2.断じて萎えたとかではない
これには俺も驚かざるを得なかった。なんせそいつは、頭に2本もの角を生やしていたのだから。
もちろん会釈なんてせず、そいつは不遜な態度を保ったままこう告げた。
「なんぢ恵まれし境地に暮らせるに、自在を求むや」
冷たくて、どこか棘のある声だった。一瞬、空気がピリついたような気さえした。
(……古典の小テストって、たしか再来週だったような)
夢の中でも勉強しようとしてるなんて、いくらなんでも意識高すぎやしないか、俺。自画自賛するわけじゃないけど、たとえ火の中水の中、はてや夢の中だろうと俺の頭はよく回るらしい。
顎に手を添え、探偵みたいにふんふん考えてみる。目の前の鬼(仮)、要するにまあ「お前は恵まれた環境にいるのに、自由を求めるのか?」的なことを言いたいんだろうけど……ひとまず、初対面の俺にいきなり説教垂れてくるなんてずいぶんはた迷惑な奴だ、とでも思っておくのが無難なところか。
「然り然り〜。それよかお兄さん、だいぶ電波っぽいすね。イケメンなのにもったいない」
すると鬼は、眉を片側に寄せ、露骨に不機嫌そうな顔をした。おいおい、そんな「お前にだけは言われたくない」みたいな…………ん? 待てよ、何か言ってる。
しかし、俺たちの間に折悪く吹きすさぶ、湿っぽい風のせいでよく聞き取れない。
「ねえ、もうちょっとはっきり……」
「我らより逃げ切りてみせよーー小田桐 真琴」
(……!)
かろうじて聞き取れた最後の言葉に、俺は目を丸くした。なんでフルネームを知られてるんだろう。つーか、逃げ切るって何から?
「……っす、?」
とはいえ事態をややこしくするのも嫌だったので、話半分でも短く返事をしておいた。
(まあ、しょせん夢の中だし)
そう思ったところで。俺の意識はふつっーーと途切れた。
*
寝汗の気持ち悪さで目が覚めた。ずぶ濡れかってくらいびっしょりだった。あまつさえ低気圧のせいか、ほんのり頭も痛む。ちなみに昨夜の記憶も全くない。
(まさか……いや、ワンチャン…………)
一瞬、ほんの一瞬、酒に酔った勢いで一夜の過ちからの朝チュン……的なアレを想像したが、すずめはいないし、俺の服ははだけてないし、そもそも未成年同士だしで、一応確認してみるも、もちろん腕枕にほのかの寝顔はなかった。ワンチャンはなかった。
それにしても、だ。俺はたまらず胸を抑える。必ずしも、ムラムラしているからではない。
(なんでこんなに緊張? 興奮? してんだろ)
もしかしたら寝る前、ほのかにそっくりの女優が出てるAVの続きでも見たんだろうか。我ながらまあまあ最低だな。
ただ、さっきからなんとなく妙だった。使用感のあるティッシュは部屋のどこにも見当たらないし、まるで脳全体が霧に覆われているようなーー
俺の思考をかき消すかのように、玄関のドアがガチャリと開かれた。もはや反射の域で分かる、ほのかだ。階段を駆け上がる声が聞こえてくる。
バタバタバタバタッーードテッ
そうそう、他校にも関わらず毎日起こしにきてくれる、健気な俺の幼馴染…………ドテッ⁇
……嫌な予感がする。
「ちょっーー、ほのか無事? 生きてる?」
返事がこない。
さすがの俺も心配になってきて、いつぞやのほのかみたく、パジャマ姿のまま出てみれば。そこにはほのかが、血相を変えた様子でへたり込んでいた。何をそんなに急いできたのか、肩を忙しなく上下させている。全く、いつものおっとり加減はどうしたんだろう。とりあえずおでこに手を当ててみた。熱はないようだった。
「どーしたの? 学校始まるまであと30分くらいはーー」
「たすけて、まこちゃん……っ!」
突然。食い気味にほのかが言った。声も肩も、苦しそうにわなわな震えている。
「ほのか」
「まこちゃんは、"おに"じゃないよね……?」
途端に、裏切られた捨て犬のような目つきで、不安そうに尋ねられた。キュッと、パジャマの裾をつままれる。
「はあ? 人間、だけど……あ、なんなら今から確かめてみる?」
ソッチの意味として少しからかったつもりが、無垢なほのかには微塵も通じなかったのか、代わりに息もできないくらい強い力で抱きしめられた。無論、抵抗はしなかったが。
「よ、かった、よか、ったあ……! まこちゃん、生きてて、"おに"じゃなく、て……!」
「おお、どうどう……」
どうやら、少なくともただごとではなさそうだ。
その時、だった。おに、オニ、鬼……? 俺の中で、急速にパズルのピースがつながり始めたのは。そうか、もしかすると昨日の夢はーー
俺はまっすぐ、ほのかを見つめた。
「……その話、できるだけ詳しく聞かせてくれる」