3 先生に読んで欲しい話
高校2年生の時に、生理痛のピークを迎え、毎月2~3日は学校を休んでいました。休まなかった月は、たまたまピークと休日が重なった月です。
常日頃の私は、面白いことが好きで、いつも冗談ばかり言いながら好き勝手に生きている人間です。性格は明るく、運動能力もそこそこ高い。ただ、時々何かに夢中になってしまい(大抵は小説か、長編漫画)、授業中は内職も辞さないという、阿呆です。先生からしたら、勉強しろって感じです。
まあ、それはともかく、生理の前と最中だけが別人格になるんです。
なので、学校に登校した時はケロっとしています。
お腹痛いから体育見学とかしたこともないです。
生理痛が痛いときは、酷すぎて歩くことすらできないからです。
そもそも学校に来られません。
当時の担任は20代のまだ結婚すらしていない若い男性でした。
今考えると、先生も未知の生命体に戸惑っていたのだと思います。
女子は複雑怪奇です。
でも、やはり自分が大人になってみると、先生には職業人として、女性には生理があり、人によっては立てないほどの激痛があるんだ、ということを知ってほしいと思います。
高校2年生の秋、母と担任の先生の2者面談がありました。
その時に言われたのが成績と出席日数についてです。
帰ってきた母が私に言った言葉は、
「休みが多すぎるから、これ以上休んだら落第だってさ」でした。
これからの半年間、どんな病気になろうと、1日たりとも休めないんです。しかも恐ろしい生理は毎月来ます。これは衝撃でした。
当時の私は風邪をひくと3日ぐらいは体調を崩していました。(実は、これも生理痛の酷さと関係しているのですが、当時は判明していませんでした)
なぜみんな風邪で休んで一日で完全復帰できるのか、不思議でなりません。
そして、私の通っていた学校では「落第=退学」を意味していました。
毎年、学業成績不良で落第が決まった人は2~3人程度退学していました。
そんな中でも、まあ、なんとか首の皮一枚で落第とまではいかずにのらりくらりとすごそうと思っていたのに、まさかの事態です。
仕方がないので、2年生の残りの半年を這ってでも学校に行きました。
そして、登校し、2時間目には保健室のお世話になっていました。
目の前が真っ白になって座ってなんかいられません。激痛はいつものように元気に体内を暴れ回っています。息もできないほど苦しいのに、授業受けられるわけがないじゃないですか。
あれほど苦しかったことはその後の人生でもなかったような気がします。あったかもしれないけど、それを忘れてしまうぐらい、この世の何よりも辛いことでした。
結局、あまりの酷さに、2回に1回は「体調悪いなら帰りなさい」、と保健の先生に言われ保健室を追い出されました。
「(来いとか、帰れとか)どっちだよ」とも思うことなくほいほい家に帰っちゃいましたね。
そして、この症状のおまけに記憶障害があります。
2日ぐらいの記憶の一部が完璧に飛ぶのです。
なので、言われたことの一部を完全に忘れてしまいます。
記憶が飛ぶのは一部だけで、他のことは覚えていたりします。さらに生理が終わればけろっとしています。
「おまえふざけんなよ」
「なめてんのか」
と怒られたことは何回もありましたね。
ここまで思い出すと、私は呑気な性格だし、いい友達もいたから生き延びられたけど、もしも繊細な人や精神的に弱いタイプだったらもっと追い込まれてしまったのではないかと思います。
高校時代は「退学=社会的な死」と同じことだと考えていました。今は当時よりも選択肢が増えたとはいえ、同じように感じる子はたくさんいるのではないでしょうか。ドロップアウトして今より良い人生があるって誰が保証してくれるんですか?一年高校生活を余計にやるって簡単な選択じゃありません。
先生にお願いしたいのは、自分は校内においては生殺与奪の権を持つ万能な存在である、ということを忘れないでいただきたいということです。
私はなんとかサバイブできましたが、できない人だっているんです。
学校に行けなくなる、退学に追い込まれる、自死を選ぶ。そういう可能性すらある、怖いことなのです。
ありがとうございました。
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