フェタリアス公爵家の亡命
マーブルグ王国の王都にあるフェタリアス公爵家の応接室では、隣国のダンデル公爵家から依頼された業者がこの家を買う手続きをしていた。
今から3ヶ月前、フェタリアス公爵夫人、カーラが女の子を産んだ。その子は黄金色の髪にエメラルド色の瞳、肌は透き通るように白く、さくらんぼのような唇をしておりまるでお人形のように美しかったが、左の頬に苺の様な赤いアザがあった。
こどもが産まれた時、その場の空気が凍りついたようになり、取り上げてくれた医者はすぐにその子を隠すようにしていた。翌日になり、寝台の上で我が子の顔を初めて見たカーラは、その子をそっと膝の上に抱くとボロボロと涙を流した。夫のモーガンはそんな妻と我が子をそっと抱き寄せて言った。
「カーラ、この子はほんとうに可愛らしくて君によく似ている。そして瞳の色は私と同じだ。アザの事は心配だが、まずはこの愛しい子に名前を付けよう」
2人は相談して、穏やかに眠る我が子にリリアーナという名前を付けた。
マーブルグ王国では昔から赤いアザのある女の子はいずれ魔女になり、国を滅ぼすという言い伝えがあった。実際にアザのある子が産まれてもそんな事など1度もなかった。それは迷信だと思う人が増えてはいたが、まだまだ信じる人も多く、赤いアザのある女の子が産まれると他国に養子に出される事が多かったが、中には人目につかない所に閉じ込められたり、教会の前に捨てられたりする事もあった。
フェタリアス公爵家の領地は王都から東にあり温暖な気候のおかげで農作物が良く取れた上に、埋蔵量の多い鉱山も有しており、国境にも近く、他国との貿易も盛んに行っていた。
そのためフェタリアス公爵家の持つ資産は国の資産と同じくらいあるのではないかという噂まである程だった。
膨大な資産を持つフェタリアス公爵家の国内での力は強く、モーガンはアザがあっても他の貴族には何も言わせない自信があった。だが、マーブルグ国の国王、ミゲル王の事だけが気掛かりだった。
カーラはマーブルグ王国の東にあるライラック王国の公爵家、ダンデル公爵の長女で、モーガンが留学した時に知り合い、2人は愛し合うようになった。
両家から祝福され、婚約した時、ちょうど当時のマーブルグ国王が主催するパーティがあり、フェタリアス公爵夫妻はカーラをお披露目するためにモーガンとカーラを連れて出席した。
そのパーティでカーラに一目惚れしたミゲル王子は周囲の顰蹙を買う事も気にせず、モーガンからカーラを奪おうとした。その時、フェタリアス公爵と、隣国のダンデル公爵を敵に回す事を恐れた国王が、ミゲル王子を叱責し、謹慎させた事があった。
その後、ミゲル王子はおとなしくしていたが、結婚し、前国王が亡くなり、王になった2年前からなにかとモーガンに嫌がらせをしてくるようになっていた。
「カーラ、いよいよその時が来たようだ」
モーガンはカーラにそう言うと、すぐにフェタリアス領の屋敷に住んでいる両親とカーラの両親に手紙を出すと、執事のセバスを呼んで『時が来た』事を伝えた。
引退してフェタリアス領の屋敷に住んでいたモーガンの両親は手紙を受け取るとすぐにフェタリアス領に接する領地を持つ領主達と、取引のある商会の会長、そして領内を地域に分けて任せている地方領主達や神官等に『時が来た事』を知らせた。
隣国のダンデル公爵も手紙を受け取るとすぐに2年前にフェタリアス公爵から頼まれて購入した屋敷に人を送り、いつでも住めるように準備を始めた。そして、予定通り、マーブルグ国の王都にあるフェタリアス邸を購入するための準備を始めた。
フェタリアス領では2年前から国には分からないように、隣接する領主にフェタリアス領にある、鉱山の利権や農産物を売買する権利を買ってもらう約束をしていた。
困った時にいつも助けてくれたフェタリアス公爵家がミゲル王から、嫉妬が原因の嫌がらせをされている事を知っていた領主達は皆協力してくれた。
地方領主たちもいつも気に掛けてくれるフェタリアス公爵家のためなら、平民の自分達にはお咎めはないから、何も気にする事はないと言ってくれた。
王都にあるフェタリアス公爵邸では、執事のセバスが2年前から計画していた通りに、隣国に行く事を選択した使用人をフェタリアス公爵領に向かわせると、数日後には公爵夫人カーラと、娘のリリアーナを乗せた馬車がフェタリアス公爵領へと向かった。
ここまで終わればあと一息だ。セバスはこれまで一緒に働いてきた使用人達が困らないように準備を始めた。
リリアーナが生まれて2ヶ月たった頃、ミゲル王がモーガンを呼び出した。
謁見の間に通されたモーガンは、右手を胸に当てたまま跪き、頭を低くさげた。
「頭を上げよ。久しぶりだなモーガン」
「はい、ミゲル王のご健勝の事お喜び申し上げます」
「こどもができたそうだな?それも赤いアザのある女の子と聞いたがほんとうか?」
「はい、アザはありますが、とても可愛らしい子です」
ミゲル王は有無を言わさぬ口調で聞いてきた。
「赤いアザのある女児ならすぐに他国に養子に出すのだろうな」
「リリアーナはまだ生まれたばかりです。せめて乳離れするまでは手元に置かせてください」
モーガンは深く頭を下げて頼んだ。するとミゲル王はニヤリと笑いながら言った。
「カーラはどうしている? アザのある子が産まれてさぞ辛いだろうな。可哀想に。
モーガンでなく、私を選んでいればこんな事にはならなかったかも知れないなぁ。
まあ何にせよ早急にこどもを手放すことだな。なんなら私が手伝ってやってもよいぞ」
モーガンは怒りをぐっと抑えて言った。
「お心遣いありがとうございます。しかし既に他国に送る準備はできております」
「そうか。今日はご苦労だったな」
そう言うとミゲル王は立ち上がり、騎士を伴って謁見の間から出ていった。
屋敷に帰ったモーガンがミゲル王の話をするとすぐに執事が言った。
「モーガン様、今夜決行しましょう」
その日の夜中、王都にあるフェタリアス公爵の屋敷から数人の男が出てくるとそのまま闇の中に消えていった。
それから数日後、フェタリアス公爵家の応接室では隣国のダンデル公爵家から依頼された業者がこの家を買い取る手続きを済ませると帰って行った。
フェタリアス公爵家の様子がおかしいと聞き、調査に行った官僚が急いで王の執務室の扉を叩いた。
「なんだ!騒ぞうしい!」
「王様、大変です。フェタリアス公爵が亡命しました」
「何だと!」
ミゲル王達が気付いた時にはもう遅すぎた。フェタリアス公爵家は持ち主が代わり、誰でも借りることができるタウンハウスになっていた。そしてフェタリアス領に馬を飛ばして見れば、フェタリアス領地はなくなって、その周りの領主達が共同で治める土地になっており、いつからそうなったのか誰に聞いても分からなかった。
その頃ライラック王国の王都にあるダンデル公爵家では、ダンデル公爵の力添えでライラック国王から爵位を賜り、フェタリアス侯爵となったモーガン達を歓迎するパーティが開かれていた。
そこにはダンデル公爵家と懇意にしている貴族も集まって、皆がフェタリアス家の人達を歓迎してくれた。
その中にいたダンデル家お抱えの医者がリリアーナの顔を見て言った。
「フェタリアス侯爵夫人、リリアーナ様の苺の様なアザは私の生まれた国では『天使のキス』と呼ばれていて、3歳位には綺麗になくなってしまうアザです。
『天使のキス』を持って産まれてきた子には、祝福があり幸せになれるといわれているんですよ」
それを聞いたカーラは嬉しくて涙が止まらなくなり、フェタリアス家の皆も思わずカーラを抱きしめて、その場には何人もの人が抱き合う輪ができた。
10数年後
「お父様、お母さま、ベンジャミン、ゼブラス行ってまいります」
「「行ってらっしゃい」」
「お姉様、行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃいませ」
黄金色の髪にエメラルドの瞳、透き通るような白い肌、さくらんぼのような可愛らしい唇の少女は、両親と弟と執事に挨拶すると侍女と一緒に馬車に乗り学園に向かった。
学園に着き、馬車の扉が開くとそこにはリリアーナの婚約者であり、ライラック国の皇太子キリアンがエスコートするために待っていた。優しい笑顔でリリアーナの手を取るキリアンを見て頬を染めた少女の顔には1片のアザもなかった。