり、睡眠時間を削って聴き続けた。慢性的な睡眠不足、倦怠感、集中力低下、食欲不振。肉体的な変調は明らかだった。友人との約束をドタキャンし、大学講義への遅刻が増え、アルバイトではミスを連発した。雫は「単なる疲労」として自身の変調を受け入れ、あるいは「この曲を聴くこと自体が自分にとって普通だ」と思い込むようになっていた。
心身の変調が進むにつれて、雫は現実と幻覚の区別がつかなくなっていった。漠然とした不安の中で、視聴前に見た「いいねは絶対押さないで。押したら最後、あなたはもう逃げられない」というコメントが頭の中で反芻される。動画を再生している間、無意識のうちにスマホの「いいね」ボタンに視線が引き寄せられ、「いいねしないとヤバい」といったコメントが、まるで自分に語りかけられているかのように感じられた。「この苦しみから逃れるには、『いいね』を押すしかないのかもしれない」「みんなが『いいね』を押しているから、私もそうしなければならない」という強迫観念が芽生える。そして、その思い込みがピークに達した時、雫はまるで誰かに背中を押されるかのように「いいね」ボタンをタップしてしまった。
呪いの連鎖
完成間近だった卒業論文のデータが、跡形もなく消え去った。徹夜で曲を聴き続け、「いいね」を押したことへの漠然とした不安と、それによってさらに深まる疲弊。極度の集中力低下と手の震えが原因だった。この時、雫は自身の不幸や肉体の衰弱が、**「あの曲を聴き続けること、そして『いいね』を押してしまったこと」**に起因すると確信した。
自身の異変に苦しむ中で、SNSやニュースで、「憑音」の作者であるボカロPが数ヶ月前、不審死(自殺とみられる)していたという情報が急浮上した。死因は不明なまま葬られたはずの事実が、曲の異常な拡散と共に掘り起こされたのだ。雫は、自分の身に起こっていることが、作者自身にも起こっていたのかもしれないという戦慄と共に、「これは本当に呪いなんだ」という確信をより強く持つ。
脳裏でエンドレスにループする曲のサビと共に、**「誰かに聴かせろ」「拡散しろ。いいねを押させろ。でなければお前は朽ちる」**という耳鳴りのような声が、より明確に、より強迫的に聞こえるようになる。それは物理的な声ではなく、自己が極限状態に陥ったことで生じる幻聴であり、その声は「いいね」を押せという自らの「思い込み」をさらに増幅させた。自身の肉体が本当に「朽ちて」いくような感覚に襲われる。
再度動画のコメント欄を確認すると、かつて「中毒性」の言葉の裏に隠されていた、より具体的な体験談が並んでいることに気づいた。再生数が10万を超えたあたりから「幻覚が見える」「体が動かない」「いいねしないとヤバい」といったコメントが増え、100万再生を超えると「聴きすぎて人間じゃなくなった」「誰かに聴かせないと自分がダメになる」「いいねを強制された。もうやめられない」「死んだも同然」といった絶望的なコメントが支配的になっていた。これらの言葉が、自分の現状と完全に一致していることに雫は戦慄する。「いいねを強制された」というコメントは、雫が「いいね」を押した時に感じた「誰かに強いられたような感覚」と重なり、自身の体験を肯定する強力な根拠となった。
雫は震えが止まらなかった。この曲の呪いは、幽霊や超常現象によるものではなく、**人間の心理、特に「中毒性」や「同調意識」、そして「トラウマへの自己否定的な反応」、そして現代社会の「承認欲求」といった弱さを巧妙に利用し、自ら進んで破滅へと向かわせる「依存の連鎖」**だと理解した。作者の死を知ったことで、この呪いが誰も制御できないデジタル遺品としてインターネット上に残り続け、人間を蝕んでいるという事実に、彼女は絶望する。聴き続けることで自らが精神的にも肉体的にも朽ち果てる前に、この「毒」を誰かにパスし、そして「いいね」という承認行為をさせなければならないという、本能的な焦燥感に駆られた。まるで「ねずみ講」のように、次の被害者を生み出すことでしか、自身の破滅を一時的に回避できないのだと。
裏切りと安堵
良心と自己保身の間で激しく葛藤した。大切な友人たちを破滅に導くことへの罪悪感。しかし、このまま自分が心身ともに滅びゆくことへの極度の恐怖。脳裏を支配する曲のメロディと「聞かせろ、いいねを押させろ」という囁き、そして日に日に衰弱していく自分の肉体が、良心に抗うことを許さない。一度は、スマートフォンやPCの電源を強制的に切り、Wi-Fiを切断するなどして、この抗えない欲求から離れようと必死に抵抗を試みた。友人との約束を死守しようと奮闘するが、肉体的・精神的な欲求には抗えず、結局は曲を再生してしまう。その絶望的な失敗が、さらに雫を追い詰めた。
ある日、カフェで一人「憑音」をヘッドフォンで聴いていると、親友のユカが不意に雫の席にやってきた。「何聴いてるの?」「なんか、すごい集中してるじゃん!」「私も聴いてみたい、共有してよ」無邪気に尋ねてくるユカの言葉に、雫は一瞬、戸惑いと罪悪感に苛まれた。しかし、**「誰かに聴かせ、いいねをさせなければ自分が朽ちる」という強迫観念と、日々の心身の衰弱による極限状態が、彼女の良心を麻痺させた。加えて、「友人が自ら聴きたいと言ったのだから、私が積極的に呪いをかけたわけではない」という言い訳が、雫の中で成立し、自分を正当化する口実となる。「私が頼んだわけじゃない、向こうから言ってきたんだ」**という責任転嫁の思いが、彼女の決断を後押しし、友人を犠牲にしてもらう決心へと繋がった。その時、彼女の脳内で「聞かせろ、いいねを押させろ」という幻聴がより一層強く響き渡った。
雫は、無機質な義務感と切羽詰まった焦りを滲ませた表情で、ユカに曲のURLを共有した。そして、かつて自分が誘われた言葉と同じように**「この曲、マジで中毒性ヤバいから聴いてみて。本当に止まらないから気をつけて」**と告げた。
数日後、ユカから「あの曲、なんだかずっと聴いちゃう」「最近、寝不足気味でさ」といった返信が届いた。ユカが以前のような活発さを失い、どこか無気力になっていく様子も雫の目には映る。ユカの返信には「いいね」を押したという記述はないが、動画の再生数と「いいね」数が明らかに増えていることから、雫はユカもまた自分と同じように、精神的な追い詰められ方によって「いいね」を押してしまったことを確信する。同時に、雫自身の呪いの症状は劇的に軽減され、肉体の衰弱も一時的に止まった。「聞かせ、そしていいねをさせたから助かったのかも」という偽りの安堵感が彼女を包む。ユカから新たな**「中毒者」が生まれたことを確信し、安堵と同時に、深い絶望と自己嫌悪に苛まれる。自分が、呪いの「共犯者」となってしまったことを自覚する。その時、動画のコメント欄には「私も同じ症状だ」「解放されたい」「誰かに聞かせないと」「いいねを強制された」**といった、自分と同じような状況のコメントが異常な速さで追加されているのを目の当たりにし、一瞬の「安心」と同時に、深い絶望に打ちのめされた。
広がる「死の噂」
一時的な安堵を得るものの、雫は次に誰に曲を聴かせ、そして「いいね」をさせようかと考える。もはや自らの意思というより、曲の「中毒性」と呪いの本能に操られるかのように、スマートフォンの連絡先をスクロールする。その表情には、生きる屍のような虚無感と、かすかな、しかし抗えない依存の表情が混在していた。
ある日、雫の耳に、ユカが亡くなったという知らせが飛び込んできた。ニュースでは、極度の睡眠不足による体調不良が原因の不慮の事故と報じられている。雫は、ユカが曲を聴き続け、「いいね」を「押さざるを得なかった」ことによる心身の衰弱が、その死につながったことを確信した。物理的な死は呪いによる直接的な現象ではないが、その間接的な結果であるという冷酷な現実が、雫の心を深く抉る。
動画のコメント欄には、新たなコメントが書き込まれていく。以前よりもさらに具体的な不幸の報告や、「人間じゃなくなる」「いいねのせいだ」といった言葉が増えている。「結局、聴き続けてたら鬱になった。もうまともな生活送れない。これは呪いじゃなくて、人間の精神を破壊する毒。いいねなんかしなきゃよかった。」「私の友達、この曲聴き続けて、いいねも押してたら、なんか別人のみたいになっちゃった。死んだも同然だよ。」
ネットの片隅では、「あのボカロ曲、聴いていいねした奴は全員死ぬらしいぞ」という噂が、半ば真実として広まり始める。それは、物理的な死ではなく、心身が完全に蝕まれ、社会的に「死んだ」状態になってしまうことを指す。ニュースサイトやまとめサイトでも、「特定のボカロ曲が原因で体調不良を訴える若者が増えている」「いいねを強要する謎の現象」といった真偽不明の噂が囁かれ始める。作者は自殺したが、その「憑音」は、現代社会に蔓延する「中毒性」という言葉を巧みに利用し、同調意識と依存、そして承認欲求の罠を仕掛けながら、今日もネットの片隅で、新たな犠牲者を求めてその美しい旋律を響かせ続けている。そして、この「呪い」の噂が広まるにつれて、興味本位で動画を再生する者が増え、皮肉にもその再生数は上がり続ける。