Op.08 "Eighth Strike"
ワルシャワ・オケンチェ空軍基地を、喧騒が満たしていた。
玲和四年五月二日、現地時間午前三時三十二分。
環境破壊だとか、騒音公害だとか、そんな言葉が頭を過ぎるけど、でも人命には代えられないのだから、どうか寛恕してほしい。
同地に集結したのは、「特別な」F-15Jが十六機、F-2が十七機、そして退役して順次解体されるはずの所を待ったが掛かって保管されていた、F-4EJ改が十六機。
計四十九機の戦爆連合が三波に別れて、次々と編隊を組んで離陸していくことになっている。
前夜、闇に紛れてレイクンヒースから飛来した「私」達は、ここで補給を受けて束の間の休息を取り、そしてこれから夜明けと共に、ウクライナ首都キーウ前面を圧迫するロシア軍を強襲する第一撃を担う手筈になっている。
ワルシャワ・ショパン空港と共用するオケンチェ空軍基地に、我々日本国自衛隊機が集結していることは、もうOSINTでロシアにも伝わっていることだろう。これだけの大規模な部隊の移動を、この高度情報化が進んだ社会で完全に秘匿出来ると思う方が、どうかしている。
何しろ、騒ぎを聞きつけた周辺住民が集まって、フェンス越しに即席の日の丸とウクライナ国旗を振って、声を上げているし、警備兵もフェンスを超えない限りは黙認しているし。
けれど、ロシアは「まだ」ポーランドに居る「私」達を襲う事は出来ない。ウクライナだけでも攻めあぐねているのに、この上ポーランドに第二戦線を開き、欧州諸国との全面戦争に至る愚を犯す事など、出来る筈が無い。
であるが故に、NATO軍は安全圏であるポーランドやルーマニア上空から悠然と電子戦を仕掛け、またウクライナ上空に侵入するロシア軍機を通報、撃滅することに寄与出来ているし、「私」達もこうしてキーウから直線距離にして僅かに七〇〇キロにも満たないこの地で、安全に給油の機会を得ているのだ。
『オケンチェ・コントロールよりシーグルズ隊、滑走路への進入を許可します』
「シーグルズ・ワン、ラジャ」
後ろを振り返れば、基地の手空き要員が総出で帽子を振っている。見えるかどうかは理解からないけど、一瞬手を振り返して、隊長機に続いて滑走路に進入する。エルロン、ラダー、フラップ、共に全て正常。自己診断もオーケー。
『オケンチェ・コントロールよりシーグルズ隊、発進どうぞ。――ご武運を』
「シーグルズ・ワン、ラジャ。テンキュー」
ブレーキ・リリース、スロットルを全開に、アフターバーナー・オン。五〇〇ポンド通常爆弾二十二発に〇四式空対空誘導弾四発の「ちょっと」過積載気味の「特別な」F-15Jが、二基のF-110-IHI-129エンジンに推されて動き出す。ダイヤモンド編隊を組んだまま、滑走路を目一杯に使い切って、「私」達のF-15Jはまだ昏い空に飛び立った。
「おーおー、派手に歓迎されてンなぁ……」
前方で、先発したF-4EJ改が放ったAGM-88によるSEADに対し、激しい対空砲火が打ち上がっている。恐らくはZSU-23-4シルカか、2K22ツングースカによる曳光弾の弾幕。時折虚空に消えて行く軌跡は、ツングースカの9M311対空ミサイルか。
これ程の対空射撃は近現代戦史上、湾岸戦争以来じゃないだろうか?
「嬉しくて涙が出るわ」
但し、他人事なら、だが。
前方で爆発炎が閃き、派手に炎を引きながら墜ちていく。データリンクから友軍機のフリップが一つ、消失する。
言い方は悪いが、古いF-4EJ改をワイルド・ウィーゼルに供して敵の目を惹き、より戦力価値の高いF-2とF-15Jから目を逸らさせる。その目論見はある程度、成功していると言っても良かった。任務に従事するファントム・ライダーの生死と引き換えに、だが。
出撃前の情報に拠れば、キーウ前面のロシア軍は飛行場を巡る戦闘で飛行場の確保に失敗し、ドニプロー川の堰を切られて発生した洪水と泥濘、そして至る所に停められてバリケードと化した大型車輌群に足を取られた上、ウクライナ軍特殊部隊による後方撹乱によって、身動きが取れなくなり、燃料に不安を抱えていると言う。
とは言え、彼らは見ての通り十分に強力な対空戦闘車両を備えており、油断できる相手ではない。
ロシア軍、侮り難し。と、今一度兜の緒を締める。
そこへ、
「照明弾!」
パッ、パッ、パッ、と三発、前方に照明弾が上がり、ロシア軍の車列を鮮明に浮かび上がらせる。キーウ守備に当たっているウクライナ軍、二個砲兵旅団からの援護射撃だ。
「ツーとフォーは北の対空車輌を先ず殺れ、スリーは俺に続け。以上、別れ!」
「コピー!」
「スリー!」
「フォー!」
ロシア軍の車列が陣地転換を始め、物資集積所を取り囲む対空戦車の捜索レーダーが、「私」達を捕まえる。オートでECMが作動、電子の眼を眩ませる。見えない鍔迫り合い、ツングースカのレーダーが途切れる。赤外線捜索モードに切り替わったに違いない。
けれどもう、イーグルは正気を疑われるぐらいの高さで間合いを詰めていた。
「私」達の機は訓練通り左に抜けながら、JM61A1・二〇ミリガトリング機関砲を全力射撃。タングステン合金の徹甲弾が、僅かに振り向くのが遅れたツングースカを貫く。続いて「私」達の機を追っていた四番機が、右に抜けながら物資集積所に二発、五〇〇ポンド通常爆弾を投げ込む。遅れて対空射撃がイーグルを追い掛けてくるけれど、それを物資集積所ごと、五〇〇ポンド通常爆弾の爆発が派手に吹き飛ばした。
「ありゃ、誘爆したね……」
「まとめ過ぎなのよ。分散しないと」
そんな言葉を後席と交わしながら、「私」は四番機を追い掛ける曳光弾の発生源に機首を向ける。爆撃照準、ドロップ。ディスペンサーからチャフ・フレアを放出し、回避機動に入る。爆発、バックミラーに派手に吹っ飛ぶツングースカの砲塔が映る。
地獄そのものの光景を横目に、四番機と合流して僅かに高度を取る。空が白み始めている。夜明けだ。LANTIRNが無くとも、もう肉眼でさえ目標を視認することが可能になりつつある。前方、ロシア軍の後方の段列にもう一つ、対空陣地が見えた。
「あそこを殺れば、易々と下がれなくなるわ。
「私」が惹き付ける! フォー、アタック!」
「ラジャ!」
「私」達の機が高度を上げると、すかさず対空砲火が追い掛けてくる。ツングースカが放つマズルフラッシュ、そして9M311対空ミサイルの連続射撃がバックミラーに映る。フラップを下ろし、スロットルをアイドルまで戻してフットバーを蹴っ飛ばす。
イーグルは半秒、進行方向に対して九〇度機体がオフセット。まだ大量に爆弾を抱えて「重い」イーグルは、面白い様に速度を喪失う。
故に、イーグルの未来予測位置へ向けて飛翔していた曳光弾と9M311は、虚しく何も無い空間を貫く。
すかさずスロットルをミリタリーパワー・マックス、アフターバーナー・オン。カウンターを当てて本来の進行方向に機首を戻す。遅れて曳光弾が追い掛けてくるけど、
「ドロップ、ナウ!」
「私」達が信頼する四番機が放った五〇〇ポンド通常爆弾が、過たず物資集積所ごとツングースカを薙ぎ払ったので、その弾幕は途切れた。
「グッキル、マーク!」
四番機を称えながら、スロットルを戻して、合流。今度は南に進路を戻して、次の目標を探す。
『こちら第七二機械化旅団、上空の空軍機! ブチャ前面にダグインした敵戦車隊が多数居る! 殺れるか!?』
事前の打ち合わせで通告していた周波数に、英語で支援要請。ウクライナ軍だ。
「こちらシーグルズ・ツー、ホストーメリ空港の南ね!?」
『そうだ!』
「了解、すぐ向かう!」
拙い英語なのはお互い様。
「南……ここだね、見えた!」
「話が早くて助かるわ!
行くわよ! フォー、支援しなさい!」
「コピー!」
スロットルを再び開き、高度を取る。LANTIRNは地上で反撃を開始したウクライナ軍と、それに対峙するロシア軍の両方を捉えている。急降下。照準に、道の脇に掘られた蛸壺にダグインした、ロシア軍戦車隊の「Z」が描かれた砲塔を複数、捉える。バックミラーに、態と高度を取って対空砲火を惹き付ける四番機が映る。
残っている五〇〇ポンド爆弾を全弾投下し、重量物から解放されて浮き上がる勢いをそのままに、機体を左に捻りながら反転上昇。四番機とすれ違う。
ズドドン、と爆発。薄い砲塔上面の装甲を突き破った五〇〇ポンド爆弾が、恐らく車体底の弾薬庫にまで達して爆発したのだと思う。対空砲火が途切れる。見れば、隊長機と三番機がいつの間にか近くまで来ていた。
『こちら第七二機械化旅団、シーグルズ、支援感謝する!』
「どういたしまして。ウクライナに栄光あれ!」
『日本国にも栄光あれ! 以上!』
サラッとそう返され、ちょっと面映い気持ちになる。苦境にあってもなお、そう言えるだけの精神力が、果たして自分にはあるだろうか、と思う。
「よォ、お姫様。人気者になるんじゃないか?」
「よして下さいよ。軍人の人気者なんて、悲劇を覆い隠すためのプロパガンダじゃないですか」
「それもそうだな」
英雄なんて居ない方が良い。それは「私」の信念だ。
その思いに反して、この後「私」達は、今次大戦最強の戦闘機乗りの一団として、その名を上げることになる。