なんでも食べる変態
それは私のことである。
言い方を変えたほうがいいかもしれない。
私は『なんでも食べたくなる変態』なのである。
自分の飼い猫がへそ天している。
そのお腹を触りながら、
『もつ煮にして食ったら美味いのかなあ』
とか考えるのは当たり前として、
自分の細い手を見ながら、
『食べるとこ少なそうだなあ』
父親の手相を見るふりをしながら、
『親指の付け根が手羽元みたい。ローストして囓りついたらめっちゃおいしそう』
とは、いつも思っている。
『木を食べたくなる』と書いていらっしゃる方がおられたが、
もちろんスライスしたらチョコみたいで美味しそうとは私も思う。
しかし美味しそうだとは思っても、木を食べたくはならない。
茹でたらキクラゲぐらい柔らかくなってくれるならいいが、何をどうやってもシガシガなのは確定だからである。
壁とか鉄とかも食べたくはならない。
美味しそうだと思うことはたまにあっても、それは比喩だ。
『美味しそうなブロッコリー色の壁』とか書いたとしても、別に食べたいわけではないのだ。
あくまで食べようと思ったら本当に食べられるものだけ、私は食べたくなるのである。
お風呂に入っている時は止まらなくなって、自分の太ももや二の腕に噛みついてしまうことはよくある。途中で我に返って口を離すと、見事な歯型がそこに赤々とついている。
えっちなことを私とする人には心から気をつけてと心配してしまう。
ヴィーガンの話が盛り上がっているようなので、こんなものを書くことを思いつきで始めてしまった。
私は野菜も肉も猫も人間も大好きな、罪深い人間である。
猫の一番美味しそうな部位はやはり腹部だと思っている。
別にお腹が空いていなくても、食事を終わった直後でも、そう思ってしまうのである。
この病気に名前をつけるなら『愛』なのではないかと、自分では思っている。
これが変態の愛なのだ。
きっと。